第3話

 私と馴染みは、正式に騎士と認められて良い年頃と成ったが、其の位を授かるにはヘザー侯爵直々の許しを要する。侯領の都へ発つ事を二週後に控えた時になって、私は意を決し主に談判した。僧職にりたいと。事実上の婚約破棄の願い出である。リーン教をおさむる者は独身で在らねばならない。主は暫し私を見詰めたのち、静かに頷かれた。「確かにお前は修道士に向いているやも知れぬ」と言って、「しかし、お前に教えた馬術や剣術は如何様にするのか」と尋ねられた。私は「リーンのおしえを守る騎士に成ります」と答えた。武装を許された教会は幾つか存在する。其の中で、私はユストゥリアス騎士団を前身とするウェリア騎士に成ろうと考えた。現在は海を渡った先のアウリー王国南方の諸島を拠点とするが、元々は此のヘザー侯領より南の、今はフォルマ帝国の領地と為ってしまった場所に生じた、修道士達に依る騎士団である。戦いで傷付いた戦士達の治療を主な役目としつつ、必要とあれば武装し、戦中に身を投じる。其の様な者に成りたいのだと言って、私は主の許しを請うた。果たして、此れはあらゆる者達への裏切りであった。無論嬢に対してがそうであるし、馴染みの男に対してもそうである。私が嬢の夫に成らぬのであれば、彼が嬢の夫に成るのであろう。逃げである。リーン教を修るに私は到底相応しくない。心は生れながらに罪悪として在り、愛する者達を裏切る事で罪は色濃く上塗りされる。私はリーンの教を修るに値する人間ではない。只々逃げたいと云うだけなのだ。此の様な者を光明たる神は受容れぬであろう。だが、主は「分かった」と言った。「お前の生きたい様に生きるが良い」と、此の卑劣な裏切り者に赦しを与え賜うた。

 私は嬢にも馴染みの男へも告げる事をせず、無論見送りを受ける事もなく、単身隣国の地を踏んだ。逃亡以外の何ものでもない。温暖なウェリア島の教会を訪ね、私は修道の誓いを立てた。何とも上辺ばかりの口上である。私の中には、リーンの教に対する憎悪の情があった。罪悪が如何にも敬虔な様子で神聖を侵しに遣って来たのである。しかし、司祭にして団長で在る男は、私と云う罪悪の権化に何の疑いを持つ事もなく受容れた。其の時私の抱いた思いと云えば、感謝などではなく、果たして此の司祭というリーン教に於いて上級なる者には、善なる者と悪しき者を見分ける事も出来ぬらしいと、あざけりさえする有様ありさまであったのだ。

 斯様かようにして、リーン教典を読誦どくじゅ思惟しゆいする日々が始まった。思考事は好む性分であったが、既に教育の一環として教典を読み通していた私には其処から今迄以上の気付きを得られる事はなく、司祭にる教典解釈の説教も腑に落とせずにいた。否、抑々理解しようと云う心持ちがなかったのだ。しかし、如何にも解った様な振りで居た故か、私は司祭に大層気に入られていたようで、先輩の修道者等も何故か好意的であった。

 ウェリアは文化的な島であり、名声は未だ無くとも類稀なる技巧と感性を持ち得る肖像画家が居り、私は其処へ往って只創作の様子を見て習い、館に戻っては借りた空き部屋を画材の臭気で満たしながら、何かと描いていた。或る晩遅く迄そうしていた私は、自室として与えられた場所への道程を手持ちのランプを頼りに歩いていた。一つの部屋に差し掛かった時である。明確に男のものと判ぜられる卑しい嬌声が聞こえたのだ。初め聞き紛うたのだと思ったが、しかし私の足は自然其の部屋の扉へと近付いて、無意識に鋭敏さを増した聴覚で様子を窺った。果たして、確かに扉一つ隔てた場所で、男同士が性愛を交わし合っていたのである。其の部屋の主はアウリー人であった。アウリーの教義に於いて同性愛は罪とはされない。しかし此処はリーンの修道会である。恐らく元々アウリーの文化の中で育った者にとっては、リーン教に於いては罪とされる其の事柄に対しての意識が薄弱なのやも知れぬが、とは云え。私は目眩を起こしながら、其の部屋から離れた。自室に戻って眠らねば為らない。一刻も早く眠り忘れねば為らないと思った。

 私は馴染みの男と抱き合っていた。衣服を纏わず、互いに全てを曝け出していた。肉体は繋がり一つと成って、彼は幸福の笑みを浮かべ私を見詰め、私の心もまた幸福に満ちていた。彼は愛を囁き、私は其れに応えた。繋がりは更に深く成り、深く迄を彼に暴かれた私は素直に成る他なく、女の様に啼いた。只々彼への愛を叫び、幸福を叫び、何者にも咎められる事なく昇り詰めた。無論、其れは夢である。入眠前の出来事に触発されたが為の夢である。其の様な幻夢へと陥った事は此れ迄の人生に於いて初であって、想像を仕掛けた事は在れど、意志で以て咎め制して来た。しかし、意志の力の働かぬ眠りの世界で、私は到頭彼と愛し合ってしまった。覚醒時の虚しさと罪悪感、そして自らが女の様に振る舞っていた事への嫌悪感。私は頭を掻き毟りながら、絶叫したい程の、しかしたとえ其の様にしても到底赦せぬ程の思いに駆られた。鳩尾から迫り上がるものを窓辺より吐き出しながら、私は思い知ったのだ。私の夢は罪悪だ。抑々、私の存在其のものが罪の権化で在ると云うのは決して私の思い下がり等ではなく、事実なのだと。私は夜明けを待ち恐れながら、只管に泣き呻く事しか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る