エピローグ

雨 1


 父親が王であり、母親が庶民であるコラールは、ユートパクスの人民に受け容れられた。

 革命政府、そしてオーディン・マークスに冷遇されていた政治家たちが、続々とユートパクスに戻ってきた。

 彼らの助けを借りて、摂政コラールの統治が始まった。


 ずっと軍人畑を突き進んできたシャルワーヌには、政治のことはさっぱりわからない。そうであっても、コラールのそばにいるのは危険だと考えた。摂政権を持つ姉の力を笠に着て、私腹を肥やそうとしているのだと誤解されかねないからだ。長く続いた戦争の時代、貴族である彼は、敵との密通を疑われ、さんざん、痛くもない腹を探られてきた。


 姉のそばには、かつての亡命貴族がいる。革命の理念に賛同し、しかし声の大きな者に圧され、不遇なまま下から政府を支え続けた官僚も味方だ。また、戦友の何人かが、首都シテ守護の部隊に転属を希望してくれた。


 彼女は、大丈夫だ。


 そこまで見届けて、シャルワーヌは首都から東の国境に移った。彼の古巣だ。もちろん、やっと手に入れた恋人、エドガルドも一緒に。

 ここは、エドガルドと初めて会った場所だ。東の国境の山脈の辺りは。シャルワーヌにとっては思い出深い場所だった。


 昔の部下たちが、大喜びで出迎えてくれた。彼らと共に、国境を越え、諸外国が侵入してこないよう目を光らせるのが、彼の新しい任務だった。





 大股でシャルワーヌが、部屋の中を行ったり来たりしている。


「何を悩んでいるんだ、シャルワーヌ」


 執務室に入ってきたエドガルドが尋ねた。彼はシャルワーヌの軍の少佐になっていた。少佐は、蜂起軍で与えられたランクだ。それ以上の昇級は、彼自身が拒んだ。


 ……「いずれ大きな手柄を立ててから」

 そう言って、エドガルドは笑った。


 気の毒だが、エドガルドが昇進することはないだろう。なぜなら、今後、戦争が起きることはないからだ。それが、シャルワーヌの、本当の意味での任務だから。

 二度と再び、エドガルドを戦地へ立たせることはない。彼が手柄を立てる機会はない。


 声をかけられ、シャルワーヌは立ち止まった。


「君についてだよ。ウテナ王に挨拶に行くべきか否かを悩んでいるのだ」

「ウテナ王? なんで?」

「君のその体の、お父さんじゃないか」


 エドガルドの顔がぱっと赤くなった。シャルワーヌがしきりと自分の親族に会いたがっているのを知っているからだ。エドガルド自身の親族だ。


 8歳までエドガルドを育ててくれた伯父夫婦は、既に鬼籍に入っていた。年の離れた従兄姉たちは……転移を信じてくれるだろうか。

 自信のないエドガルドは、未だに、彼らに会いに行けないでいる。いきなりシャルワーヌを同行したら、従兄姉一家を混乱させるだけだと断られてしまった。


 エドガルドの親族が無理ならジウ方面から、とシャルワーヌは考えた。彼は外堀を埋めたいのだ。二度と再び、エドガルドに逃げられないように。


 それなのにエドガルドは首を横に振った。


「ウテナ王は、俺とジウの入れ替わりを知らないわけだろ?」

「うん。でも、筋を通さなきゃいけないと思うんだ。君は俺の大切なひとだから」


 再びエドガルドの顔に血が上る。あんまりかわいいので、その唇を啄もうとしたら、盛大に首を横に振られた。


「いやいやいや。違うだろ……」

 

 ウテナ王は、長男のジウが依り代だったことを知っていた。ジウの魂が死に、新しい魂が宿ったら殺すよう言い含め、アソムを従者につけた。


「そもそもウテナ王は、ジウに転移した俺を殺す気だったわけだし。でも、代わりにアソムが死んでくれて……」


 頬の赤みが引いた。悲し気にエドガルドは俯いた。ウテナの従者の死が、未だに彼の心に傷を残しているのだ。


「ウテナに行ったりしたら、王は、俺に国を乗っ取られると心配するんじゃないか?」

「ああ……村の古老もそんなことを言っていたな。依り代は、忌み子だとか」


 うわの空でシャルワーヌは言った。

 くるくる変わる恋人の表情に、彼は心を奪われていた。エドガルド以外のすべては、正直もう、どうでもいい。早くこの話にケリをつけてしまおう。


「じゃ、ウテナには何て言えばいいかな。戦争は終わったから、捕虜は返還しなければならないんだ」


 捕虜。ジウ王子のことだ。


「アソムが連れて行ったと言えばいいんじゃないか? つまりその、遠くへ」

「それで察してくれるだろうか」


 アソムが王子を殺し、自死したと伝えればよいのだろうか。それは、ウテナ王の命令だったはずだ。王家を守る為に、魂が入れ替わったらジウを殺せというのは。

 たしかに、王に挨拶に行く筋合いなどないかもしれない。


 だってエドガルドは、ウテナ乗っ取りなど、微塵も考えていない。

 彼は骨の髄までユートパクス人だ。


 力強く、エドガルドは頷いた。


「将軍の君が乗り込んでいくより、よほどいい。そんなことをしたら、再びユートパクス軍が侵攻してくると思われかねない」

「それもそうだ」


 なんて賢いんだ、自分の恋人エドガルドは!

