第16話 Bring it!(5)
移動教室もいよいよ近づくある日の昼食時。
愛美は、夏果や緑や明日香たちと机を囲み、久しぶりに女子だけの昼食をとっていた。愛美の隣には望もいる。メンバーはその五人。七組女子のトップ会合のような女子会。望だけが少し浮いている。それを望も自覚していて、一人そわそわしている。
小佐田拓を巡っては、夏果と望はライバル同士。
そして望の側に付いている愛美のことを、夏果は面白く思っていない。今回の移動教室の行動班分けでは、早速愛美に一杯食わされている。夏果にすればこの勝負、望と戦っているというより、愛美と戦っているようなものである。
夏果も、気の弱い教師や同級生には傍若無人に振る舞うが、相手が愛美となると、そうは行かない。そのやりにくさが、夏果にはストレスだった。夏果にとって愛美は、目の上のたんこぶなのだ。愛美さえいなければ、教室で、自分はもっと自由に振舞える。
「――マナの班何すんの?」
サンドイッチ片手に、夏果は愛美に質問した。
愛美は、いつも通りの高い声音で応えた。
「こけし作るよ」
愛美は答えた。
いつもと同じような高い声。余所行きの声音。
その声を聞くだけで、夏果は内心、穏やかではなかった。女同士の、こんな食事の場面でさえ、この子は男子の目を意識して、〈可愛い女の子〉を崩さない。ぶりっ子。そういう風にされると、自分たちが愛美の点数稼ぎに利用されているような気になる。いや実際、そうなのかもしれない。佐藤愛美――この魔女はそれくらい計算高い。
「こけし? マナこけし好きなの? 意外なんだけど」
夏果が言った。
愛美は、笑顔にソプラノ声のマスクを崩さずに応えた。
「え、なんでよ! 可愛いじゃん、こけし!」
ころころと、飛び跳ねるような声と仕草。
夏果は唇を噛んだ。
愛美はいつも、自分が可愛いという絶対の自信が無ければできない振る舞い方をする。性格ブスのクセに、性格ブスのクセに――と、夏果は心の中で妙な念仏を唱える。
こけしについて、怖い、だとか、でも可愛い、だとか、温泉地といえばこけしじゃない、だとか、そういったこけしにまつわる感想や意見が飛び交う。望だけは、ずっと笑って相槌を打つ役に徹している。
「あと、牧場も行くよ。乗馬体験とか」
こけしで一盛り上がりした後、愛美は次の話題を皆の前に出した。
こけしの時と違い、『乗馬』という言葉が出てくると、皆一瞬、ほんの一瞬だけ、押し黙る時間があった。愛美だけはその瞬間、夏果を見つめていた。
夏果はその一瞬、拓と誰かが、一緒に栗毛の馬に乗っている様子を思い浮かべた。前に乗るのが拓で、後ろは女。ぎゅっと拓の腹に後ろから手を回し、その肩に頬を寄せる。そこまで妄想する頃には、その女の顔が、自分になっている。
コンマ数秒の妄想だった。
次の瞬間、夏果は、愛美に見つめられているのに気づき、顔を赤くした。自分の妄想が、覗き見られたような気がした。恥ずかしさと怒りが、同時に夏果の中に沸いてくる。
「岳斗に乗られる馬、可哀そうじゃない?」
明日香がそう言うと、皆笑った。
体格の良い岳斗が、ポニーに乗っている様を想像すれば、誰だって笑うだろう。
「二人乗りとかできんのかな?」
明日香が、無邪気に言う。
乗馬と聞いて明日香も、夏果と同じような妄想をしていた。
「え、そしたら望、誰と一緒に乗る?」
夏果が、望に訊ねた。
望は、「えっ」と驚いた声を上げ、絶句した。
もちろん望は、二人乗りができるのなら、相手は拓が良いと思っている。しかし夏果の前でそれをはっきり言うほどの度胸は、望には無かった。
しかしそんな望のピンチには、愛美が透かさず助け舟を出す。
「私とでしょ、ねぇ?」
愛美の言葉に、「うん」と望が頷く。
「え、でも折角男子いるじゃん。男子だったら誰よ」
明日香が、さらに聞いてくる。
夏果とは違い、明日香の質問に含むところはない。悪意も無い。無神経と言えばそうかもしれないが、やはり愛美は、明日香のそう言う所が、嫌いでは無かった。思わず明日香の質問に、くすくす笑ってしまう。
「――でも実際、望は拓でしょ?」
緑が、声を落とし、皆に目配せをしながら言った。
当然皆、望が拓を好きだと言う事は知っている。望と夏果の違いは、夏果はそれを皆に宣言していて。望はしていないという、その一点にある。だから皆も、望の好きな人は「知らない」という体で話をしていた。それがこのメンバーの暗黙の了解となっていた。
それだけに、緑の突然の掟破りは、望に衝撃を与えた。愛美と明日香は、ついに言ったかと手を叩いて、声を殺して笑った。
緑の事はさほど気にかけていなかった愛美だったが、これはなかなか面白い事を言うじゃないと、愛美は思った。
