第49話 想い想われ振り振られ(洸視点)③
「俺は礼ちゃんがいい。礼ちゃんじゃないと意味がない」
声のトーンが変わった。
チラッと横目で確認すると、落ち着いた雰囲気で礼桜ちゃんと向き合う
さっきまでとは顔つきが違う――そこには将来TEZUKAを背負って立つ男が座っていた。
これが素の帝塚か……。
今までの軽い感じだと礼桜ちゃんが聞く耳を持たないと判断したのだろう。
時すでに遅しだが、賢明な判断だな。
礼桜ちゃんは驚くことなく、一瞬で雰囲気が変わった帝塚伊臣をただ静かにじっと見ている。
「………高丘さんね。チャラチャラヘラヘラした感じはもうやめたの?」
「うん。これが本来の俺だから」
「知ってる」
「だよね」
爽やかな笑顔で答える帝塚を見て、今まで無表情を貫いていた礼桜ちゃんがほんの少しだけ口角を上げて微笑んだ。チベットスナギツネが何匹も降臨していた冷めた双眸も、幾分和らいでいる。
「礼ちゃん、今まで本当にごめん」
そう言ったまま頭を下げ続ける帝塚。
礼桜ちゃんを見ると、礼桜ちゃんの双眸はあまりにも
そんな俺の視線を感じたのだろう。
帝塚が頭を下げてこちらを見ていないのを確認すると、礼桜ちゃんは俺と目を合わせ、ふわりと微笑んだ。
その微笑みにつられ俺も口角を上げ、そのまま一つ頷いた。
頷き返してくれる礼桜ちゃん。
その後、意を決したように帝塚のほうに視線を戻した礼桜ちゃんの瞳は、キラキラとキラめいていた。
これから帝塚と向き合って話をすると決めたようだ。
「高丘さんね」
柔らかい口調で話すその言葉を受け帝塚は恐る恐る頭を上げると、礼桜ちゃんに視線を戻した。そして目の前の礼桜ちゃんを見た瞬間、帝塚は瞠目し、仄暗かった双眸が見る見る潤み始めた。
帝塚の前には、無表情でもない、チベットスナギツネを降臨させてもいない、俺らといるときと何ら変わらないいつもの礼桜ちゃんがいる。
ほんま2年間なにやってん、こいつ。拗らせすぎやろ。
きっと帝塚がずっと見たかった礼桜ちゃんなのだろう。
堰き止められなかった涙が、とうとう帝塚の目から流れ落ちた。
「……ごめん、俺、泣くつもりなんかなくて……」
指で拭っているのが目の端に映る。
拭っても、拭っても、なかなか涙は止まってくれないようだ。
「はい。まだ使ってないからキレイだよ」
微笑みながら礼桜ちゃんが差し出すハンカチに帝塚は明らかに戸惑っている。受け取りたいけど受け取っていいのだろうか、そんな帝塚の葛藤が伝わってくる。
なかなか受け取ろうとしないのを見かねた礼桜ちゃんは、ハンカチを帝塚のほうへとグイっと押し付けた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
帝塚はハンカチを大事に持ちながら「使うのがもったいない……」と呟いた。
「じゃあ返して」
「え? それは嫌だ」
「使わないんでしょ」
「でも嫌だ」
「なんだそれ」
「…………」
「…………」
しばらく無言で見合うと、二人一緒に笑い始めた。
笑いながら最後の一粒の涙を落して、帝塚の涙は止まったようだ。
「礼ちゃん」
「高丘さんね」
「ふふ、礼ちゃん」
「高丘さんね」
帝塚は目を閉じ口角を上げたまま大きく鼻から息を吸って吐き出すと、目を開け、礼桜ちゃんを見つめた。見つめる双眸に仄暗い闇は見当たらない。ただ礼桜ちゃんへの想いだけを乗せ見つめている。
「高丘礼桜さん、俺はあなたに出逢ったあの日からあなたのことが大好きです。2年間あなただけを想ってきました。俺には高丘礼桜さんしかいない。だから、あなたの結婚相手候補の一人に俺を入れてくれませんか」
ドストレートに来やがった。
大丈夫だと思うが、礼桜ちゃんはどう返すんやろう。
礼桜ちゃんは帝塚を見つめたまま無言を貫いている。
変わらず何を考えているのか読み取ることはできない。
「ごめんなさい」
「……どうしてもダメ?」
「うん。あなたを信じることができないから」
「…………」
「ああーっ! まどろっこしいから普通に話していい?」
あ、断念した。
「うん、それはいいけど……」
礼桜ちゃんも帝塚みたいに襟を正して答えようと頑張った。その姿勢は褒められるけど、二言でギブアップは早すぎやで。
「あのね、出逢った日から大好きって言われても、会うたびに違う女の子引き連れてるようなやつの言葉なんて信じられるわけないでしょ。それに、何で私なん? その言葉、よさそうな感じの取り巻きの子に言いなよ」
よさそうな感じの取り巻きの子って……、いや言いたいことは分かるけど、言い方!