 シャルワーヌはそっと肩を抱いた。彼の顔を見上げ、エドガルドが微笑んだ。眩しい。大輪の花が咲いたようだ。


「アンゲル軍に包囲されて、ウテナが困窮していた時には食料を送り込んだことだし。それで充分、義理は果たしたと思う」


 シャルワーヌ師団の侵攻で、ウテナはユートパクスの支配下に置かれた。ところがシャルワーヌの軍がザイードに向かって出発すると、ウテナはアンゲル軍に包囲されてしまった。おかげで、外から一切、物が入ってこなくなった。

 島に立て籠ったユートパクス軍と共に、ウテナの人々は、食料や医薬など、あらゆる生活物資の不足に苦しめられた。


 他ならぬアンゲル艦から、ウテナへ向けて、必要物資を送り込んだのが、エドガルドだ。元砲兵だった知識から、大砲を用いたのだ。

 この経験があったから、後に、オーディン軍が逃げ込んだクルスの要塞へも、スムーズに食料を送り込むことができた。


「そうだな。確かにその通りだ」


 シャルワーヌが頷く。彼は自分の恋人が誇らしかった。救援、という点だけは、なんとかならなかったのかと思うのだが。


 上目遣いでエドガルドがシャルワーヌを見上げた。


「仕事は終わったか?」

「うん」


 そんなの、とっくにどうでもよくなっている。

 甘えるようにエドガルドがシャルワーヌの胸に頭をこすりつけてきた。


「なあ、シャルワーヌ……」


 目の色が変わっている。鋼色が柔らかみを帯び、潤んでいる。

 皆まで言わせるつもりはなかった。

 せっかちに彼を引き寄せ、その唇を奪った。



 エドガルドが積極的なのは、行為に入るまでだ。

 彼が誘ってくるのは、ただシャルワーヌと一緒にいたいから。身近に互いの存在を感じ、二人だけの時間を共に過ごしたいから。


 エドガルドの気持ちはわかっている。

 でも、シャルワーヌは違う。

 もちろん、エドガルドの思いは嬉しい。けど、せっかく二人きりになれたというのに……それだけで済ませるものか!


 ジウの体に転移したエドガルドは、驚く程奥手で、消極的で、それに怖がりだった。中に入れたまま体位を変えようとするだけで、悲鳴を上げた。


 これがあのエドガルドかと、不思議に思うほどだ。


 多分、ジウの体が未経験だったせいだろうと、シャルワーヌはくすぐったかった。はっきり言うと、嬉しかった。


 前世のエドガルドと違い、今の彼には体力がない。行為は多くて3回、それより多いと失神してしまう。


 もちろん、無理はダメだ。痛いのもNG。国境の洞窟で自分がしたことは、深く反省している。あの時の彼はそれを受け容れることができたが、今のエドガルドは、確実につぶれてしまうだろう。


 おずおずとシャルワーヌの指図に従うエドガルドを見るのは、とても楽しかった。すぐにシャルワーヌは、彼にいろいろ教え込むことに夢中になった。


 「あ、これ、や」


 うつ伏せにし、腰を掴んで引き上げると、かすれた声が抗議した。

 すでに2回目なので、声が出ないのだ。


「好きなくせに」


 再び抗議の声が上がる。その声の底に、なんともいえないなまめかしさを感じる。


 後背位は、初めは避けていた。オーディンとの行為を思い出すからだ。シャルワーヌの上に立つ男は、決して彼をに乗せなかった。

 彼より上に行こうなどとは、微塵も考えていなかったのに。自分の忠誠心を疑われているようで、シャルワーヌは寂しかった。


 オーディンに関してはそれだけではない。今のオーディンは危険だ。絶対、エドガルドを狙っている。同じ男エドガルドを愛するシャルワーヌにはよくわかる。エドガルドはそんなことはないと言い張るのだか……。


 シャルワーヌは、いろんなエドガルドを試したかった。あらゆる方向から突きまくり、彼を自分のものにしたかった。どこから挿れても、自分の形になるようにしておきたかった。

 相手の顔を見ずにするセックスは、シャルワーヌのトラウマになっていた。だが、嫌な思い出がある体位であっても、エドガルドに試さずに封印するなんて、もったいなさすぎる。


 目の前で、エドガルドの背中が揺れている。白く美しかった彼の背には、無残な鞭の跡が何条も残されている。


 ……「背中の傷は、自分では見えない。だから何の問題もない」

 彼はそう言って笑っていたが……。


 この傷はエドガルドの勲章だと、シャルワーヌは思う。銃弾が貫通した自分の両頬の傷がそうであるように。

 違いは、シャルワーヌは革命の為に戦ったが、エドガルドは王の為に戦ってきたことだ。


 だがそれももう、終わりだ。これから先、永遠に、敵味方に分かれることはない。


 傷はあっても、揺れる背中は美しかった。薄い筋肉に覆われた肩甲骨が、天使の羽のように広がっていきそうだ。


 肩甲骨と肩甲骨の間あるそれに気がついた。

 星形の、痣。

 ウテナの忌み子の証……。


 以前のエドガルドは、この痣を見せてくれなかった。

 背中の痣の存在を確かめたのは、彼の副官だ。


 副官のラビックは、エドガルドを慕って東の国境までやってきた。けれど彼は、完膚なきまでのマイホーム主義者だった。機会さえあれば嬉々として、妻子の元へ帰っていく。


 それでシャルワーヌは、ラビックを許すことにした。エドガルドの裸の背中を見たことを。


 前には秘せられていた痣が、今、自分の目の前で、淡い輝きを放って揺れている……。


 幸福感でいっぱいになった。星の形をしたそれは、希望そのものだ。







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