ベスト・オーディエンス
湾多珠巳
Excellent Audience
二十一世紀も末に近づいた某月某日。ライブハウス「ドラゴンゲート」は、その日も若者達で溢れていた。
ステージには四人組のロックバンド。演奏は安定していて、オリジナル曲の出来も悪くない。好演、と評して差し支えないだろう。
けれども、暗がりの中にいるお客達は、充分に満足しているとは言い難かった。
「最近人気が急上昇のバンドだって話だけど」
超電導全包囲スピーカーの音響の中、三列目付近にいたもじゃもじゃヘアの青年が、連れの仲間に叫んだ。
「話題が先行してるだけって感じか? 捕って食うにはまだ早すぎるな」
「しょせん、いい気になってる学生バンドじゃん」
多色発光のナノファイバーマスカラでまつ毛をギラギラさせている隣の娘が頷き、さらに後ろでメタリックなスーツ姿のクールガイがふっと鼻で笑った。
「まあ基本はしっかりしてるが、基本しかないってのが痛い。俺としては、まずこの陳腐な歌詞をゼロから作り直せと言いたいが」
「ビートだけ威勢があってもな」
「ソウルが感じられねえ」
「結局、このへん止まりのバンドじゃない?」
他の客達も、口々に辛辣なコメントをリレーしていく。無関係の客に声が届こうとお構いなしだ。悪意があるわけではなく、単に批評を交換しているだけだから、あえて誰も注意しない。客である以上、それも権利の範囲だとの共通認識ができているようだった。
「力んでるの? それともステージにビビってるだけ? 客と通じ合おうって意欲が感じられないんだけど」
マスカラ娘がなおも挑発的な言葉を吐く。バラードのまったりした間奏部分に差しかかっていたので、その声ははっきりとステージ上にも届いた。一瞬強ばったようにも見えるメンバー達だったが、健気に演奏を続けた。すかさず、もじゃヘアから冷やかすような合いの手が入る。
「リアクションがないな。本当に生身のプレイヤーか? プログラムアバターじゃねえのか?」
さすがに数音だけボーカルが乱れた。失笑が広がり、そこからさらに意地の悪いセリフが飛び交い出す。
「お、トチった。よく出来たプログラムだな」
「わざとらしい」
「にしても、調整加工済みの映像アバターでこの出来ってことは、現物はもっと落ちるんだろうな」
「本気でデビューしようって気があるんだかね」
…………
「まあ……いい経験だと思えよ」
ライブハウスのマスターが、控室でうなだれる四人をねぎらった。短い通路の向こう側では、たった今の演奏について、なおもシビアな感想が声高にやりとりされている。
「初めてにしちゃ、拍手は多かった方だぜ。それとも、もう懲りちまったか?」
「いえ、ありがとうございました」
ボーカルの青年がまっすぐ顔を上げた。その目には、その程度で負けるか、と訴える強い意志が宿っていた。
「むしろ感謝してます。あれだけ的確で手強いコメントは、今日び、ちょっと他ではもらえませんから」
「さすがは老舗の『ドラゴンゲート』ですね。本当の音楽通のお客ばかりだって感触があります。多少の野次も腹が立たない」
ドラムスの青年も、むしろ吹っ切れた表情で頬を緩めた。
「遠くないうちに絶対リベンジしますよ。……しかし、あの『プログラムアバターみたい』ってのは、ちょっとショックだったかな」
爽やかに笑う若者達を、マスターは肩を叩いて送り出した。裏口へと消えるメンバーの後ろ姿をしばらく見つめてから、おもむろにステージへと戻る。にぎやかに盛り上がっているライブハウス一杯のお客達には目もくれず、疲れたようにひとりごちる。
「まあ、せめてああいう奴らだけでも、本当のロックをやってほしいよな。しょせん俺の悪あがきなのかも知れんが……ふふ、しかし、音楽のことが分かっているお客、か。残念ながら、今のご時世にそんなありがたい聞き上手どもは――」
舞台脇のコンソールでスイッチをオフ。とたんに、わいわい騒いでいた聴衆の姿が幻のようにかき消えた。一人ぽつんとがらんどうの建物全体を見渡しつつ、マスターは自嘲を浮かべて呟いた。
「まず、集まりゃしないのさ。この演奏批評ソフトウェアのヴァーチャルアバター以外には、な」
<了>
ベスト・オーディエンス 湾多珠巳 @wonder_tamami
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