「彼女たちは勝手に俺に付き纏ってるだけだよ。名前も知らないし」
「はあ?」
「俺から誘った子なんて一人もいない。そんなことより、どうしたら礼桜ちゃんが俺のことを好きになってくれるか考えるのが忙しくて、誰がいたのかさえ知らない」
首をすくめて何でもないことのように答える帝塚と、口をぽかんと開けて唖然とする礼桜ちゃん。
「俺に纏わりついてるのは、俺がTEZUKAの跡取りだからだし。俺自身を見てない奴らなんか最初から相手にするわけないでしょ」
「……前から思ってたけど、最低だな」
「どうして? お互い様じゃない? 誰も俺自身なんて見てないんだから。」
「………………」
「だから嬉しかったんだ。礼ちゃんだけは最初から俺自身を見てくれたから」
「………………」
「礼ちゃんといたら俺、息が吸えるんだよね。すごく呼吸するのが楽なの」
「……高丘さんね」
「ふふっ。礼ちゃん♡」
「高丘さんな」
礼桜ちゃんは、ふうっと息を一つ吐くと、テーブルに肘をつき頭を抱え始めた。
帝塚の話がうまく飲み込めない上、理解できないのだろう。
「ふふっ、やっぱ礼ちゃんは最高だよね」
帝塚の言葉に、礼桜ちゃんはおもむろに頭を上げた。
「高丘さんね。さっきからホント何言ってるの? とうとうおかしくなった?」
「俺はずっと正気だよ。出逢ったときからずっと礼ちゃんしか見てないし、礼ちゃんだけを想ってる」
「高丘さんね。……は? 私しか見てない? 何言ってるの? 女の子たちといつも楽しそうにいたよね!」
「楽しそう? 礼ちゃんこそ何言ってるの? 纏わりつかれてただけって言ったよね? まあ少しは利用したけど。でも、俺はずっと礼ちゃんだけだよ。礼ちゃんのことが大好きすぎて辛い」
「いやいやいやいや。……は? ほんと何言ってるの? 何でだろう。日本語話してるのに理解できない」
「ふふふ、礼ちゃん一人で百面相してる。可愛い」
「高丘さんね。黙れ」
しかめっ面で帝塚を睨んでいる礼桜ちゃん。
反対に帝塚は、憑き物が落ちたみたいにすっきりした顔で礼桜ちゃんを見ていた。
「礼ちゃん、俺はTEZUKAグループの跡取りとして、小さい頃から英才教育を詰め込まれた。もちろん帝王学も学んだ。誘拐されかけたことだって何度もある。重圧に押しつぶされそうになったことも一度や二度じゃない。思うように息ができない窮屈な毎日を過ごしていた。そんなときに礼ちゃんに会ったんだ」
「………………」
「本当はあの日1級を受けるつもりだったんだけど、秘書が間違えて2級を申し込んでてさ。別に行かなくてよかったんだけど、気まぐれで受験しに行ったんだ。そこで礼ちゃんと出逢った。……ねえ、礼ちゃん、俺たちが会ったときのこと覚えてる?」
「高丘さんね。……鉛筆を貸した」
「うん。通路を挟んで俺の隣の席に座ってた、日に焼けて健康的な女の子が筆記用具を忘れた俺に鉛筆2本と消しゴムを貸してくれた。TEZUKAの名前だけで近付いてくる女しか周りにいなかったから、最初その女の子を俺は無視した。だけど、気にする様子もなく、その子は言ったんだ。私はまだ鉛筆とシャープペンがあるから気にせず使って大丈夫だよって。すごく可愛い笑顔で差し出してくれた」
「……よくそんな細かいことまで覚えてるね」
「だってあのときの礼ちゃんの笑顔は俺の宝物だから。一生忘れない」
「その記憶、速攻で消しやがれ」
「あはは、ちょっと無理かな」
「記憶を消すヒミツ道具が欲しい……」
〝高丘さんね〟って言い忘れるくらい衝撃だったのだろう。笑顔が宝物とか言われたら、俺でもさぶいぼが出るわ。(※さぶいぼ=鳥肌のこと)
案の定、帝塚へ向けた礼桜ちゃんの優しさが執心の原因だったか。人助けでまた一人ややこしい男を引き寄せやがって。これは本格的に「人に優しくしません」って教えるべきか?
