座敷牢の奥に

広河長綺

第1話

科学を信じたせいで村人が全員死んだあの日から、私は科学アンチになったんです。

今の私が、孫のあなたに「科学なんかに興味を持つな!」と勉強を邪魔するのは、ちゃんと理由がある行為であり、意地悪なんかじゃありません。


私に科学の間違いを教えてくれた青年。座敷牢に座っている彼の姿は今でも胸の中にあって、大切な教訓を思い出させてくれます。


その青年になぜ会えたかと言えば、小学生の頃に、私が仕えていたお嬢様であるきく様から「唄乃うたの。明日からあなたは昼に学校を早退して、座敷牢で封印儀式を実行しなさい。…申し訳ないとは思っているので褒美はあげます」と命令されたからでした。


確かに私は、菊様から命じられた雑務をこなすメイドでした。

でもその時期の私はA村の尋常小学校の6年生で、尋常小学校というのはあの頃の法律で義務教育途中です。それを休んで「儀式」に行けなんて、現代の感覚を持つあなたは「異常だ」と思ったでしょう?


しかし菊様は、軍に技術者を輩出している名家である林一族のお嬢さまです。大正時代の田舎のA村での権力は絶対的であり「唄乃は午後も学校に出席していた」という風に、尋常小学校の出席記録を改ざんさせることすらできたのでした。


一方で、私は屋敷の使用人でしかも子どもという立場です。私のような平民が一生かかっても手に入らない高級香水の甘い匂いと、私が見たこともないフワフワな最先端生地でできたぬいぐるみがある部屋に呼び出され、雇い主であるお嬢様から直々に「学校を休んで、儀式に行け」と言われたら断れないのです。


つまり拒否権なしの命令だったわけですが、むしろ身分の差があるにしては、不自然に優しい言い方でした。高圧的な口調ではなく語尾に「褒美はあげます」とまで言っているのです。


パワハラという言葉すらない当時なら、「明日から座敷牢に行きなさい」と有無を言わさず命令される――そうなるはずなのに。


お嬢様の柔らかい言動に違和感を覚えて、私は目を伏せました。


お嬢様が私に対して優しすぎる理由として、思い当たるふしがありました。


それは幼い頃に一緒に遊んだことです。


私の父も林家の使用人として信頼を得ていたこと、菊様が幼くて同世代の遊び相手を欲していたことが重なったのでしょう。6歳くらいまでは、一緒におままごとや双六などで遊んでいたのです。しかも完全に対等で、お嬢様を立てたような振る舞いもありません。


幼い私は接待プレイもなくゲームをして、勝ったら遠慮なく「やったー」と言っていました。


身分の差を理解できないほどの子どもの頃だからこその無邪気な態度。

私たちが大人に近づき「礼儀」を知ってしまうまでの限定的な思い出。


昔の、お嬢様との不適切な距離感を懐かしんでしまう心を誤魔化すように、大きな声で「了解しました!!明日の午後から座敷牢に行ってきます」と返事しました。


お嬢様の目にもオーバーリアクションに映ったのでしょう。お嬢様は少し苦笑しながら「気合の入った返事、ありがとう。では、これが座敷牢の位置です」と、簡易的な地図が書かれたメモを差し出してきました。


地図を見て、私は息を呑みました。座敷牢が村の外れの位置にあったからです。


座敷牢の存在自体には驚きません。田舎特有の市民の監視の目によって林家は座敷牢の存在を隠せておらず、「この村には忌み子がいる」「その忌み子は座敷牢で封印されている」という噂は耳にします。ここまでは周知の事実なわけです。


