第2話 夜の見回り

 持ってきた荷物の整理は、二時間ほどで終わった。

 ミツキ専用にと決めた部屋は、十畳ほどもあった。狭苦しいアパートとは大違いで、ミツキは内心でかなり喜んでいた。

 古殿はどこかに電話をかけている。恐らく、古殿一族に苦情の電話を入れているのだろう。ミツキはそれを尻目にせっせと家中に掃除機をかけた。

「ミツキ。そろそろ飯行くか」

「はぁい」

 掃除機をかけ終わって片付けていると、電話を終えた古殿が声をかけてきた。ぐぅ、とミツキのお腹が鳴る。

「何がいい?」

「ハンバーガー!」

「遠慮するなって。寿司とかでもいいんだぞ。回るやつだけど」

「んーでも、今日はハンバーガーの口だから」

 掃除をしながら、ミツキはハンバーガーのことを考えていたのだった。

 家の外に出る。空はオレンジ色になっていた。ここに来るまでに感じていたツンとするようなにおいはもう無くなっていた。恐らく、結界の種類をミツキにも害のないものに変えたのだろう。

 大規模な結界を短時間で張り替えたという事実は、古殿一族に相当の実力者が複数人いるということを示していた。

 カラスはもういない。監視の目は必要なくなったということらしい。

 二人は車で国道沿いのハンバーガーショップに向かった。

「明日、古殿の本家に挨拶に行くことになった」

 BLTバーガーをかじりながら、古殿が言う。

「めんどくさいね」

 ミツキはそう言って、ダブルチーズバーガーにかぶりついた。口の中にチェダーチーズの旨味が広がり、幸せな気分になる。お腹が空いているので、チキンナゲットは十ピース入りを頼んでいる。

「ああ、面倒だ。でも本家に連絡なしに俺も仕事はできないからな」

「仕方ないよね。いざという時に連携取れなかったら困るし」

 情報収集は妖術師の基本だ。ミツキ達は、フリーの妖術師が地元の妖術師と接触せずに活動し、その結果情報不足で強力なあやかし相手に命を落とすのを何度も見てきている。だから、古殿は新しい土地で仕事をする時、地元の妖術師がいれば必ず挨拶をし、土地を離れてからもたまに連絡を取っている。

「とりあえず、今晩は葦原あしはらを見て回る許可は得た。俺は街の方を車で回るから、ミツキは山の方を頼む。あ、本家は山の近くにあるから、敷地には近づきすぎるなよ」

「了解」

 チキンナゲットの最後の一ピースを、ミツキは口に放り込んだ。

 ハンバーガーショップの駐車場で古殿と別れ、ミツキは北に向かう。

 葦原市は横に長く、北部が山地になっている。地図で見た所、ミツキの足と鼻があれば、一晩で山の様子は把握できそうだった。

 北に向かうにつれ、建物は少なくなり、田畑が増えてくる。スマホで地図をよく見ると、山地の東側にトンネルがあり、その脇から山に入れるようになっていた。

 電灯の数が少なくなってくる。ミツキは形の良い鼻をひくつかせた。怪しげな気配は、今の所無いようだった。

 目的地が近づいてきた。坂道を上ろうとして、ミツキはぴたりと足を止めた。

 焦げ臭いような、腐ったような、そんなにおいがトンネルからする。

 ミツキはスマホで古殿に電話をかけた。

『……はい。お疲れ様、ミツキ』

「東のトンネル……えっと、由良坂トンネルって所、『いる』よ。どうする?」

 いつもならこのまま乗り込んで退治する。しかし、今はまだ古殿一族とも話ができていない。下手に手を出して、後から地元の妖術師に文句を言われるのは避けたいところだった。

