薔薇の花びらの敷き詰められたベッド



 幸い、というか、もうそこは、ドラッティ侯爵邸だった。後輪がほぼ地面にめり込むようにして止まると、シャルワーヌは馬車から飛び降りた。

 すぐにくるりと後ろを振り向き、俺を抱き上げようとする。


「……っ、一人でっ!」


「もういいんだよ、エドガルド」

優しい笑顔だった。

「これからはずっと二人だ。だから君はもう、一人で頑張る必要はないんだ。いつだって、俺がそばにいる」


 力が抜けた。

 そんな俺を、シャルワーヌは抱き上げた。されるがままに外に出ると……。


「!!!」


 屋敷に向かう長いエントランスには、使用人達がずらりと並んで待機していた。


「主は留守なんじゃないのかよ」

 思わずシャルワーヌの耳元で毒づいた。はたから見ると、睦言を囁いているように見えたかもしれない。

「留守だよ」

けろりとしてシャルワーヌが答える。

「でも留守なのは侯爵夫妻だけだ。今日から数日間、俺たちが主夫妻の代わりだ。そういう約束で、屋敷を貸してもらった」

「ドラッティ侯爵に何もかも打ち明けたというのか? 俺は何も知らされていなかったというのに?」


 つまり、あんたの屋敷でヤると。

 にっこりとシャルワーヌが微笑んだ。輝くような、幸せそうな笑顔だ。


「うん。ハネムーンだって言ったら、喜んで貸してくれた」

「……」


 羞恥のあまり、言葉も出ない。


 よく躾けられた使用人なのだろう。戦場からやってきた泥と埃だらけの俺たちを、頭を下げて恭しく出迎えている。

 シャルワーヌに抱きかかえられたまま、俺は到底、顔を上げることなんてできそうにない。それでも、彼らが最高の敬意をもって出迎えてくれていることだけはわかった。


 二階の、客間に通された。というより、シャルワーヌに運び込まれた。

 やたら広い部屋に、シャルワーヌは俺を抱いたまま、つかつかと入っていく。後ろ足で凝った彫刻の施された豪奢なドアを閉めた。


 「さてと」


 大きなベッドに俺を投げ出し、コートを脱ぎ捨てる。既に俺は、馬車の中で、シャツとズボンだけの姿に剥かれてしまっていた。そのシャツも、ボタンは外れ、ウエストから裾がはみ出すという、ひどいありさまだった。

 この格好で、使用人たちの出迎えを受けたわけだ。改めて頬に血が上ってきた。


 シャルワーヌが、首のスカーフに指を入れて外そうとしていると、ノックの音がした。


「なんだ?」


明らかに不機嫌になってシャルワーヌが応対に出た。仕着せを来た従者が立っていた。


「ユベール将軍。お夜食はいかがなさいますか?」

「夜食? いらない」

答えてから慌てたように振り返って俺を見る。

「エドガルド、君、腹が減ったか?」


 自分の胃袋なのに、空腹なのかどうかよくわからなくなっている。


「へ、減ってない、多分」


 今は食事どころではない。俺の前世はエドガルドだ。これから先に起こることは、予想がついている。

 随分長いことお預けを食らっていたシャルワーヌだ。恐怖さえ感じる。


「では、エドガルド様。こちらへ」

「……?」


 行っていいのかと、シャルワーヌに目で尋ねる。かなり豪華なお屋敷だ。そのドアを、泥だらけの長靴で蹴って閉めるなぞ、彼を一人にしておいたら、何をしでかすかわからない。

 が、案に相違して、シャルワーヌは頷いた。なんだかひどく嬉しそうな、くすぐったそうな顔をしている。


 俺の斜め前を従者が、僅かに腰を屈めて案内してくれる。廊下は広く、右の壁には古めかしい夥しい数の肖像画が、左側には甲冑が展示してある。床には臙脂色の毛足の長い絨毯が敷かれている。