でもみんなは何となく、座敷牢は屋敷の地下にあると思い込んでいました。私は一般人が知らない情報に触れたんだなと実感して、身が引き締まる思いがしました。


そんな私に対して、儀式の注意点の丁寧な説明が始まりました。


座敷牢の中の忌み子の機嫌をとるため、ダンゴムシを持っていくと良いこと。

山神の足を持って生まれた忌み子の封印は、村の平和を守るために絶対必要なこと。

忌み子が山の雑草を一口食べただけで山神の力が完全覚醒してしまうから、注意しなければならないこと。


そして、も。


かなり禍々しいことを喋っているはずなのですが、お嬢様のふっくらした唇から発せられる高く澄んだ声によって説明されたので、不快感はありません。


儀式の注意事項を一通り説明した後、お嬢様は「儀式を終えたらここに報告しに来てください。褒美として私の本を何冊でも貸してあげます」と言って、首をすこし傾けて微笑みかけて下さいました。お嬢様の白く丸い頬に、黒くスッと伸びた長髪がかかり、私は息をのみました。


お嬢様の美しさにも、本が読めると言う褒美の豪華さにも、胸を打たれていました。


お嬢様の本というのは、平民が手に入れることができない当時としては最新の知識が記された本を意味します。

最初に言ったように私は読書好きでしたから、ハイレベルな書物を読めるというのは最高のご褒美です。


科学的な思考を信じていた私は、しきたりなどは信じていませんでしたが、お嬢様への感謝の心はありました。

「本当にありがとうございます」と頭を下げ、顔も心も美しいお嬢様のために儀式を成功させよう、と改めて思ったのでした。


次の日の午後、その決意を胸に私は学校を出ました。


「午後の授業はどうした」と注意してくる教師も、「どこにいくの?」と興味本位できいてくるクラスメートもいません。みんな、ただ遠巻きに私を眺めていました。


大正時代の田舎は人と人の繋がりがすさまじく密接で、プライバシーなどありません。「唄乃という召使が、封印儀式を行うらしい」という噂は、どこからともなくあっという間に広がって、A村の皆が知るところになっていました。


――座敷牢で「忌み子儀式」を行うから、今からこの子は穢れるぞ

そんな恐怖と軽蔑が混じった冷たい視線を、村から出るまで感じていました。


私は逆に、そんな視線を向けてくる村人たちの方を軽蔑していました。私自身は、儀式だの忌み子だの全く信じていません。ただお嬢様からの頼みだから行くだけで本当は「非科学的なことを真に受けているなんて、しょうもないなぁ」と思っていました。


私にとってはバカバカしかったのです。

前時代的な儀式も、それを恐れる村人たちも。


心の中で皆を見下しながら歩くうち、段々と村から遠ざかり、家が見えなくなり道が草で埋もれるようになってきました。さらに上り坂になってきてどんどん歩きにくくなります。村から離れて普段は人が立ち入らない山に入りはじめていました。


それでも道は完全には緑に覆われず、雑草が生えていない2本の細いラインが道のなかにありました。軍の車が数日に一度通っているからです。そしてその車が行く場所というのが、座敷牢がある大型倉庫とのことでした。


山道の草の中に軍の車輪が作った2本のラインが、途切れました。そこで私も立ち止まり横を向きました。


確かに大きめの物置小屋、といった感じの建物がありました。一階建てで、窓は一つだけ。しかしその窓も含めて壁全体にツタが貼りついていて、人が住んでいる気配は全くありません。ですが建物の周囲の地面だけ雑草が刈られていたので、不自然に丁寧な手入れがここだけにされているのが見て取れます。


座敷牢に着いたのだと悟りました。


正直ここまで来るだけで疲れ果てていました。雑草の隙間を縫うようにして山を登るのも辛かったですし、蒸し暑い真夏日には草からは酸っぱい匂いがします。


その匂いが夏らしくて好きという子も同級生には多かったですが、私は今の言葉でいうところのインドア派でお嬢様から貸してもらった小難しい本を読むのが趣味な子どもだったので、単純に悪臭だなと嫌悪していました。


