14.元旦那と小さなナイト
旅行から戻って、また日常が始まった。
仕事に行き、仕事終わりに悠を迎えに行く。夫がいないから、却って楽だった。食事も洗濯も、大人一人分少ないと随分楽なんだと気づいた。また、地理的には実家よりも職場や保育園に近いところに部屋を借りたので、時間的な余裕も出来ていた。
保育園に迎えに行くと、門のところでマナに会った。
「あ、しのぶ! LINE見ていないでしょう?」
「え? LINEくれていたの? ごめんね、見ていなくて」
「大変なのよ! しのぶの元旦那が来ちゃったの。今もいるかも」
「ええ!」
そのとき、「しのぶ!」と言う声がして、振り向くと浩之がいた。
「浩之さん……」
「しのぶ、お前、本当に離婚届出したのか?」
「うん、すぐに」
「なあ、もう一回やり直そう?」
「え? 何を言っているの?」
「
「――無理よ」
「新しいところで、やり直そう。……な?」
「出来ない」
「――男がいるっていうのは、本当だったんだな!」
浩之は、急に怒って、わたしの肩を掴んで、揺さぶった。
「いないわよ」
「嘘だ! 紗菜が言っていたんだ!」
「誤解よ」
「俺はお前と離婚したせいで不倫が会社にバレて、出世コースから外れたんだよ! 困るんだよ! 地方に飛ばされたんだ。だから、戻って来いよ。そうしたら、何年かしたらまた本社に戻って来られるから」
言っていることがむちゃくちゃだった。
「はなして!」
掴まれたところが痛かった。
すると浩之は「いや、はなさない」と言い、腕を強く掴んだ。
「来るんだ!」
「嫌!」
「ままをはなせ!」
腕から手が離れたと思ったら、
「悠。……悠も、パパがいた方がいいだろう?」
浩之がそう言って悠に手を伸ばすと、悠はその手をぴしゃりとやり、「ぼくにぱぱはいなかった! ぱぱはいつもいなかった!」と、激しい口調で言った。
浩之の顔が奇妙に歪んで、「そうか……」と言った。
「しのぶはずっと一人で子育てして来たんだから! あたし、ずっと見てきたのよ。子どもにそんなこと言われるくらい、あなた、何もして来なかったのよ!」
マナが言う。
悠はずっと、浩之を睨みつけていた。
「ままをいじめるな!」
悠。
涙が浮かんだ。
「――すまない」
しばらくのち、浩之はそう言うと、立ち去って行った。その背中はひどくさみしそうだった。
「まま、だいじょうぶ?」
小さな手が、わたしの頬に触れる。悠。
「うん、ありがとう、悠」
「まま、だいすき!」
ずっと、守ってあげているつもりで、守ってもらっていたのは、わたしの方かもしれない。
「悠くん、強かったね! かっこよかったよ!」とマナが言う。
「うん、ぼくはね、せいぎのみかたなんだよ!」
わたしは悠をぎゅっと抱き締めた。
なんて、愛しい。
「まま! ……まま? まま、だいじょうぶ? まま!」
ふっと、意識が遠くなって、悠の声が遠くで聞こえた。
「しのぶ! ちょっと、しのぶ‼」
マナの声も遠くで聞こえる。
わたしはそのまま、意識を失ってしまった。
気づくと、病院の白い天井が目に入って、「気づいた?」という
「斗真、どうして?」
「悠から、『ままがしんじゃった!』って電話が入ったんだよ。『ぱぱがいじめたら、ままがしんじゃったの! どうしよう⁉』って泣くから。――過労だって」
「そっか。……悠は?」
「
「うん」
「――元旦那、来たんだって?」
「うん。……でも、悠が守ってくれたの」
「よかった。――本当に」
わたしは点滴が終わったあと、斗真に付き添ってもらって家に帰った。家には、悠と母がいた。
「まま!」
「悠」
「ゆうね、まま、しんじゃったかとおもったの」
悠が泣きそうな顔をするので、「死なないよ」と悠を抱き締めた。
「ごめんね、疲れているのに旅行に連れて行ったから」と母が言う。
「ううん、旅行、楽しかったよ!」
「ゆうも、たのしかった!」
「まあ、しばらく、仕事は休んでゆっくりしなさい」
「うん、そうする」
「悠のことは、わたしが面倒みるから」と母が言うと、悠は「ぼく、おうちにいて、ままのめんどうみるもん! おばあちゃんちにはいかない」と頑なに言い張った。
「でもねえ、保育園はどうするの?」と母が言う。
すると今度は斗真が「あ、じゃあ、僕と一緒に行く? 近いし、連れて行ってあげられるよ」と言った。
「うん! ぼく、ひとりでおしたくして、とうまくんといっしょにほいくえん、いく!」
「え、でも、それは……大変だよ?」
「でも、しのぶは毎日してきたことでしょう? 大丈夫だよ」
「わーい、とうまくんとほいくえん!」
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