ある晴れた日に
友未 哲俊
1.川田くんの受難
九月最初の月曜日、
「
女学生に手を出すことで著名な老講師が、前列の娘たちを値踏みするように眺め渡しながら言葉を継いでいく。
「人は見たい物しか見ないという言葉もある通り、脳は無意識下で常に情報を取捨選択しており、もし、何かの拍子にその機能が損なわれたりするとひどく困ったことになる。たとえば、以前、わたしの
彼は、最前列の右から2番目に座っていたタンクトップの学生のバストにしばし目を
症状の再発を恐れて予定していた午後からの聴講を切り上げたは良いが、帰路、モノレールの座席に腰を下ろした川田くんは、今度はその両目で、まわりに見える世界のあらゆる物を一つずつ確かめずにはいられない強迫衝動に囚われた。鼻の他にも、見えているのに意識されていない「何か」がないだろうか? 寄り目にすると、案の定、まつ毛と眉毛は見えてくるが、これはやむを得まい … 。他はどうだろう? … 窓下を流れて行く世界遺産の古城や岸壁にきらめく大小の船かげ、老若男女の乗客たちの靴の形やネクタイの色柄、ズボンの膝に落ちかかる手すりのシルエット … 、それら意識されざる物たちは、だが、それに気づいたからといって、別に川田くんを不安がらせる理由のない無害な物たちばかりのように見える —— そう安心しかけたのも束の間、もう一度安心し直す為に視覚を再点検しはじめた川田くんは、ふと、自分の目が何かおかしなものを映していることに気が付いた。間違いない。よく注意すると、視野いっぱいに、意味のないまだらな不定形の影模様のようなものが浮かんでいる。目を閉じたときに瞼の裏側に見えてくる例のあれだ。見ようと意識すると、車両内の全ての物体や窓外の景色の上に
川田くんの家は徒歩10分ほどのお洒落な今風の二階建て。この地域では珍しく両親と三人だけの小家族だ。その小金持ちの
よく陽に当てて、日に50分は散歩させる
とだけあった。けれど、ピンカートンより、まずはこのもやもやのモザイクをどうにかしなければ。だが、1時間まえ講義室でやったように頭を振ってみても、耳たぶを引っ張っても、頬っぺたをつねっても、片眼ずつウィンクを繰り返してみても、顔を洗っても、はたまたヨガ式に深呼吸して逆立ちしてみても、一向に治まる気配がない。医者に行くといっても機能的損傷ではないから眼科では無意味だし、さりとて神経科を受診するのも心理学専攻生としては恥ずかしい。詰まる所、最後はこれしかなさそうだ。川田くんは、キッチンへ行き、冷蔵庫からぎんぎんに冷えたビールを三缶取り出すと胸もとに抱えて来た。それからもう一度行って、大ジョッキにかち割り氷を山ほど放り込み、タカノツメを片手にピンカートンの待つ席まで戻って来る。水槽の正面のソファーに陣取って、
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