建物に入れば、その匂いからは解放されるでしょう。

そんな消極的な理由で、建物に入る決心をしました。私は目にとまったダンゴムシを拾いポケットに入れて、小屋へ足を踏み入れました。


入って驚いたのは、天井まである棚が並んでいたことです。

棚が並んでいる様は、一瞬図書館のように見えてテンションがあがったのですが、よく見ると陳列されているのは小型兵器です。


軍の施設なので当たり前の光景でしたが、本好きの私は勝手に期待してがっかりしたのでした。


「銃カッコいい」って感じで男の子なら喜んだのでしょうが、私は兵器に興味はありません。


全部スルーして奥に進みます。


すると、何本も並んだ太い木の柱が目に飛び込んできました。これが壁の手前に人が通れない程の隙間で密に並ぶことで、壁と柱の間に檻のような空間を形成していました。


そして実際に人が閉じ込められていたのです。


柱の隙間から座敷牢の奥を覗き込み、中でうずくまっていた男と目が合った時、胸が高鳴りました。恐怖というより好奇心由来の興奮が原因です。


その日まで、「座敷牢にいる忌み子」について村で散々に言われているのを聞いてきました。


――呪われている。


――人間じゃない。


あまりにも悪口を聞きすぎて逆に気になってきた時期に、お嬢様から直々に座敷牢の男に会いに行く機会を貰い、そしてついに顔を合わせたのです。


私の目を見たその男は、もじゃもじゃの黒髪にやつれた頬をした顔で明るく笑い「お、今日からはキミが僕の封印担当かぁ。よろしく」と、お辞儀してきました。


私は、何よりもまず、彼が自分より年上であることに驚愕しました。

忌み子という名称と、ダンゴムシが好きという情報で、幼い子どもだと思い込んでいました。


逆に、年上であること以外で驚く点はありません。確かに痩せてはいましたが、一般人でもいるレベルです。温和な笑顔で目が細くなっている顔立ちも、特徴的ではありますが変ではありません。



人と違う見た目をあえて挙げるなら、妙に太く筋肉質な足と、黒く変色している腕、になるでしょう。


だけど、そんな見た目、ありふれた病気で起こることです。


筋肉が肥大する遺伝病も、糖尿病の末期で腕が黒く壊死することも、医学書を読んだことがある私は知っていました。


――やはり呪いなんて、科学に無知な人が言う戯言なんだな


因習に対する納得と、自分の賢さへの優越感。


そんな気持ちを抱えながら「初めまして。今日から儀式を担当する唄乃と申します」と声をかけました。


「よろしく。じゃあ、君のスカートの右ポケットのダンゴムシを頂戴ね♪」

男はいきなり、私の右ポケットにダンゴムシが入っていることを言い当ててきました。


座敷牢の窓から外を見ていたのかなと一瞬考えました。でも、違います。窓はこの建物の入口の方を向いてはいるものの、高い位置にあるので中からだと空しか見えません。

「…耳がいいんですか」


「おしいけど違うね」私の推測を聞いて、男は首を横にふりました。「肌で感じていたんだよ。山の神の足だから皮膚は近くの空気の流れを完璧に理解できる」


「そうですか」


「じゃあ雑談も終わったし、僕の目を潰すかい?」



忌み子は神の足を持つが、眼を潰せば周囲が認識できずに神の移動速度で体をぶつけてしまうので、走れない。


それこそが儀式のメインであるであり、ダンゴムシが入っていない左の方のポケットには、忌み子の目を潰すためのノミとハンマーが入っていました。


そんな野蛮な行為を今からしようとしている私なのに、「どうぞ」と言って男は近づいてきたのです。意味がわかりません。


もちろん、私が男の心を理解する必要などありません。儀式において、忌み子が何を考えているかは関係ないのですから。


従って、思考停止でノミを眼窩にセットしてハンマーを振り下ろせばよいのですが、ここに来て私は、儀式実行者としての弱点を自覚してしまいました。


それは、科学的に考えているが故に、自分の蛮行を正当化できないことです。男の異常性に戸惑って止まってしまった手を、再び動かすことができません。


そんな私を見て「初めて目を潰すなんて、やりづらいよね」と気遣って、男は布を自身の目の上に置いてくれました。この上から潰せばやりやすいだろう、ということのようでした。


