第38話 書く権利がある人、書く義務がある人

今や押しも押されぬ視聴率女王のマツコ・デラックスさんだが、30代まではゲイ雑誌の編集者として働いていたのはご存知だろうか。

熱心な仕事ぶりで界隈を唸らせたが、『人間関係がうまくいかなくなり退職、28歳から30歳まで引きこもりだった』らしい。(wikiにほんとにこのまま書いてあった。プライバシーもへったくれもないな)


社会とのつながりも断たれ、自信を喪失したマツコさんだったが、雑誌読者だった小説家の中村うさぎさんに「あんたは書くべき人」と言われたことで、コラムニストとしての活動を開始。

すると、コラムはおろかテレビ出演の仕事まで舞い込むようになり、あれよという間に各業界から引っ張りだこになったそうだ。

そこから先の10年以上に及ぶ大活躍は、皆さんが目にしてきたとおりだ。


今となってはテレビ業界を背負って立つ巨人であるが、その最初期を支えた『書くべき人』という言葉が、ひねくれ者のわたしには強く印象に残った。


『書くべき人』がいるなら『書くべき"でない"人』もいるのだろうか……と。



* * *



わたくしごとで恐縮だが、現在転職活動中である。

そのため、創作活動をする時間が減っている。


別に書かずとも、生活に支障はない。

誰かが小説の更新を待っているわけでもないし、催促されることもないから。

現状私の書き物には一円の利益も発生していないので、編集者に締切を設定されることも、ホテルや旅館に缶詰にされることもない。

唯一できるのは、自分から部屋に籠もってせこせこと物書き生活を送ることだけだ。


それは言い方によっては『自由なご身分』と言えるだろう。

誰に制限されることもなく、好きなものを好きなときに書けるからだ。

でも、それは『良いご身分』だろうか……?



大巨匠の例で恐縮だけれど、シャーロック・ホームズの生みの親であるかのコナン・ドイルは、このシリーズをやめたくて仕方なかったらしい。

本人が書きたかったのは重厚な歴史小説であって、どうやら推理小説は浅はかなものだと考えていたようだ。言われてみると確かに、人を殺して犯人当てっこするなんて、これほど下世話なこともない。

それでも当初はファンの期待に答えて書き続けていたコナン・ドイルだったが、ついに我慢の限界が訪れ、大きな作戦を実行する。

途中でホームズを殺してシリーズの幕引きを図るという強硬手段に出たのだ。


編集からしたら溜まったものではないが、コナン・ドイルはもうワクワクである。

探偵が死んでしまったのだから、もう続きを書く必要はない。

さぁ、ついに雄大な大河小説へ!

と筆を振るおうとしたそのとき、彼の下へ一通のファンレターが届いた。

長年の我慢への感謝の手紙かと開いてみれば、


「ホームズを生き返らせなければお前を殺す……🔪」


というトチ狂ったファンからの脅迫文だった。

ちなみにだが、作品の神である作者を殺したら、ホームズは生き返らない。

大いなる矛盾である。

しかし、その文面に恐怖を感じたコナン・ドイルは、一度葬ったホームズを神の御業によって復活させ、シリーズを続ける羽目になったのだった。ちゃんちゃん。


この話を初めてきいたとき、わたしはむしろ憧れた。

作者の命より作中人物の命のほうが求められていたなんて、そんな作者冥利に尽きることがあるだろうか。

中村うさぎさんの言い方に合わせれば、これを『書くべき人』と言わずになんと呼ぼう。



『書くべき人』とは、言い換えれば『書く義務がある人』と言えるだろう。

世の中が求めてるから、あんたには『書く義務』がある。

待っている人がいるから、あんたには『書く義務』がある。

需要があって果たすべき使命がある、ということを『書くべき』という四文字で表しているのだと思う。


では、「あんたは書くべき人」と誰かに言われなければ、『書くべき人』ではないのだろうか?


少なくとも、書く権利はあるだろう。

基本的人権としての主張の権利はだれにでもあるからだ。

しかし、「やってもいいよ」と「やらないといけない」は社会的に言って全く違う。

「やってもいい」ということは「やらなくても一向に構わない」という消極的な言葉であり、「やらないといけない」は強固で緊急の要望があって初めて成り立つありがたい言葉だからだ。


そう考えると、ワナビーという名称は「やってもいいよ」としか言われていない人間の総称といえるかもしれない。


「書いてもいいよ、わたしは興味はないけど」

「許可はしてあげるよ、読まないけど」


他人からこう言われながら、ものを作っているに等しいのだ。



* * *



文頭の問いに戻ると、この世に「書くべき"でない"人」はいないのだろう。

しかし、「書かなくてもいい人」はいるのだ。

現に、今のわたしがそうだから。


しかしだからこそ、その「書かなくてもいい人」の立場を強く意識しなければいけないのではないかと最近になってよく思うのだ。

自分だけが楽しいのではいけない。

誰かをのめり込ませ、好きの感情を人質に取り、ファンレターで命を狙われるほどに求められるものを作っているか。

引きこもっていても『あんたは書くべき人』と表舞台に引っ張り出されるような存在に、少しでも近づける作品になっているか。

それを都度反省しながら創作をするべきではないかと、弱小ワナビーは思うのである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

100日後に10万文字になるエッセイ 伊矢祖レナ @kemonama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