5.カント煮き

 カジマヤ浜は、きょうも家族連れで賑やかだ。天然サンゴの白砂のあちこちにパラソルが肩を寄せ合って、地元の人たちがお弁当を分け合ったり、歌や手拍子で踊ったりしている。少し向こうには食べ物や浮き輪を売る屋台も並んでいる。海はサンゴの密度や光の屈折具合によって、明るい浅緑色から息を吞むような深い藍色まで、幾つものグラデーションで沖へと続き、遠くでは浜を囲むリーフが白波を立てていたが、潮が満ちてくると水没して、大きな魚も出入りできるそうだ。

 川田くんと一夏は大きな椰子の樹の木陰にゴザを広げて潮風を深呼吸した。

「プッチー兄、ちょっと行って来る。ピンカートンを貸して」

 川田くんが水筒をのぞくと、ピンカートンは麦茶の中で泳いでいた。取り出すために蓋に移す際ピンカートンの模様が見えたので、川田くんの視覚から、またモザイク模様が消え去った。一夏は釣り糸の先をピンカートンの襟巻に通してぶら下げると水筒を肩に掛け、ローブをうち捨てて浜の真ん中あたりまで駆けて行く。そのまま海に入るのかと思って見ていると、その場にしゃがみ込んでピンカートンを脇におき、どんどん砂を掘り出した。何かを造るつもりらしい。上機嫌に唸る鼻歌が川田くんの耳もとまで届いてきた。「どんぐりコロコロ」を歌っているようだ。どうやら砂のお城を作っているらしい。無邪気なのは良いが、身体が大きいだけで、していることといったらさっきの幼児たちと全然変わらない。ただ、体力だけはある分、お城はなかなかのスケールだった。サンゴ砂で作るのは難しいはずなのに、見る間に積み重なって行き、一度も崩れることなく一夏の身長にまけないほどの高さと横幅の立派なお城が出現した。前庭の庭園に小さなお堀を掘って完成だ。水筒の麦茶を全部注ぎこんでしまった。

「はい、どうぞ」

 一夏はどじょうの王子様を池の中に鎮座ましまさせてあげた。

 けれど、お茶なんてあっという間に砂のすき間に吸い取られて行く。あぁあ、と一夏が溜息をいたその時だ。巨大なお城が突然倒壊して、ピンカートンを生き埋めにしてしまった。

「わ」

 一夏はあわてて砂をかき分けた。

 どこだ。いない。早く助け出さないと窒息だ。その上、砂はフライパンのように熱い。蒸し焼きにはちょうど良さげな火加減だ。川田くんも急いで捜索に駆けつける。

 いた!だが、砂まみれでぐったりしている。ただ、息はある。

「海に浸けてやろう」

 ふたりは大急ぎで波打ち際へ行き、ピンカートンを洗ってやった。よく見ると口ヒゲが一本もげかけている。それにとても動きが鈍い。

「疲れたのかな?」

 一夏が首を傾げる。

「ちょっと休ませてやろう」

 川田くんはピンカートンを釣り糸からはずして自分の胸ポケットに入れてやった。安静にしておけば回復するはずだ。


「お腹すいたねぇ」

 椰子の木陰に戻るなり一夏がつぶやいた。あせるとやたらにお腹の虫が鳴く。

「何か食べに行こ?」

 そういえば川田くんもビールを飲み損ねたきり、お昼をとっていない。

「割り勘だぞ」

 ふたりは小銭を握って屋台村をのぞきに行った。

 近づくと、焦げるような甘いにおいや三線さんしんの音色が漂ってきて、ますますお腹がすいてくる。

「焼きそば おむすび」「ラーメン アンダギー」「氷 ラムネ」 … 軒先にはいろんな小旗が下っている。

「あっ、おでんだ!」

 目の前のお店の四角い大鍋のなかで、具材ネタたちがお互いの個性を張り合うように煮えていた。もっとも、軒先の小旗は「おでん」ではなくて「関東風カント煮」になっている。そういえばお出汁だしがまっ黒だ。先客の学生が三人、はかますがたと角帽で何やらしきりに議論を繰り広げていた。ちょうど二人分空席がある。

「こんにちはー」

「おでんですよね?」

 念のために尋ねた川田くんの眉間を店主がいきなりけてきた。

「帰れ」

 いかにも偏屈そうなおやじさんだ。

「おでんなど知るか。此方人等こちとらカントだき屋だ!」

「すみません、関東だきでした」

「関東じゃない。カントだ。この国に『かんとうだき』なんて食いものは存在しない」

「そうとも」学生のひとりが叫んだ、「そも、『存在する』とはいかなる意味か」

「いいか」

 店主は川田くんをわざと無視して一夏に言って聞かせた。

「よく覚えておくんだぞ。そもそも、おでんとは田楽のなれの果てだ。おでんの『でん』は田楽の『田』に過ぎん。そんな下賤な食い物とカントだきを混同するなどもってのほかというもの、カントだきには、熱くも箸を交えて夜通し哲学を論じ合ったかつての若者たちの崇高な意気と歴史が浸み込んでいるんだ。それで何にする?」

 蘊蓄うんちくを垂れていたはずなのに、急に注文を聞いてきた。でも、一夏は最初から決めている。

「大根を二つと、卵と、はんぺんを下さい」

「ぼくは牛すじと蒟蒻こんにゃくを」

「ごぼう天」と言いかけたが、また何か言われそうだから気を付ける。

 おやじ氏はそれ以上は何も言わず、ふたりのまえにホクホク湯気を立てるネタを盛ったお皿を置いた。

「美味い!」

「おいしい!」

 見た目通りの大辛口だが、お世辞抜きに最高だ。意気や歴史がしっかり浸み込んでいて、一本筋の通った味がくせになりそうだ。学生たちの議論の端々から漏れ聞こえてくるショーペンハウエルだの実存主義だのといった言葉の断片が乙な薬味になっている。

 気が収まったのか、店主がそば三線さんしんをおもむろに肩に下げ、前置きも無いままつま弾きだした。


   はなつぼみはまだ見ぬ宵に桃のほころぶ四畳半


「よ、後家殺し!」

 一夏の隣の学生が叫ぶ。都々逸のようだ。


   目覚し時計が

   同時に鳴った


   置かれた場所で

   別々に


「字余り上等!」と、今度は真ん中の学生が囃す。

 このおやじ氏、見かけによらず味のある渋声だ。


   負けてあげましょルメールよりも手綱さばきのうまい方


「イクイノックス引退撤回、目指せ凱旋門!」

 向こう端の学生がそう叫び、三人一斉に立ち上がって拍手を送る。川田くんと一夏もられてスタンディングオベーションに加わった。

 と、その拍子に、川田くんの胸ポケットから急に何かが跳び出して、カント煮のお鍋の中にポションと落ちた。

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