その余裕にイラッときた私は「じゃあ、やります」と言いハンマーを振り上げました。忌み子は座敷牢の格子の傍に来て上を向いて寝転がってくれていたので、格子の隙間からハンマーを座敷牢の中に入れて振り下ろすことができました。



グチャ。



卵を割る時の感触を百倍気持ち悪くしたような感触が手のひらに伝わり、忌み子の眼球は潰れました。


私は目を潰すとすぐに、「失礼します」も「さようなら」も言わずに、そそくさと座敷牢を後にしました。


どうして、そんな雑な終わらせ方をしたのか?


もちろん人の眼球を潰して気分が悪かったから、というのもあります。

急いで村に帰りたかった、という気持ちもありました。

それよりも私は、目を潰したことで、私の任務のメインは全て終了したと思いこんでいたのです。


毎日儀式を行えというお嬢様の命令は言葉の綾であり、明日以降は遠目から忌み子を監視してコミュニケーションをとる必要もない、と高を括っていました。


しかし次の日の午後、念のためハンマーを持って座敷牢に来た私は、お嬢様の「目を潰して」という命令の真意を思い知りました。男の目が再生していたのです。


頭蓋骨が変形し、空っぽの眼窩に入ってきて、眼球の形になろうとしていました。


1日目で、私は確実に眼球を砕いて肉塊にしました。

その負傷が24時間で治るなんてありえません。絶対に。

忌み子が普通の人間じゃないと、さすがの私も、認めざるを得なくなってしまいました。


ドン引きしている私に構わず、男は陽気な挨拶をしてきました。

「やあ、今日も潰す前にダンゴムシを頂戴ね?お嬢さん」

男は笑っていました。まるで目なんて潰されても生えてくるのが当たり前だと言うように。


気味が悪すぎて、私の顔から血の気が引きました。

震える口から「その、目は」という質問の声を絞り出した私を見て、男の笑いはさらに大きくなりました。


「眼球がどうしたかって、それは僕が科学じゃ説明できない忌み子だからだよ」


――科学じゃ説明できない

その言葉は私にとって地雷でした。


なんとか1日で再生する眼球を説明しようと頭をフル回転させ「あなたは目を潰されるのを嫌がらないという異常な精神を持っていますよね。骨相学によると精神活動は頭蓋骨の形に影響するといいます。だからあなたの頭蓋骨は異常な変形をするようになり、それが眼球の再生になっているという仮説がたてられますよ」とムキになって、科学的仮説を言って見せました。


骨相学。

精神活動が骨の形に影響を及ぼすという学説。

それは科学なのか?、とあなたは疑問に思ったでしょう。もちろん現在では否定されています。しかし当時は正しいとされていた学説なのです。


ただ忌み子は、「いつの科学的正しさ」かなどに関わらず「科学的正しさ」そのものに興味がないようでした。

「科学的正しさを振りかざして他人を枠に押し込めるその態度が、いつか君を破滅させると思うよ」と呆れたように忌み子は言いました。


その言動で、私はさらに苛立ちました。


ただ、今になって忌み子の発言を振り返ってみると、わざとらしさを感じます。私が心を痛めず目を潰せるように、敢えて私が苛立つ言葉を言い放ったのかもしれません。


私の罪悪感軽減のためか、率直にダメ出しをしたのか。

本当の所は、不明です。


しかし結果として、それ以降の封印儀式がはかどったのは、確かでした。


「科学的事実を指摘する態度」に対する男の忠告をきいて、とてつもなく頭に血が上った私は「しょうもない事言ってるヒマあったら目に布かけて、横になって下さいよ」と乱暴に言い、怒りの勢いそのままに目を潰し、何も言わずに立ち去りました。