いや、でもそれはなぁ……。とりあえず後でみんなと話し合うか。
「試験が終わって、もう少し礼ちゃんと話がしたくて、電車で帰るふりをして礼ちゃんと一緒に天王寺駅に向かった。本当は迎えの車が来てたんだけどね」
帝塚は爽やかに笑っているが、反対に礼桜ちゃんの瞳には出かけていたチベットスナギツネが戻ってきたようで目が据わっている。
「高丘さんね。……駅が分からないっていうのも嘘?」
「それは半分本当で半分嘘かな。天王寺に行くときはいつも車だったから駅を利用したことなんて一度もなかったから。だけど、駅がどこにあるか大体の場所は知ってた」
「そっか」
「うん。駅がどこにあるか分からないって言ったら、中3だった礼ちゃん自身も不慣れだったのに、俺のために一生懸命近鉄の改札を探してくれたよね」
「高丘さんね。……迷ったけどね」
「うん、知ってる。道に迷っておろおろしてる姿もめっちゃ可愛いくて、ずっと見てたから」
「ほんといい性格してるね」
「ふふふ、俺もそう思う。だけど、TEZUKA関係なく俺のために一生懸命何かしてくれる子は、礼ちゃんが初めてだったから。めちゃくちゃ嬉しかったんだ」
「高丘さんね。……天王寺駅に着いた時点で、さっさとおいて帰ればよかった」
「2回目、今度は違う試験会場で会ったよね。あのとき俺は運命を感じた。この子だって思った。礼ちゃんも俺を覚えていてくれてすごく嬉しかった。試験が終わった後、二人でお茶したの覚えてる?」
「高丘さんね。…覚えてるよ」
「舞い上がって浮かれていた俺は、礼ちゃんに素性を明かした」
「高丘さんね」
「礼ちゃんの話もたくさん聞いた。俺もたくさん自分のことを話した。とても楽しい幸せな時間だった。だけど、家に帰るとどうしてもTEZUKAの名が纏わりつく。そのとき不安が襲い掛かった。次会ったとき礼ちゃんがほかの女の子たちと同じようにTEZUKAの名に色めき立ってたら……、想像しただけで俺は耐えられないと思った。だから三度目は取り巻きの子を追い払うことなく引き連れて礼ちゃんの前に立ったんだ……」
「その後もずっと取り巻きはいたけどね」
「3回目会ったとき、礼ちゃんは女の子たちを見て少し傷ついたような顔をしたから、その顔が見たくて……。きっと俺は礼ちゃんに嫉妬してほしかったんだと思う。彼女たちはそれに利用しただけだから、礼桜ちゃんに声をかけたら速攻で置いて帰った」
「ほんとクソだな」
「傷つけてごめんね」
「それこそ今さらで、謝る必要なんかないよ。もう過ぎたことだし、今の私には関係ないことだから」
礼桜ちゃんは帝塚の視線を受け止め、静かにそう答えた。
傷つけると分かった上で礼桜ちゃんは帝塚に引導を渡した。
魚庭は今日も花盛り もみじあおい @barumyou
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