15.お泊り

 一週間、斗真とうまゆうの送り迎えをしてくれた。「実は料理、好きなんだ」と言って、ごはんも作って持って来てくれた。お迎えだけしてすぐに仕事に戻る日がほとんどだったけど、どうしても抜けられなかったんだごめんと言って、母にお迎えを頼み、夜遅くにうちに来たこともあった。悠はもう寝ていて、寝顔を見ると帰って行った。


 そうか。

 風邪をひいてもいいんだ、と思った。

 体調が悪かったら休んでもいいんだ、とも。


 わたしは斗真の作ってくれたごはんを毎日食べ、誰かの作ってくれたごはんって、どうしてこんなにおいしいのだろう? と思った。


 

 元気になり、日常が戻ってきてしばらくした頃、悠が言った。

「ぼくねえ、おばあちゃんちにおとまり、したい」

「うん、いいって言うと思うよ。今度の金曜日に行く?」

「ちがうの。ゆうね、ひとりでおとまり、したいんだ」

「え? そうなの?」

「うん。あのね、さとるくんがね、ひとりでおばあちゃんちにとまったんだよって、いうんだ。だから、ぼくもやってみたい!」

「へえ。じゃあ、聞いてみよう!」

「うん!」



 母に連絡すると二つ返事でいいよと言ってもらえ、悠はさっそく次の金曜日にお泊りすることになった。

 保育園から帰って準備をして実家に行くと、もうすっかり夜になっていた。

「ぼくねえ、きんようのよるも、どようのよるも、とまるんだよ」

「だいじょうぶ?」

「うん! だって、さとるくんもできたっていってたから!」

「大丈夫よ、しのぶ。駄目だったらすぐに連絡するし」

「ぼく、だめじゃないもん! もうすぐねんちょうさんだし! だからね、ままはもうかえっていいよ」

「え? そうなの?」

「うん! まま、にちようびにね!」

 わたしは悠に手を振って、実家を出た。


 駅に向かって歩いていると、「しのぶ!」という声がして、振り向くと斗真がいた。

「斗真」

「実家に行ったって聞いたけど?」

「あ、うん、悠がね」

「悠が?」

「お友だちがね、一人でおばあちゃんちに泊まったから、自分も一人でお泊りするんだって。で、ママはもう帰っていいよ、一人で大丈夫だからって言われちゃったの」

「そうかあ」と斗真は笑う。


「斗真は? 仕事、終わったの?」

「うん、今日は早く終わったから、……会いたくて」

「……うん」

 斗真の手がわたしに触れ、そのまま手をつないだ。

「――僕んち、来る?」

「え?」

「おいでよ」



 斗真のうちは本当にわたしのうちに近くて、そしてお洒落なマンションだった。一人暮らしだから広くはないけれど、きちんと片づいている部屋だった。

「その辺に座っててくれる? 着替えてくるから」

「うん」

 わたしはテーブルの前に座ったけれど、なんとなく落ち着かなかった。

 斗真はすぐに戻って来て、「夜ごはん、適当でいいかな?」と言った。

「うん。あ、いや、わたし、作ろうか?」

「お客さまは座っていてよ」

 斗真は笑ってそう言うと、手早く何か作り、お皿を持って来た。

「冷凍してあったカレーを温めただけだけど」

「ありがとう」

 わたしはものすごく緊張しながら待ち、そしてものすごく緊張しながら、食べた。おいしかったけれど、なんだかうまく味わえなかった。


「ごちそうさま、おいしかった」

「……緊張してる?」

「……してる」

「どうして?」

「どうしてだろう?」


 目と目が合った。

 キス、するのかな?

 わたしはやっぱり落ち着かなくて、息が出来ないような気持ちになって、斗真の顔をじっと見ていた。

 斗真の手がわたしの頬に触れる。

 いつかみたいに、頬に触れるだけじゃなくて、そのまま斗真の顔が近づいてきて、思わず目をつぶってしまう。


「こわい?」

 斗真の声が耳元でした。

「……すこし。あの、恥ずかしいんだけど、こういうの、ほんとうに久しぶりで。……どうしていいか、わからないの」

「だいじょうぶ」

 斗真の唇が、耳に触れる。それから頬に。口元に。そして唇に。

「しのぶ、好きだよ」

「……わたしも、好き」



 夜の海の中で、わたしは斗真といっしょになった。

 遠くで波の音が聞こえた。

 暗い海を一人で渡ろうとしていたわたしに、灯台の灯りのように明るく光って、わたしを導いてくれた、斗真。

 指も唇も、全てがあんまり優しくて、泣いてしまった。

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