第3話 狼は少女と出会う

「……か」

 どこからか音が聞こえる。何の音だろう。

「大丈夫ですか?」

 大丈夫?大丈夫とは、誰に言ってるんだろう。

「聞こえていますか?」

 やけに声がはっきりしている。もしかして、自分に話しかけているのだろうか。

 そう気づいた瞬間、ミツキははっとして目を開けた。

 目の前に、ミツキと同じ年代くらいの少女がいた。

「ああよかった!」

 少女はそう言って、大きく息を吐いた。

「えっと……ここは……」

 ミツキはゆっくりと体を起こした。そこは山の中に作られた遊歩道のようだった。辺りは少し明るくなっている。鳥の鳴き声が聞こえる。

 山の中で術に嵌まり、彷徨ったのを覚えている。そこで古殿が助けに来てくれたのだ。

「そうだ!センセイは?」

 ミツキは隣にいた少女に話しかけた。

「先生?もしかして、誰かと一緒にいて、はぐれたんですか?」

「はぐれたというか、男の人が一緒にいたはずなんです」

「男の人?いえ、見てないです。わたしがここを通りがかった時、倒れていたのはあなただけでした」

「私だけ?いや、そんなはずは」

 そこまで言って、ミツキは辺りが明るいことが指す意味に気が付いた。ミツキが山の中を彷徨っていたのは夜のはずだ。あれからいったい、何時間が経っている?