この一潰しで、私の頭のねじが1つ飛んだのかもしれません。


この日以降、 青年に気を使ったりダンゴムシについて雑談することがなくなり「座敷牢に行く、特に会話もせず目を潰す、村に帰る、ご褒美の本を受け取る、帰宅」という一連の単純作業をするようになったのです。


数日が経ち、罪悪感も消え、

――ルーティンを繰り返すだけで高級な本を読める、という今の状況はかなり恵まれているんじゃなかろうか

と思い始めた頃、事件がおこりました。


お嬢様の本を盗んだ容疑をかけられたのです。


その日、何か特別なことをしたわけではありません。


いつも通り座敷牢で青年の目を潰し、村に帰って、ご褒美の本を受け取り、いつも通り屋敷をでました。

そこで守衛の人に「鞄の中を見せろ」と呼び止められたのです。


もちろん、カバンの中にはお嬢様の本があります。

「何でお前のような立場の者が、お嬢様の私物を持っているのだ!」となり、腕をつかまれ屋敷に連れ戻されました。


守衛の人は20代の屈強な男だったので、腕を思いっきり掴まれた時はかなり肝を冷やしましたがそれでも「しばらくしたら帰れるだろう」と高をくくっていました。お嬢様が誤解を解いてくださるだろう、と。


しかし守衛に引きずられてお嬢様の前に連れてこられた私に対し、菊様は「私は今までこの召使を信頼していたので、大変残念です」と言ったのです。普段と変わらない表情でした。


私は絶句しました。そもそも、お嬢様の方から「本を貸してあげる」と提案してきたのです。気が変わってやっぱり貸したくないと思ったのなら、そのように仰れば私は絶対に従いました。なぜ、このタイミングで約束をなかったことにしたのか、意味が解りません。


ただ私が理解しようがしまいが、お嬢様が「盗人だ」と言えば、それが真実ということになります。


因習村なりのロジックによって、私が盗みを働いたのは、忌み子と接したことで穢れたからだと解釈されました。


そして私はその日の夜のうちに、忌み子のいる軍の施設に連れていかれ、座敷牢の中に放り込まれてしまったのです。


いきなり座敷牢の住民と化した私に、忌み子は驚いていませんでした。


「ほら、科学的正しさでお嬢様を枠にはめたら、恨まれて嵌められて、こうなっただろう」と告げてきました。


「私はお嬢様に失礼な事など言ってない!」

と、私は反論しました。


「いいや」忌み子は首を静かに横に振りました。「愛の告白をされた時、君はお嬢様を病気だと決めつけた」


私は言い返せませんでした。

確かに私は、数か月前、つまり儀式を指示される少し前、お嬢様に愛の告白をされていました。

そして私は「同性愛は病気だから、病院に行ってはどうでしょうか?」と答えたのでした。


なぜ、この男はそんなことを知っているのか。

私はぞっとしました。


――男が言い当てたことよりも同性愛者差別発言が気になってしまうと、あなたは思ったでしょう?

ごもっともです。でも、「同性愛を病気だなんて酷い」というのは現代の感覚です。同性愛が脱病理化されたのは、1973年でした。


つまりこれも骨相学と同じ。


当時の科学としては、私は正しい事を言ったのです。

しかし、その結果として私はお嬢様に憎まれ、窃盗犯に仕立て上げられてしまいました。


不都合な事実を突きつけられて戸惑う私に、忌み子は「ここに髪で作った紐がついた石がある。それを窓から外に向かって投げなさい。私の神の足の皮膚が、空気の振動を通じてあなたの腕の動きを把握して、それによって石がどこに投げられたか把握できる。石を適切な場所に落とせるまで、投げ続けてもらうよ」と言ってきました。


