4.道中絵巻
家から浜までは、駅とは逆の方向に歩いて15分。途中、公園の横を通って行く。
ピンカートン作戦は大成功で、道中、川田くんの視界は極めて良好だった。一歩ごとに帽子から吊るしたピンカートンが目の前で右に左にとブラブラ振れるのは少し気になるが、それでも変なモザイクに悩まされるよりは余程良い。なのに、5分も行かないうちに、一夏が立ち止ってつぶやいた。
「ねぇ、プッチー
川田くんは立ち止まり、サファリハットを脱いでピンカートンを掌にのせて調べてみる。確かに動きが鈍ったような気がする。それに体が熱くて何だか口をパクパクさせている。
「目眩かな?熱中症?」
よく見ると、背中の皮があちこち赤い日ぶくれになってはがれかけている。日本の領土としては唯一、赤道直下に位置するこの地方では、九月でも連日40℃を上回らない日はない。きょうも雲ひとつないかんかん照りだ。
「とりあえず地面におろしてやろう」
少しでも太陽から遠ざけてやった方が良い。ポケットに入れてやろうかとも思ったがそれではピンカートンの散歩にも日光浴にもならないし、2分ごとに出し入れして模様を眺めるのも面倒だ。川田くんは羽織って来た釣り用ジャケットの、たくさんあるポケットの一つから釣り糸を取り出すと、落ちていた棒切れを拾ってくくりつけ、もう一方の端に帽子からはずしてやったエリマキドジョウを結わえ直して長さを調節した。棒切れを持ち上げ、手をまっすぐ前に突き出して釣り糸を垂らし、ピンカートンのお腹を地面につけてやる。一瞬、ジュッと煙が上がって少し焦げ臭いにおいがした。地表温度は80度くらいはありそうだ。川田くんはそのまま片手をのばして、いやがるピンカートンを無理やり前に引きずって行った。これでピンカートンの模様がいつでも見える。
「暴れているよ?」
心配そうに一夏が言う。
「うん、多分、これがこいつの歩き方なんだ」
けれど、一夏は心配でたまらない。
「プッチー兄、のたうちまわっているよ?」
川田くんは念のために歩みを止め、もう一度ピンカートンを手の上にのせて確かめた。や、これはひどい。お腹が真っ赤に焼けただれている。おまけに、裏といわず表といわず、砂利やガラス片にこすりまくられて切り傷だらけだ。その上、さっきよりさらに激しく口をバクつかせて実に苦しそうだ。仕方がない。とりあえず体を冷やしてやろう。川田くんは肩に下げた保冷水筒の麦茶のなかにピンカートンを放してやった。
児童公園にさしかかると、一夏が川田くんの服を急に引っ張った。
「プッチー兄、ちょっと寄って行こ?」
公園からは今しも威勢のいい街頭演説が聞こえて来る。一夏の家族の中でその日、唯ひとりデモ行進へ参加しに行かなかった母方の祖父の
ふたりが公園に入って来ても、
「そうだ!」
一夏の後でふいに子供の叫び声がした。
ふり向くと、ガジュマルの大木を背にして、赤ら顔の少年がひとり、夢中で
「いいぞ!」
キラキラと輝く瞳で熱烈に拍手を送っていた。
「
川田くんは訝し気に一夏の顔をのぞく。
「うん、最高さ!」少年は一夏を見た。
「今まで聞いた人間の話の中で一番夢がある。毎日楽しみにしてるんだ」
「
「ふぅん、だから面白いんだ。君、知り合い?」
「わたし、
男の子はあらためて一夏を麦わら帽子のてっぺんからサンダルのつま先まで眺め直して、うん、長生きする、とひとりで合点した。
「そうか、じゃあいい物あげるよ」
そう言うなり、手のひらで一夏のお尻をポンとはたく。
と、
「それ、危ない時に一度だけ身代わりになってくれるから」
そう言うとニコッとひとつ笑顔を残して、男の子はガジュマルの葉陰に入って行った。そのお尻にも黒い尻尾が揺れている。
「おい!」
川田くんは一夏のおでこに手をあてる。
「どうした?何なんだ ?? アナクロ二ストがどうした …」
川田くんには何も見えていないらしい。もう一度見ると男の子は姿を消していた。
「うぅん、何でもない」
一夏はちょっと得意になった。この尻尾もプッチー兄には見えないようだ。風みたいに軽くてまぶしくキラキラ透き通っている。白昼の公園には
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