第4話 人魚の涙

 だいぶ肌寒くなってきたようだ。外の風も強い。

 街路樹の葉が落ちてくると、掃除の時間が増える。店内だけ気にしていればいいというわけにいかないからな。

 そろそろ暖房の季節か。また金がかかるな……。どっかの誰かが増税なんかするから、店をやるのも楽じゃない。


 チリチリン♪


 さてさて、暗い顔をしていても仕方ない。今日もしっかり仕事せねば。


「いらっしゃいませ」


「お邪魔いたします」


 入店されたのは、還暦を過ぎたかというあたりのご夫婦のようだ。

 旦那さんと思われる男性は、帽子を取り、一礼してから入店した。大変礼儀正しい。


「どうぞ。気になるものがございましたら、いつでもお声がけください」


 お客様にはペースがある。いきなりあれやこれや話しかけるのは、押し売りと間違われるので、タブーである。

 宝飾店には、普段見慣れないものが置いてある。それらをゆっくり味わう人も多いのだ。


「すてきね。こういうのはいくつ見ても飽きないわ」


 ご婦人のほころぶ顔がほほえましい。


「あまりこういうものも買ってやれなんだ。好きにするといい」


 こうしてお互いの歩調を合わせるところが、長く過ごしてきた人生の重みを感じる。


「そうですね…、あら? これは何かしら?」


 ご婦人が足を止めたのは、真珠のディスプレイだった。


「真珠……だろうが、色がバラバラだな。同じものなのかな?」


 なるほどな。真珠を白だけだと思っている人は多い。実際、つい最近までは白しかなかった。それが現在ではカラーバリエーションがとても豊富になっている。


「お客様。それらはすべて『真珠』ではありますが、同じものかどうかは難しいかもしれません」


「店主。それはどういう意味です?」


「真珠が貝から採れることはご存じですか?」


「それくらいは知っている。養殖もしているだろう」


 おお、なかなか詳しいな。真珠の養殖法は日本人が編み出したことや、養殖真珠のおかげで、市場に大量に出回ることが多くなったから、有名であることは確かだが。


「おっしゃる通りです。ですので、同じものではないと申し上げたのは、真珠を作る貝の種類が異なっているためです。白い真珠はアコヤガイ、黒い真珠はクロチョウガイ、黄色や金色はシロチョウガイ。他にもたくさん種類があります」


「ほう。そうだったのか」


「ですが、真珠の成分に違いが出るわけではありません。真珠は炭酸カルシウムの結晶で、いわゆる『貝殻』です。ですので、理屈で言えば、貝なら何でも真珠をつくれることになります。その理屈を試行錯誤した結果、このように色鮮やかな真珠が世に広まることになったのです」


「なるほど。面白いですね」


「真珠の養殖法が発見されてから、まだ100年ほどしか経っていません。なのに、こうして真珠のバリエーションが豊かになったのは、より美しい真珠をつくろうと、研究者たちが努力を重ねた結晶といえるでしょう」


「…私らもそこそこの年月を生きてきたが、真珠の進化のスピードには驚かされるな。もう先が短いかもしれないが、もっと進化していくのかもしれん」


「何をおっしゃいます。まだまだお元気ではありませんか」


「ふふふ。気を遣わせてしまってすまないね。だが、私らの年ではいろんな進化についていくのが厳しい。老人は身を引く時が来るものだ」


「……」


 重たい言葉だな。まるで、身を引く時が分かっているような口ぶりだ。それも悟っているんだろうか。

 俺にもいつかそんな時が来るんだろうか。来るに決まってるんだろうが、想像できない。したくない。


「あなた。あまり店員さんを困らせないでください。そろそろ行きましょう」


「なに? まだ何も選んでないじゃないか」


「見てるだけで楽しかったわ。ちゃんとお目当てを決めてこなかったし、また来ましょう」


「そうか。仕方ない。店長申し訳ない。また出直させてください」


「いえいえ、次の来店をお待ちしております」


 宝飾品は高価だから、一度で決められない人などいくらでもいる。

 それに身に着けるものなら、余計にまとまらなくなってしまってもおかしくない。こういうことは日常茶飯事だ。


 しかし、今は人工製造の宝石も質が高くなってきた。

 いつか天然物より良いものが作られる時代が来てしまうのだろうか。

 そうなったら、俺はこの仕事続けられるんだろうか。

 進化が恐怖に置き換わる時が来ないことを願うしかないな。

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