古殿霊能相談所の狼
播磨光海
第1章 その狼は少女と出会う
第1話 ある晴れた春の日に
生臭いにおいがする。
その中に混ざる、母のにおい。
口の中で、土と血の味がする。
村の狼たちのにおいが猛烈な勢いで近づいてくる。
「貴様!」
「よくも姫様を!」
辿り着いた狼たちが口々に吠える。
そして、狼たちの奥から長老が姿を現した。
「やはり貴様がわが娘を殺めたのだな」
目の前には温もりを失っていく母の体がある。
わたしは何も言えず、黙っていた。ああ、口の中の血が不味い。早く吐き出したい。
「命だけは奪わんでおいてやる。だから、早く出ていけ」
憎しみの籠った眼差し。わたしは長老に背を向け、夜の森を駆け出した。
水の音が聞こえる。近くに川がある。この川を渡れば村の外だ。
川に近づいて、水面を覗き込む。月明かりに照らされたわたしの姿は、赤く、血にまみれていた。
***
高速道路を走る車内では、「Autumn Leaves」が流れている。「枯葉」なんて季節外れすぎるだろう、とミツキは思う。なんたって今は三月の終わりかけで、早いところでは桜も咲きかけている。こういう曲は温かいキャラメルマキアートを飲みながら聴きたい。
「ねえセンセイ、曲変えていい?」
「だぁめ、俺の好きな曲なんだから。ミツキも知ってるだろ。終わってからならいいぞ」
「はーい」
ミツキはスマホで音楽再生アプリを開くと、「Autumn Leaves」の後に流行りのポップスを割り込ませた。ジャズ好きの隣の男、
「あとどれくらいで着きそう?」
「三十分くらいかな。高速降りたら割とすぐだ」
「今度はどれくらいいるつもり?」
ミツキは小学校に入学した年から、「古殿霊能相談所」なんていう怪しげな看板を掲げて仕事をしている古殿と各地を転々としている。この問いかけも、引っ越し先に向かう車の中で毎度しているものだ。だから、今度も同じ答えが返ってくるものとばかり思っていた。なのに、
「ずっとだよ。ミツキが高校卒業してもずっとね。俺は、だけど」
なんて、予想もしていなかった答えが返ってきて、ミツキは驚いてしまう。
一か月程前のことだった。期末試験の結果が返ってきて、まあ上々だ、今日はご褒美にステーキでもねだろうかと鼻歌交じりに帰ってきてみたら、たった一言「移るぞ」と言われたのだ。いつもその一言で引っ越しの準備をするから、別段大変なわけではなかったけれど。
「ずっと、って。センセイの……故郷、だから?」
故郷、とミツキは口の中でもう一度呟いてみた。故郷という言葉もそれが持つ意味も、ミツキにとっては馴染みがない。
「そうだな。もうこの年になると、引っ越し繰り返すのも辛いもんだ。それに、そろそろ腰を落ち着けて仕事をしたいからな。ああ、心配しなくてもさ、そこをミツキの故郷にしようなんて言わないから」
「うん」
その言葉に、ミツキはほっと安堵の息を吐いた。
「Autumn Leaves」が終わった。ミツキが割り込ませた流行りのポップスが流れ出す。
「なんだミツキ、こんな曲も聴くんだな。……あー」
古殿がミツキを横目で見て、気まずそうに言う。
「もしかして、引っ越しのこと、怒ってる?」
「怒ってなんかないよ、毎年のことだから。でも」
ミツキは後部座席の荷物の群れに目をやった。その中の一つに、終業式で貰った寄せ書きが入っている。高校に入学して、一年しか共に過ごさなかったクラスメイト達全員からの。今まで転校する度に貰ってきたそれらを、ミツキはどうしても捨てられずにいて、引っ越すたびに数が増えていく。
「ちょっと、寂しい?」
「……うん」
いま流しているポップスは、クラスメイトに誘われてカラオケでクリスマス会をした時にみんなで歌った曲だ。
