16.コーヒーの香の漂う朝

 コーヒーの香りで目を覚ました。


 コーヒーが落ちるこぽこぽこぽという音も聞こえる。幸せな気持ちでいっぱいになって、布団の中で名前を呼ばれるのを待った。

「しのぶ、おはよう」

 斗真とうまの声を布団越しに聞く。起きているけれど、起こされるのをじっと待つ。なんか、起こされるのって、嬉しい。これまではいつも起こすばかりだった。

 ベッドがぎしりときしんで、斗真がベッドに腰かけたのが分かった。布団を少しめくって、斗真はあたしの頭をなでた。


「しのぶ。コーヒー入ったよ。朝食も出来てるよ」

 ごはんが出来たよって起こされる日が来るなんて。

 あたしはそっと目を開けた。斗真と目が合う、斗真はあたしに軽くキスをすると、「起きて、いっしょに朝ごはんを食べよう」と言った。あたしは「うん」と言ってベッドから出た。



 昨日は結局、斗真の家に泊まってしまった。

 泊まるつもりで来なかったので、斗真の服を借りて眠った。ぶかぶかで、「おっきいね」と斗真と笑い合った。そんなことも幸せだった。

 リビングに行くと、テレビの前の小さなテーブルに二人分の朝食が並んでいた。

 クロワッサンにベーコンエッグとサラダ。それから、コーヒー。

 なんて、幸福な光景なんだろう。


「ありがとう、嬉しい」

「どういたしまして。食べよう?」

「うん、いただきます」

「いただきます」

 並んで座りながら食べているとき、わたしは斗真の顔をそっと見た。

 整った顔立ち。かっこいいなあとしみじみ思う。――なんだか、信じられない。

「ん? 何?」

「ううん。なんだか、信じられなくて」

「それは、僕もだよ」

 二人で笑い合う。

「ねえ。ずっと会っていなかったけど、また会えてよかった」

「うん――二十年ぶりだね」

 斗真はわたしに顔を寄せて、キスをした。触れるだけのキス。


「……うれしい」

「ファーストキスの相手だしね」と斗真が言う。

「もう、それ、忘れて欲しい」

「……忘れないよ。ずっとね」

 また、キスをする。

 キスって、なんて優しいんだろう? 浩之とはキスすらしなくなっていた。

「ねえ。ずっとキスしていてね。長くいっしょにいても、年を重ねても」

「もちろん」

 そう言って、もう一度キスをする。コーヒーの味がするキス。少し甘みのあるコーヒーの味。



「悠、元気にしているかしら?」

「大丈夫じゃない? 泣いたりしたら、連絡来ると思うよ」

「うん。――あ、LINE来てる」

 お迎えかな? と思ってLINEを開くと、笑顔いっぱいの悠の顔と《悠は元気だよ! お迎えは本当に日曜の夜でいいって》という文面があった。

「なんか、全然平気みたい。――子どもって、すぐに大きくなるのね」

 この間、浩之からわたしを守ろうとしてくれた悠を思い出す。

「いつの間に、あんなにちゃんとした子どもになったんだろう? 優しくて、しっかりしていて」

「そうやって、しのぶが育てたんだよ」

「うん」

 涙が出た――あまりにも幸せで。

「斗真、ありがとう」

 斗真は答える代わりに、わたしの涙を拭いて、涙の跡にキスをした。


「……斗真のごはん、好き。おいしい」

「何度でも作ってあげるよ」

「コーヒーもおいしい」

「コーヒーも、何度でも淹れてあげるよ」



 コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。

 この香りが、幸せな未来を運んで来るよう気がした――




                     

       了

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幸せはコーヒーの香りとともに ――サレ妻が、愛されて幸せになるまで 西しまこ @nishi-shima

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