夏果はというと、固まっている。当然夏果も、望が拓の事を好きだと言う事は知っているが、緑がそれを、ここでぶっちゃけるとは思っていなかった。夏果は、裏切られたような気分だった。ライバルに先んじて〈好きな人宣言〉をした優位が、これでチャラになってしまう。
「まぁ、あの中だったら拓だよね。岳斗は、馬が暴れそうだし」
夏果が、引きつった笑顔を張り付けてそんな事を言い、「そうそう」と緑は白々しく同意する。
「じゃあマナは岳斗と、か。なんか想像つかないんだけど」
明日香が、笑いながら言った。想像がつかないというのは、確かにそうだなと愛美も思った。岳斗と自分が、乗馬はともかくとして、二人で一緒にいるという場面が、全く想像できない。
「え、じゃあ〈ポエマー〉どうすんの?」
夏果が、笑いながら言った。
この会話中での苛立ちは、〈ポエマー〉を槍玉にあげて面白がって紛らわせようと、夏果は無意識にそう思ったのだ。明日香と緑は早速、〈ポエマー〉という単語に乗って、少し影を含んだ笑顔を見せた。
「幸谷君のこと?」
愛美は、夏果に聞き返した。
「あぁ、そういう名前だったっけ。〈ポエマー〉が強烈すぎて名前覚えてなかった」
夏果が言うと、皆、「確かに」とけらけら笑った。ただ望だけは、表情を固めていた。愛美が、少しも笑っていないのを見ていたのだ。無表情とまでは行かないが、その目の奥に凍える様な感情を見てとって、望は恐怖した。
「でもマナもちょっと酷だよ。数合わせにしてもさ、露骨すぎ。もうちょっと話せる子入れないとさ、可哀そうじゃん」
夏果にそんな事を言われた愛美は、にこりと笑顔を作って応えた。
「数合わせじゃないよ。幸谷君、話すと面白いよ」
「え、でもさ、ああいうタイプって、いじったら本気で怒りそうじゃん」
「そう?」
「面倒くさそう」
夏果がそう言った後、愛美は笑った。凍える様な、冷ややかな笑み。
その笑みの中で、愛美は夏果に言った。
「夏果、幸谷君の事何も知らないでしょ?」
夏果は、思いがけない愛美の言葉と反応に戸惑い、「えっ」と聞き返したきり、固まった。それは、明日香も緑も同じだった。突然、時間が止まったようになる。
ここで夏果も話題を変えればよかったが、夏果もムキになった。
「え、もしかして、マナ、新しい獲物?」
ふふっと、愛美は笑った。
それちょっと、面白いと思ったのだ。
「――そう言えばマナ、あいつに餌付けしてたもんね」
「イチゴ?」
「そうそう! あれマジでウケたんだけど」
「あはは――」
と愛美は笑った後で、夏果の目を覗きながら言った。
「羨ましかった?」
愛美にそう言われた瞬間、夏果はカっとなった。あんたのことなんて、全然羨ましくないと、そう言ってやりたかった。しかしその怒りはすぐに、自分の中の、言ってやりたいことと真逆の本音を釣り上げてしまう。
拓と同じ班なのが羨ましい。
ぶりっこのくせにモテるのが羨ましい。
平気で男子に、あーんとかできるその度胸が羨ましい。――移動教室で、まさか、拓にもそうやって近づくつもりなの!?
――この女、許せない。
しかし夏果は、心の中ではそう思うものの、この教室という場所で、面と向かって愛美と喧嘩するほど、我を失ってはいなかった。
しかしそこが、愛美と夏果の決定的な差だった。
愛美の方はというと、その心境は、「かかって来い」という感じだった。そもそも愛美は、このメンバーで昼食をとることになった時、一番期待したのはそれだった。出方を覗う牽制のジャブの打ち合いだけで終わるのは、かえって不自然なうえ、つまらない。どうせなら、お互いに一歩間合いに入って、ボディーブローの一撃くらい狙ったほうが良い。
そんな愛美の強気は、その目にも表れていた。
愛美は少しも夏果から目をそらさず、自分の発言を誤魔化すようなそぶりも見せない。睨むような眼差しではなく、その目はあくまで、男を落とすときのソレである。
一瞬はムカっと来た夏果だったが、ここで愛美とやりあう分の悪さを直感して、愛美から目を反らし、笑いながら言った。
「からかうにしても大胆すぎでしょ」
「確かに! 流石魔女って感じ」
明日香が、夏果の言葉に乗っかって言った。
なぁんだ、と愛美は、夏果が挑んでこないのに拍子抜けして弁当の白飯に視線を落とした。そっちがもし踏み込んできたら、私のぶりっ子の仮面を、皆のいる前で剝がせたのに残念ね――と、愛美は心の中で呟いた。
「魔法なんて使えないよー」
と、愛美は適当に返事をして、この会話から降りることにした。
あなたに甘い劇薬を ノミン @nomaz
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