ミツキはどこに行っても、深い交友関係を築こうとしてこなかった。どうせ毎年転校するし、それにミツキは―――罪人だ。
でも向こうからぐいぐい来るもんだから、断り切れずに高校の文化祭の打ち上げもクリスマス会も行った。それは思いの外楽しかったから、引っ越しが決まった時、まず脳裏に浮かんだのはその時のことだった。
「ごめんよ。友達と引き離してしまって」
「謝らなくていいよ。センセイの仕事のことだし……私も仕事に必要になるんでしょ」
「うん。頼りにしてる」
「まかせて」
ポップスが終わって、またジャズに戻った。
「着くまでまだ時間あるから、ミツキの好きな曲入れてもいいんだぞ」
「いいよ。ジャズ聴こう」
車が高速道路を降りて、市街地に入る。道路の桜はところどころ花を咲かせている。
ミツキはこれから自分が暮らすことになる街の景色に目を向けた。
コンビニが四軒に、スーパーが二軒。生活には困らなさそうな街だ。
所々にある畑で、菜の花が風に揺られている。
「のどかだね」
「ああ、そうだな」
「窓、開けてもいい?」
「ちょっと待ってくれ。花粉が入ると困る」
赤信号で車が止まる。ミツキはダッシュボードからマスクを出して、古殿に渡した。
「よし。開けていいぞ」
ミツキは窓を開けた。春のそよ風が入ってくる。その中に、ミツキの鼻はツンとくるにおいを感じ取った。
「……くさい」
「どんな感じの?」
「ツンとくる感じ。街中に結界が張ってある」
「そりゃ、古殿一族のお膝元だからな」
古殿一族。それは、「妖術師」と呼ばれる集団の中でも強い力を持つ一族の一つだ。人々を悩ませ惑わせる「あやかし」の退治を専門とする集団。ミツキは今までも仕事上他の一族の妖術師に会ったことがあるが、皆一様にミツキのような「混ざりもの」には冷淡で、蔑むような視線を送ってきた。ミツキが会ったことのある妖術師の中で、ミツキに優しかったのは古殿だけだ。
「センセイが元いた所っていうから、いい所だといいなって思ってたけど期待外れだよ。このにおい、嫌いだな。『排除してやる』って感じ」
ミツキは窓を閉めた。これ以上嗅いでいたら、頭が痛くなりそうだった。
ミツキは狼と人の間に生まれた子だ。嗅覚も優れているし、妖術も少し使える。ただ、半分だけあやかしの血が入ったミツキの体に、対あやかしの術は効いてしまうのだった。
「ミツキにそれだけ効いてるなら、大抵のあやかしはここにいないだろうな」
「これ、私の出番ある?」
「あるある。だって一族の方から俺に連絡が来たんだからな。後で古殿一族には連絡しておく、俺の優秀な助手が困るので結界の種類変えてくれって」
「それで変なの入ってきたらどうするの」
「ミツキならやれるだろ」
「まあ、そうだけど」
ふと、気配を感じてミツキは外を見た。電線に留まった鳥が、種別を問わず一斉にこちらを見ている。
「見られてるよ」
「監視が好きな連中だからな」
「前もって言ってなかったの?私みたいなのが来るって」
「前もって言ってたから、この程度で済んでるんだろうな。言ってなかったら結界に入った途端問答無用で攻撃だ」
「嫌な奴らだね」
「ああ。……着いたぞ」
住宅地で車が止まる。二階建ての古い日本家屋が目の前にあった。
「ここ?」
「そうだ」
カーポートに、門と、小さな庭がある。今までアパート暮らしを繰り返してきたミツキには、二階建ても庭も全てが新鮮だ。
「気に入った。今までで一番いいかも」
「そうか。それならよかった」
後部座席から荷物を下ろす。前のアパートの家具は据え置きだったから、荷物はそう多いわけではない。
「今日からここが俺たちの家だ。よろしくな、ミツキ」
「うん」
屋根の上でカラスがカァ、と鳴いた。
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