 呆れるほど豪壮な住宅だった。壁一面につる草模様の装飾が施され、窓には重いカーテンが吊り下げられている。外からの物音ひとつ、入ってこない。


 連れていかれたのは、湯殿だった。

 メイドたちが待ち構えていた。


「……え?」


 従者が姿を消すと、彼女たちは寄ってたかって俺を裸にした。もっとも、シャルワーヌのせいで、脱がすものはほとんど残っていなかったのだけれど。


 事務的に、極めて事務的に、洗い場に案内される。大理石の椅子に横たわるように言われた。ひやりとした感触を予想して恐る恐る座った座面は、意外にも程よく温められていた。


 豊かな泡で全身をくまなく洗われ、花の香りのする湯につかるころには、俺はすっかりリラックスしていた。

 リラックス。

 何年ぶりだろう、こんなに無防備な気持ちになったのは。


 程よい湯加減だったが、少しすると、軽い酩酊感に、酔ったような気分になってきた。


 湯から上がった俺を、信じられないくらい柔らかいタオルが待っていた。白いふわふわした布で全身を包まれ、恍惚としてしまう。部屋でシャルワーヌが待っていることさえ忘れかけたくらいだ。

 全身に良い匂いのするオイルを刷り込まれ、彼女たちの仕事は完了した。差し出されたガウンを羽織る。


 再び、案内の従者が現れた。彼の案内でシャルワーヌの待つ部屋へ帰る。


 シャルワーヌが飛びついてきた。寛いだ服装に変わっている。彼もどこかで入浴を済ませてきたようだ。

 ドアがそっと閉められ、執事の姿が消えた。


「いい匂いだ……」

シャルワーヌが目を細め、犬のように俺の体を嗅ぎまわっている。

「けれど決して強すぎず、エドガルドの匂いを打ち消していない……ドラッティ侯爵の調香師は完璧な仕事をしたな」


「調香師?」

 俺は聞き咎めた。

「うん。あらかじめ君のハンカチを渡して、香りを作っておいてもらったんだ。せっかくの君の香りを台無しにしたくなかったからな」

「あらかじめって……」


 あきれてものが言えない。

 戦争が終結したのは、今日だ。香りを作るのだって、一朝一夕でできるわけがない。この男、いったいいつから、今夜の準備を始めていたんだ?