「スマホ……」

 ポケットに手を突っ込んだが、そこにあるはずのスマホはなかった。

「あの、これですか?横に落ちてましたよ」

 少女がスマホを差し出してきた。画面中にヒビの入ったそれは、確かにミツキのものだった。

 どうやら衝撃で壊れたらしい。電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わなかった。

 ……衝撃?そう思い、ミツキはふと上を見上げる。

 上の方にせり出した岩が見えた。スマホのヒビの入り方から見るに、その岩からミツキは落下したようだ。

 ミツキの中で、解が出た。あの時の古殿の姿は、術による幻覚だったのだ。ミツキは彷徨った末に岩の上までたどり着いてしまい、古殿の姿を幻視して岩から落ちたのだ。

「あの、救急車呼んだ方がいいですか?どこか痛いところとか、ないですか?」

 考え込むミツキに、少女が気遣うような声をかけてくる。

「いえ、大丈夫です。これでも人より丈夫なんで」

 そう言って、ミツキは立ち上がった。すり傷が少しあるだけで、体はぴんぴんしている。

「ああ、そんな急に立ち上がっちゃだめですよ!頭とか打ってるかもしれないのに!」

「ご心配いただきありがとうございます。でも、大丈夫なんですよ」

 ミツキはぐっと伸びをした。そして、古殿に連絡を取ろうとして……スマホが壊れていたことを、思い出した。

「あの、助けていただいた上に申し訳ないんですけど……」

 ミツキは少女に顔を向けた。

「連絡を取りたいので、スマホ、貸していただけませんか?」


 三十分後。ミツキは少女の家にいた。

 少女の名は万木ゆるぎ日奈ひなという。少女の家に着くまでに、二人は打ち解け、お互いを「ミツキちゃん」「ヒナちゃん」と呼び合う仲になっていた。

 ミツキが歩ける状態なら、山の中の遊歩道よりヒナの家の方が迎えに来るのに分かりやすいと、ヒナが提案してくれたのだ。 

 ヒナの住むアパートは、山の近くにあった。日課の散歩をしに、早朝からヒナはあの遊歩道を歩いていたのだという。

「はい、ミツキちゃん。ぱっと作ったものだけど、これでよかったら、食べて」

 ミツキの前にトーストの乗った皿が置かれる。それもただのトーストではない。ハムエッグトーストだ。その隣に、カフェオレも置かれた。

「わあ、ありがとう!」

 向かいにヒナも座る。二人とも手を合わせ、いただきますを言う。

 半熟卵から流れ出した黄身がミツキの口の中に広がる。

「うん、おいひい!」

「えへへ、お口に合って良かった」

 ヒナはアパートで一人暮らしをしているようだった。その理由を、ミツキは聞いてはいない。

「それにしても、ミツキちゃん、朝早くからあんな山の中で何してたの?」

「えっと……トレーニング、かな」

「へえ。先生とか言ってたし、部活か何か?」

「いや、部活じゃないけど、ちょっと個人的に体を鍛えたくて。あと、センセイっていうのは、私の親みたいなものなんだ」

「そうなんだ」

 ミツキの返答に何か感じ取ったのか、ヒナはそれ以上は聞いてこなかった。

 ご飯のお礼として、洗い物はミツキがすることにした。リビングの方から、ローカルニュースが聞こえてくる。

『……葦原市の住宅で、男性が殺害された事件について、犯人は未だ見つかっておらず……』

「怖いねー。これもう一か月経つじゃん」

 ヒナが言う。

「……うん」

 ミツキは水道の栓を閉じた。

「ヒナちゃん、散歩の時間遅くした方がいいかもよ」

「あんな所で倒れてたミツキちゃんがそれ言う?」

「それを言われると……。まあ、最近日が昇るの早くなったからって、夜明けはまだ油断できないからね」

「そうだよね」

 その時、ミツキの鼻がにおいを捉えた。古殿だ。トン、トンとアパートの外階段を上がってくる音。

「ヒナちゃん、色々ありがとう。センセイ来たから、帰るよ」

「え?まだ何にも……」

 ピンポーン、と古ぼけた呼び鈴の音が鳴る。

「ほんとだ!はーい」

 ヒナが玄関に走っていく。ドアを開けると、そこには古殿が立っていた。昨日と同じ服装のままだ。

「初めまして。古殿です。この度はうちのミツキがお世話になりました。」

 古殿は深々と頭を下げ、ヒナに紙袋を渡した。

「えーっ、これ『パヴァーヌ』のクッキーじゃないですか!すっごくおいしくて好きなんですよ!ありがとうございます!」

 ヒナは飛び上がりそうなくらい喜んでいる。

「喜んでもらえてよかったですよ。ほらミツキ、帰るぞ」

「うん!」

「あ、ミツキちゃん、ちょっと待って」

 ヒナが一度リビングに戻った。そして、小さなメモを持ってやってくる。

「これ。スマホ直ったら、登録してくれる……?」

 メモには、トークアプリのIDと電話番号が書かれていた。

「もちろん」

 ミツキは受け取って、ポケットにしまった。

「じゃ、ほんとにありがとう。ええと……」

「またね!」

 そう言って、ヒナがにこやかに手を振る。

「そうだね、またね」

 ミツキも手を振り返した。

 ヒナは二人が車に乗り込むまで見送ってくれていた。

 ヒナの部屋の扉が閉じるのを見届け、車は発車する。

「センセイ、ごめんね。昨日、パトロールが途中までできなくて」

「いいさ、ミツキが無事なら。昨日は本当に心配したんだ、電話しても全然繋がらないし。それで、何があった?」

 古殿の口調はミツキを気遣うようなものだった。

「えっと……多分だけど、古殿一族の妖術が山に張り巡らされていて、それに引っかかった。幻術にも引っかかって、岩から落ちて遊歩道に倒れていたところを、朝になってヒナちゃんが見つけてくれたってところかな」

「そうか」

 古殿はため息をついた。

「今日昼から本家に挨拶に行くってのに、文句の一つでも言いたくなるな」

「嫌がらせかどうかも分からないけど。でも、あの術をかけたやつの顔は見てみたいな」

「そうだな」

 古殿のお腹がぐぅ、と鳴る。ミツキは自分だけ朝ご飯を食べたことが気まずくなった。

「ごめん、センセイ。……電話かけるまで、ずっと探してくれてたんだよね」

「気にするなって。安心したら腹が減っただけだ。帰ったら俺は先に飯食うから、ミツキは風呂入るといい」

「うん。ありがとう」

「ミツキ、なんか嬉しそうだな」

「そう?」

 ミツキはポケットに手を突っ込んだ。ヒナからもらったメモの感触がある。

「友達、できたからかも」

 そう言って、ミツキはメモの表面を撫でた。





 

 

 




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古殿霊能相談所の狼 播磨光海 @mitsumi-h

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