雨 2


 ……。


 砂漠では珍しい雨が降った。

 ハーレムの子どもたちが、大喜びで泥だらけになって遊んでいる。いずれ戦士として、国を守る子どもたちだ。まるで子犬のように転げまわり、屈託のない声をあげて笑っている。


 彼らを見守っていたシャルワーヌは、屋敷の渡殿に立ち、ぼんやりと外を眺めている人影に気がついた。

 ジウ王子……ウテナから連れてきた捕虜だ。


 儚げで美しいこの王子が、シャルワーヌは苦手だった。今まで、自分の身の回りにはいなかったタイプだ。どう扱ったらいいか、まるでわからない。


 普段なら、足音を忍ばせ、そっと離れていったことだろう。

 だが、身じろぎもせず立ちすくみ、吹き込む雨に、肩がしとどに濡れている彼をそのままにしておくことはできなかった。


「ジウ王子」


 呼びかけると、ぱっと頬を染めた。


「シャルワーヌ総督」

「砂漠の雨と言っても、濡れると体に悪いですよ」


 特に貴方は体が弱いのですから、は、口の中でつぶやいた。捕虜とはいえ、一国の王子だ。病気にでもなったら大変だ。ジウ王子は、丁寧な気遣いが必要な捕虜だった。


「ご気遣いをありがとうございます、総督」

「もう少し、中央にお寄りなさい。さ、俺の方へ」

「はい」


 素直にプリンスは、シャルワーヌのそばに寄ってきた。


「この雨は恵みの雨です。ルビン河に降るこの雨は」

「そうですね。やがて洪水を引き起こし、流域の土壌を豊かにする」

「ジウ、という言葉の意味を知っていますか?」


 唐突にプリンスは尋ねた。

 シャルワーヌは首を傾げた。


「さあ」

「ウテナ語でジウってね。慈しむ雨、って書くんです。人や動物や、草や木。すべての物を平等に太らせ、慈しむ……」

「へえ……」


 にっこりとプリンスは笑った。


「僕の名前を覚えておいてください、シャルワーヌ総督。いつまでも、ずっと」

「もちろんですとも、ジウ王子」


 ……。



 クッションに押し付けられた耳に、篠つく雨の音が聞こえる。

 いつの間にか眠ってしまったようだ。エドガルドのそばにいると、シャルワーヌはいつだってどこでだって熟睡できる。そして、彼がいないと、眠ることができない。


 東の外れでは国境の一部が河になっていた。水の匂いも流れる色も全く違うが、河に降る雨の音は、ザイードを流れるルビン河の雨季を思い起こさせた。


 「シャルワーヌ」


 愛しい人が、名を呼んだ。

 肘を突いて半身を起こした恋人が、彼の顔を覗き込んでいる。白い肌がほんのりと闇に浮かんで見える。


「ごめん、起こしたくなかったんだ。でも、眠るなら寝室へ移ろう。ここで寝たら駄目だ。風邪をひく」


 執務室の寝椅子は、惨状を呈していた。キルトの上掛けは捩れ、二人分の衣服が散乱している。

 この狭い椅子の上でことに及ぶことができるのは、ひとえに、エドガルドが小柄だからだ。


 今夜はまだ2回しかやっていない。

 素早くシャルワーヌは計算する。

 まだあと1回、許されるはずだ。どうせなら、寝室でゆっくり彼を堪能したい。


 シャルワーヌの思惑を知ってか知らずか、無邪気にエドガルドが尋ねる。


「夢でも見てたのか? 随分、優しい顔で笑っていたぞ」

「ああ。雨の夢を見ていた」

「随分降ってるものな。でも、朝までには止みそうだ」


 微笑んでシャルワーヌは起き上がった。


 ジウとの会話は、実際にあったことだ。


 ウテナの女性は、家族か婚約者にしか、自分の名前を明かさないという。ジウは女の子ではなかったが、外国人である自分に名前の由来を教えてくれたのには、それなりの意味があったのだろうと、シャルワーヌは察していた。


 だから、このことは誰にも話したことがない。現在の体の持ち主のエドガルドにさえ。


 もちろん、やきもちを焼いてもらったら嬉しい。あれで結構、エドガルドはやきもち焼きなのだ。


 けれど、自分のいないところできっと、彼は泣くだろう。儚かったジウ王子の死を悼んで。その体を譲り受けたことに、今なお彼は、一抹の罪悪感を抱いている。


 エドガルドには、エドガルドらしく生きてほしい。それが、シャルワーヌの願いだ。


 エドガルドがシャツを渡してきた。

 シャツを羽織りながら、たった今思いついたように聞いてみた。


「今度、俺の母さんに会いに行かないか?」

エドガルドが目を瞠った。

「君の母上に?」


「うん。未だに、王について亡命せずに、革命軍くにに残った俺を許してくれていないが……。でも、姉さんがうまく話してくれたようだ。亡命していた兄と弟も帰ってきたことだし。もう俺のことを、頭ごなしに叱りつけることはないだろう」


「そんなことはなさらないよ。だって君は、君こそが、ユートパクスを救ったんじゃないか。いつだって君は勇敢に戦ってきた。最終的に王党派と革命軍をまとめ上げ、戦争を終わらせたのは、君だ」

「俺だけじゃない。ワイズ将軍や、ロットルやフランや……みんなでだ。それに君は、自分のことを忘れている」

「俺こそ、何もしなかった。途中で死んでしまったし。ダメだな、俺は」

「そんなことはない」

強くシャルワーヌは言った。

「そんなことは、全然ない」


 処刑の控室と名高いシテ塔の囚人アンゲルの代将を脱走させたり(それは全く感心しなかったが)、シュールでは、処刑寸前の王党派の女性達の命を救ったり。

 最終的にエイクレの町を護ったのは、エドガルドが造った半月堡(遮蔽物)だ。


 それに、ジウの体でアンゲル艦に戻ってきてからも(何が戻ってきてから、だ。と、思い出すたび、怒り心頭だ)、海路を設定したり、タルキアの皇帝に話をつけに行ったり、大変な活躍だったらしい。

 あの憎たらしいアンゲル海軍将校がそう、評価していた。名前を出すのも忌まわしいので、その話はエドガルドにはしていないが。


 普段は硬玉のようなエドガルドの目が揺らいだ。


「……なあ、シャルワーヌ」

「なに?」

「君の母上は、俺を許して下さるだろうか?」

「なぜそんなことを言う?」

驚いてシャルワーヌは尋ねた。

「だって俺には君の子を産めない……」


 エドガルドらしくもなく、もじもじしている。そのしぐさは、型取りをして、残しておきたいと思うほど、かわいらしかった。


「誰もそんなこと考えないよ。もちろん母もね」

シャルワーヌは笑った。

「だって、君の中には恵みの雨がいる。君は俺の養分で、生きる命そのものだから」


「何の話だ?」

きょとんとしてエドガルドが尋ねた。








fin




________________


最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

心から感謝申し上げます











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転移した体が前世の敵を恋してる せりもも @serimomo

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