第4-2話
あれから2週間。
外は日に日に冷え込みがきつくなって、外行く人の服装も厚手になっている。
手の乾燥も気になってくる。
余談だが、俺たちは宝飾品を出し入れするときは、左手を使う。そして、左手だけ手袋をはめている。
これは万が一にも指紋など付けてはならないからだ。指紋ならまだ落とせるが、爪で引っかいて傷なんか付けてしまった日には、商品が無くなったのと同じだ。
宝石は基本的に硬いので傷はつきにくい。しかし問題は、それ以外の部分だ。いわゆるアクセサリーに使われる、金や銀細工である。これは傷つきやすいし、作りが凝っているほど変形に弱い。
極端に神経質になるのは良くないが、商品保護のためには手袋をはめて繊細な扱いが肝要なわけだ。
では両手に付けないのか? という話だが、これは人による。
例えば、アクセサリーを試着したいという方がいた時に、両手に手袋をしていると付け外しに手間取ることがある。これではお客様に迷惑をかけてしまう。また、書き物をしたり、物を取ったりと細々したことを作業するときのために利き手はフリーのほうが都合がよい。
それでも今は、手袋をしたままスマホ操作やタッチパネル操作が可能なので、両手に手袋を付けたままという人も多くなってきた。
チリチリン♪
さあ、余計なことは置いといて接客に集中せねば。
「いらっしゃいませ」
「あ……、先日はどうも……」
先日のご婦人だな。なんだろう? 浮かない顔をしている気がするが…。
「ああ、こちらこそまた来ていただきまして、ありがとうございます。今日はお一人なんですね」
「はい……。夫は先週亡くなりました」
「えっ!?」
なんだって! あんなに仲睦まじく、俺の話を聞いていたのに。旦那さん、すごく元気だったじゃないか…。
「あっ、こ、これは大変失礼いたしました。しかし、先日のお姿からは想像が付きません」
「あの後、何を買おうか話し合っていたんです。もう、おしゃれという年でもないですし、礼装に合うものがいいんじゃないかと。それが間に合わないなんて……」
口元を押さえて感情を押し殺しているが、あふれるものをこらえられていない。
俺がその場にいたなら、そんな縁起でもない選び方はしないでくれと言っただろうが、現実はかくも残酷なことをするものだ。
「お悔やみ申し上げます、奥様。しかし、それでは当店の用向きは無くなったのではありませんか?」
「…亡くなる直前に、あの人が言いまして。『私の最後の贈り物を受け取ってくれ。本当は私の手で渡したかった…』と」
「…とても、愛されておられましたね」
「はい、はい……」
今にも身体が崩れ落ちそうだったので、支えながら席に着かせた。
あの旦那さんは、最後まで紳士だった。あのような男性はそういないだろう。天命とはいえ、なぜもっと二人の時間を作ってあげられないのか。口惜しさばかりが残る。
幾分落ち着いただろうか。正直、旦那さんが亡くなられて日が浅い。個人的にはもっと時間をおいてからでもいいと思うが、来店されたのだから仕方ない。
「落ち着かれましたか? それで、旦那様からの贈り物は、どういったものでしょう?」
「はい。以前真珠のお話をされましたよね? それで、真珠のネックレスをいただこうかと」
「ああ、確かに。うんちくのやかましい店主で申し訳ございませんでした」
「いえいえ、とても面白いお話でしたよ。それで、真珠の色でアクセサリーの使い方って変わるんですか?」
「そうですね。昔からの白真珠は、冠婚葬祭どこで使っても全く問題ありません。しかし、色付きの真珠は条件を選ぶかもしれません」
「条件ですか?」
「はい。実は色付き真珠が未だ認知されているとは言い難いので、どうしても色の印象で見られてしまいがちなのです。黒であれば
「私は、そういった差別化を良しとはしませんが、世間の風潮はそれを許してくれません。ですので、悲しい事ですが、色付きの真珠は使い勝手が悪いといわざるを得ません」
「そうなんですね。では黒い真珠のネックレスをいただきましょう」
うん? 俺の話を聞いていたら白になると思うんだが、黒なのか?
「よろしいのですか? 黒は先ほども申し上げましたように、葬儀等で使うものですが……」
「構いません。もうそれくらいしか使い道がありませんし。私も早くあの人のもとに……」
むっ。
「お客様。それはなりません」
「え?」
「旦那様がなぜ奥様に贈り物をしたかったのか。それをよく考えてください。その贈り物は命数わずかな人に託すものですか? きっとずっと長く大事に身に着けてほしかったはずです。その願いを
「……」
「私はお二人が以前いらしたときに、とても幸せそうに見えました。それが突然崩れるとは、まことに残念に思います。ですが、残された者が後を追うような思考にはなってほしくありません」
「真珠には『人魚の涙』という別名があります。これは、古い物語がもとになっているんです」
「ある日、海にすむ人魚は、陸の男に恋をしました。二人の仲はとてもよかった。しかし、住む場所が交わらないことが悩みだった。それから時が経って、人魚は海に、男は陸にそれぞれ戻らなければならなくなった。強制的に別れることになったのです。二人は別れを惜しみ、人魚が涙したところ、それが一粒の宝石になった。それが真珠です」
「人魚はその宝石を男に渡しました。そして『それを私だと思って大切持っていてほしい。』そう言うと人魚は沖へ去っていきました。男はその石を生涯大切にしたといいます」
「旦那様が奥様に想いを託したかったのだとしたら、それを無下にするものをお売りするわけにはいきません。宝石に悲しみを背負わせることはできないんです」
「……そうですね」
奥さんの声はかすれるような小さい声だった。だが、
「申し訳ありませんでした。貴方の言う通りです。白い真珠をください」
「お分かりいただけましたか」
「私は道を誤まるところでした。今日帰ったら、あの人に謝ります」
「白い真珠はどんなところでも使えるとおっしゃいましたね。それなら、肌身離さず身に付けます。あの人とずっと一緒にいるためです」
「素晴らしい。それでこそ、旦那様もお喜びになります」
「店長さん、いいのを選んでくださいね」
「もちろんです」
愛する人を失った悲しみはそう簡単に拭えるものではないだろう。
だからって、自分まで不幸になることなんてない。
実は人魚の涙はバッドエンドなのだ。
二人が離れ離れになるのは一緒だが、そこからのストーリーに幸せな展開がない。
男が人魚を忘れられずに海に飛び込んだとか、金に困った男が宝石を売ってしまっただとか。やるせない話があちこちにある。
だから俺は、そこを伏せた。『形見』とは悲しみを背負うことじゃないじゃないか。
多少無理はあったかもしれないが、勇気づける話にしたって罰は当たらないだろう。
宝飾店の他人情事 町田まるひこ @maruhikomachida0012
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