第16話 天弓の彩


 天頂高くより、黒瑪瑙オニキス金剛石ダイヤモンドの双つ星が目映い光を彩の地クローマへ降り注いでいる。風烏アエリーゾが柔らかな風を運び、北の峰々に吹き渡る。騒々と緑は葉音を鳴らし、草原に咲く花弁はなが甘い香りで彩りを添える。急坂の途中、イーリスは頭布がはためくのを押さえながら立ち留まった。

 

みな、まだいけるかい?」

 

 後方に連なるは混色ハオスの人々。鮮やかな靑や朱、黄や翠と様々な色の入り混じった髪を有している。金紅石ルチルの髪を揺らし、ペオニアが穏やかな笑みを見せる。

「あたしはまだ歩行あるけるよ」

「そうかい?無理はしないでおくれよ」

 白い歯を見せて、イーリスは笑う。

「寧ろあんた、クスィフォスの処に行ってやらなくてあいのかい?ずっと後方の警護をしていて、不貞腐れていないかい?」

 

 ペオニアの言葉にイーリスは頬を掻く。イーリスたちは現在いま純色アグノスからの侵攻から逃れるべく、彩の地クローマの北方に位置する山脈を越えていた。イーリスとクスィフォスで送者ディミオスに打撃を与えたのが功を奏したらしい。送者ディミオスからの追撃は遅れを取り、何とか山脈超えまで至っていた。イーリスは唸るような聲を漏らしながら首を捻る。

「流石に、大丈夫じゃないか?餓鬼じゃあるまいし」

「ふふ、ついこの間まで子供扱いしていたのに」

「お黙り」

 イーリスはペオニアの頬を抓った。ペオニアは愉しげにからからと笑い、周囲の混色ハオスの者たちも肚を抱えて笑う。

 

「何笑ってんだよ」

 

 矢庭に、少年の澄んだ聲が鳴ると、イーリスの背が軽くはなかれた。後方より来たらしい。クスィフォスが黒曜石オブシディアンを、半眼はんまなこにして立っている。イーリスは目を瞬かせる。

「クスィフォス、どうしたんだい」

「後ろの奴がへばってる。一旦休憩にしよう」

「ああ、そういう。わかった。――よし。みな、一旦休憩するよ!」

 イーリスの一喝で、混色ハオスの男女たちは安堵の表情いろを貌に浮かべた。各々が木陰に坐り込み、団欒したり水を飲んだりする。

 

「……あんた。それずっとそのままにすんの?」

 クスィフォスがイーリスにのみ聞こえる忍び聲で云う。イーリスは頭布を手ではためかせながら振り返った。

「ああ、これ

 頭布からは豊かな黄石トパーズ瑠璃ラピスラズリ。何の変哲もない、混色ハオスの色。されど、偽りの色。じっと宝石の髪を見詰めるクスィフォスにイーリスは苦笑いを浮かべる。

「髪色が変容かわっていたら気味悪く思うだろう?」

「俺はすぐ慣れたぞ」

みなみな、お前と同じじゃあなあんだ。混色ハオスでも純色アグノスでもない、無色。何者にもなれない、仲間外れの色なんて、受け入れない者の方が多いのさ」

「無色?何者にもなれない?――俺は違うと思うけどね」

 クスィフォスは水袋を仰いで喉潤したのち、唇をぺろり、と舌で舐めて湿らせる。その仕草が妙に妖しく、イーリスは一寸どきりとするが、平静を装う。それを見破ってかクスィフォスがイーリスを一瞥した。

 

「イーリスのその髪は何者にもなれる色だと思うけどな」

 

「……何者にもなれる?」

 イーリスは小さく言葉を零した。するとクスィフォスの手が伸ばされ、イーリスの偽りの宝石の髪を撫でる。愛おしそうに目を細めて。

「ああ。俺にはあらゆる星に掛かる虹のような、そんな色に見えたよ。どんな星より澄んでいて色鮮やかで――綺麗だ」

 クスィフォスがイーリスの髪束に口づけする。イーリスは貌を赤くし、視線を反らした。それが愉快に思えたのか、にやにやとクスィフォスは笑い、その貌を覗き込もうとする。

「おい、やめないか」

「いや、可愛くてつい」

「あたしに一番似合わないことばだぞ、それ」

「俺には似合うように思えんの」

 クスィフォスがからからと笑った。イーリスは半眼はんまなこで少年を見詰め返した。男のように上背のあり、筋肉質で柔らかさのない体躯。腕っぷしもクスィフォス以上にある。そんな己が「可愛い」はずあるまい。

 クスィフォスは笑うのをしまうと、目元を和らげて静かに告げた。


「まあ、イーリスの好きにするといいさ。気になるなら髪もそのままで構わねえ――それに」

「それに?」

「あんたの本当の髪を俺だけが知ってるってなんか優越感があっていい」

 クスィフォスの貌には妖しげな、男の不敵な笑みが浮かべられている。イーリスはふたたびするが心臓がきゅっとするのを感じたが、今度は平静を装う。負けっぱなしは性に合わない。イーリスはその白い少年の額を指で弾いた。

「お黙り、生意気云うんじゃないよ!」




 

 漆黒の王セリニ純白の王イリョスの双つ星が照らす、彩の地クローマ。その地に住まう者はみな、鮮やかな彩りをその髪に有する。ひとつの色を有する純色アグノスと、複数の色を有する混色ハオス。彼らは双つ星の瞬きと雨烏シーネフォの清水を受けて永遠に等しい生を持つ。

 昊に掛かる橋をその髪に有する者。その者は何者にもなれる、ただひとりの民。彼女は彩の地クローマを変革するのか、それとも――それは誰にも、わからない。

 

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煌星の天弓 花野井あす @asu_hana

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