『そうだな』

 古殿が少し考える気配がした。数秒後、

『人に害を与えそうならやれ』

と告げられた。

『本家の方には俺から話を通しておく』

「分かった。行ってきます」

 ミツキはスマホをズボンのポケットにしまった。そのままゆっくりと坂道を登っていく。

 車は一台も通らない。ミツキのスニーカーがアスファルトを踏む音だけが聞こえる。

 においはだんだん強くなる。その時、轟音がトンネルから響いてきた。

 一気に坂道を駆け上がる。トンネルに入ると、一台の車が壁に衝突していた。運転手は気絶しているのか、ぐったりとしている。においからすると、命に別状はないようだ。

 そして、常人には見えない―――しかしミツキには見える一匹の大蜘蛛が壁を這っていた。

 大蜘蛛が前脚を車に向かって振り下ろそうとする。その瞬間、ミツキは一歩を踏み出していた。

 尋常ならざる脚力で地面を蹴り、大蜘蛛に飛び掛かる。ミツキの艶のある黒髪が銀色へと変わっていく。狼の耳と尻尾が生える。大蜘蛛を壁から蹴り落とすと、ミツキは着地した。大蜘蛛は地面に転がってひっくり返り、脚をバタバタとさせている。

 ミツキの手には刀が握られている。すらりと鞘から抜き、ミツキは大蜘蛛の口元へと突きつけた。

「このまま去るなら見逃してやる。だが去らないならこのままお前を討つ」

 大蜘蛛が威嚇するように脚を振り上げ、糸を吐く。ミツキはそれを事も無げに避けると、刀を構えなおした。

 一瞬、ミツキの胸に憐憫の情がおとずれる。それを振り切り、ミツキは刀を振り下ろした。

 断末魔の悲鳴を上げ、大蜘蛛がさらさらと消え去る。

 ミツキは刀を鞘に戻した。狼の耳と尻尾が消え、髪が黒に戻っていく。

 スマホを取り出し、救急車と警察を呼ぶ。それが終わると、ミツキは古殿に電話をかけた。

『もしもし』

「終わったよ、センセイ。大蜘蛛だった。事故にあった人がいたけど無事だよ、消防と警察には通報した」

『お疲れ様、ミツキ。こっちも本家には連絡しておいた。緊急性が高い場合は手出ししていいそうだ。よろしく頼む』

「はぁい。じゃ、これから山の方見てきます」

 ミツキはそう言って、通話を切った。

 救急車のサイレンが近づいてくる。これ以上は居ても無駄だと思い、ミツキはトンネル脇の道へと入っていった。

「この辺でいいか」

 ミツキは立ち止まった。一陣の風が吹く。風が去った後、そこには一頭の銀狼の姿があった。

 狼の姿になるのは久しぶりだ。地面の感触がダイレクトに伝わってくる。ミツキは山の中を勢いよく駆け出した。

 夜風が心地よい。夜行性の生き物たちのにおいが鼻腔をくすぐる。

 途中、何度か立ち止まっては鼻を動かす。どうやら、山地も古殿一族の目が行き届いていて、あやかし達はいないようだ。

 山地の中ほどまで来た時だった。ミツキはふと足を止めた。

 鼻が利かなくなっている。背筋がぞくりと粟立つ感覚がした。

 何かの術にかかってしまった。それだけは分かる。恐らく相手は古殿一族の者だろう。ミツキに関する通達が届いてなかったのか、はたまたそれを分かっていてやっているのかまでは分からないが。

 ともかくここから急いで離れよう。そう思ってミツキが走り出した途端、体が横に倒れた。

 どうやらあやかしの動きを鈍くする術らしい。ミツキは人間の姿に戻ることにした。

 多少は術の効き目が緩和されたが、それでもふらふらとする。スマホを取り出して古殿に連絡しようとしたが、地面に落としてしまった。何とか拾い上げ、ミツキはよろよろと歩き出した。

 妖術師は姿を見せない。ミツキの動きを鈍らせて以降、何の攻撃もしてこない。ただの嫌がらせだろうか。

「助けて……センセイ……」

 物音を頼りに、ミツキは山の中を彷徨った。

「大丈夫か、ミツキ!」

 突然古殿が目の前に現れた。

「センセイ!よかった」

 ミツキは古殿にすがりついた。

 その瞬間。ミツキの体は宙に浮き、地面にたたきつけられた。

 

 


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