「いいじゃないか、細かいことは」


 抱きすくめられた目の端に、ベッドの猫足が映った。豪華な天蓋付きのベッドだ。クッションや枕が並べられたマットレスには、一面にバラの花びらが敷き詰められていた。

 思わず赤面した。


「それは、侯爵が気を利かせたのだ。あるいは、侯爵のメイドが。俺が頼んだわけじゃない」

 俺の目線を辿り、言い訳のようにシャルワーヌが言った。

「なあ……。こっちを見ろよ」


 強引に首を振り向けさせられた。降るようなキスが落ちてくる。

 キスは次第に首筋から下へと降りて行った。のけぞり、俺はシャルワーヌのキスを受け容れる。だってもう、彼を拒絶する理由はない。


 「はすまないことをした。国境の洞窟で、初めての時」

 鎖骨に顔を埋め、シャルワーヌの声はくぐもっていた。

「あんな風にせっかちに、強引にしたかったんじゃない。もっと優しくしたかった」

「……うん」


「痛くなく、苦しくなく、ただ快楽だけを与えたかった。だって、君が大好きだったから」

「……うん。……あっ!」


 温かく濡れた舌が胸の突起に触れた。


「エドガルド。俺はとんでもなく君が好きだ」

「俺も……好き」

「もう一度言って」

「好きだ、シャルワーヌ。……あぁ」


 そっと胸の先が口に含まれる。柔らかく舐められて、体がのけぞった。


「だから、今度は失敗しない。俺の腕の中でいくらでも気持ちよくなってくれ。待っただけのものを、君に与えたい。お願いだから、もっと……」


 ガウンが肩から滑り落ちた。一糸まとわぬ姿になった体の胸から腹へ、舌が下りていく。

 吸っては噛み、噛んでは舌を這わせ……。


「シャルワーヌ」


 性器に触れそうになった顔を、両手で挟んだ。屈みこみ、唇にキスをする。

 驚いたように薄く開いた唇から、遠慮なく舌を侵入させる。肉の厚い舌が出迎えた。絡み合い、なめ合う。


 シャルワーヌの舌は貪欲だった。こちらから仕掛けたキスなのに、わがもの顔で俺の舌をからめとり、蹂躙する。


「あっ!」


 お互い低い姿勢だったので、思わず尻もちをついてしまった。


「ごめん、エドガルド!」


慌てた声が降ってくる。目を上げると、本当に申し訳なさそうな顔をしている。


「なんだよ、その顔は!」


 思わず笑いだしてしまった。

 シャルワーヌはほぼ、半泣きだ。


「だって俺は決心したんだ。君には、微塵も苦痛を与えまいと。ただただ、極上の一夜を捧げようと!」

「それも、の反省か?」

「そうだ」

「その為にドラッティ侯爵の邸を借りたのか?」

「俺の知り合いの中で、一番、豪華な家を持っていたから」

「クルスに入ってすぐ?」

「怒らないでくれ、エドガルド。決して戦争をないがしろにしていたわけでは……」


「馬鹿だなあ」

 立ち上がり、俺は彼の顔を抱えた。

「前にも言ったろ。の君は、素晴らしかった。ちっとも痛くなんてなかった。君は最高だったよ、シャルワーヌ」

「エドガルド!」


 あっという間に足をすくわれ、抱き上げられた。何を考える間もなく、ベッドに投げ出される。


 「それでも、君を傷つけたくない」

 切羽詰まった声で言う。


 体をひねり、四つん這いになろうとした。

 そうだ。初めからこうしていたらよかったんだ。うつ伏せなら、背中に傷があっても平気だ。もっと早くシャルワーヌとひとつになれたのに。


「ダメだ」

思いがけず、押し戻された。

「後ろからはいやだ。寂しくて孤独で……。エドゥ、俺は君の顔を見て、したいんだよ」


 ズボンを脱ぎ捨てた彼のその部分を見て、ぎょっとした。


「シャルワーヌ……。君、前より大きくなってないか?」

「嬉しいことを言ってくれるなあ。なってないよ」

「いや、間違いなく大きくなってる!」


 そんなものをぶちこまれたら……。


「安心しろ、エドガルド。君への思いは募るばかりだったが、だからってここが大きくなるわけじゃない」

「でも……いや、無理、ちょっと、シャルワーヌ!」


 そうだった。これはジウの体だ。か弱いウテナの王子の。


「怖いか?」


 真剣な眼差しが顔を覗き込んでいる。

 今、ここで嫌だと言ったら、シャルワーヌは間違いなく、行為を中止するだろう。彼は俺を傷つけることを、極端に恐れている。


 だがそれは本意ではなかった。シャルワーヌのではない。俺の。


「怖くない」

「安心しろ。今度は君を傷つけたりしない。絶対に」


 俺の目を見つめたまま、ゆっくりと熱い塊が侵入してきた。

 突然、止まった。


「ダメだ。自分だけ気持ちよくなろうなんて」

独り言のようにつぶやいている。


「シャルワー……ヌ?」

「エドガルド、どうしたらもっと感じてくれる? 俺のこと、忘れられないくらいに、気持ちよくなってくれるんだ?」

「も、じゅ、ぶん、……ふぅ……っ」

「お願いだ。俺のこと、二度と忘れないで」

「う……ん」

「愛してる、愛してる、愛してる、エドガルド!」


 腹の中がぐちゃぐちゃで、頭が働かない。

 小さな快感が生まれた。快楽は次第に大きくなり、脳髄をしびれさせていく。


「シャルワ……君も?」

「うん」

「俺のことより……君が、」


 ……ずっと我慢してたんだろ? 「紳士同盟」なんか結んで。俺の背中の傷を気遣って。


「愛してる、シャルワーヌ」

「一緒に、エドゥ」


 俺の中で、シャルワーヌの熱いしぶきが爆ぜた。同時に俺も、体に残っていた最後の精を吐き出した。







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