「適切な位置に石を置いたからって何の意味があるんですか?」


私の質問に「ここから出られるんだよ」と自信満々に男は答えました。


結局あなたも因習とまじないかよ、と私は思いましたが反論する気力もなかったので、言われるがまま、窓の鉄格子の隙間から、小石を座敷牢の外に放り投げました。


1回石を投げる度に、

「もっと遠くに石を落とすべきだった」

「より右の位置を狙って投げるべきだった」

「今のは右すぎだね」

という指摘が忌み子の口から発せられ、紐を引っ張って石が回収され、また投げ直しです。


気の遠くなるトライアンドエラーが、24時間ほど続いた後「よし!良い位置に石が置かれたね」と、忌み子は満足したように頷きました。


これで、どうやって脱出するつもりなの?と私が訝しんでいると、忌み子は石と同じように髪でできた紐を結ばれたダンゴムシを取り出すと、窓の下の壁に空いた小さい穴から外に出したのです。


ここに来て私もようやく彼の真意に気づきました。


昔読んだ動物行動学の本の記述を、思い出したのです。

ダンゴムシが障害物にぶつかった時の行動は「ぶつかったら右、そのあとぶつかったら左」という風に本能にプログラムされており、交替性転向反応と呼ばれていることを。


つまり計算された位置に障害物を置けば、ダンゴムシの行き先をコントロールできるのです。そしてあの日忌み子の指示で私が投げて置いた石は、ダンゴムシを、道を挟んで座敷牢の反対側にある木の周囲を周って帰ってくるようにコントロールしていたのでした。


つまり石を置いた後にダンゴムシを歩かせると、「座敷牢―木―座敷牢」というルートで細い紐がかかるようになっていたのです。


忌み子はその紐の片側に太い紐を結び、反対側を引いて、木にかかった紐を太くしていきました。その太い紐を座敷牢の窓の鉄格子に結びました。


ここまでくれば、狙いは明らかです。


座敷牢は軍の施設なので、定期的に軍の車が建物の前の道を通過します。私が座敷牢に来る時にみた「車輪の筋」からそれは明らかでした。そして車両が張った紐にぶつかれば、座敷牢の窓の鉄格子を強烈に引っ張ることになり、鉄格子を壊すことになるのです。


もう少しで私たちは脱出できる、という事実。


その幸運に直面して、私は、お嬢様が仰っていた「忌み子を外に出してはいけない」という忠告が気になってきました。


このまま忌み子が外に出るのを傍観していて良いのか…決断しなければなりません。


ですが、そもそも、忌み子を外に出すとダメなのは忌み子の山神の力が覚醒するからとのことでした。当時の私の分析では忌み子の特殊性は骨相学で説明可能なので、山神を信じる根拠は何もありません。


だから忌み子が外に出ても大丈夫なはずだ、と座敷牢の中で私は自分に言い聞かせました。


その結果どうなったか、ご存じの通りです。


脱出に成功した忌み子は山の雑草を食べて、山神の力を完全に発揮。A村の村人の私以外全員を、喰い殺してしまいました。山神の足は、本当にはやかったですよ。全員を殺すのに10秒かかりませんでしたから。


人間の眼には、風に見えました。


風が吹いた後には、喰い散らかされた肉塊だけが残っていました。さっきまでお嬢様だった肉塊も、その中に混じっていました。


この悲劇はどうしておこったのでしょう。


それは私が、精神医学を根拠にお嬢様の同性愛を否定して、骨相学を根拠に忌み子の能力を信じなかったからです。


でもそれらの行動は、科学に基づくものでした。同性愛の精神病としての位置づけも、骨相学も、正しい学説だったのです。


つまり、科学に基づいて私が行動した結果、A村は全滅したのでした。


あれから時が経ち、絶対と思われていたニュートン力学すら、アインシュタインによって覆されました。


今の科学だって将来否定される可能性を帯びています。そんな不確かなもの、A村の因習と何が違うのでしょうか。


だから私は、孫のあなたに科学なんて学ぶな、と説教しているのです。そしてそれは正しい教育だと確信しています。

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座敷牢の奥に 広河長綺 @hirokawanagaki

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