聖性

天満悠月

第1話

 帝国紀元一五九六年、雄健の月第一の次元神の日に、ヘザー候領の村落にて私は生れた。王子と云う出生にありながらにして僧職にり、リーン教王の位に就き、其れ迄政治に深く干渉し時に国政を乱しがちであったリーン教の在り方を変えた偉大なる御方の名にあやからんと、以降誕生した子供にはルートヴィヒ、或いは女児であればルイーゼと名付けることが流行した。私も偉大なる教王と同じ名を貰い受けた者の一人であった。

 私は農民の子であった。二月前に生れた同じく農民の子である男と、私は馴染みであった。幼年期の私は、屡々しばしば騎士の真似事(とは云え、農馬に跨るだけの技量は持ち得ていなかったので、両足で地に立ち、手頃な木の枝を振るうという遊びである)をして、未だ労働力とは為らぬ時期を過ごした。其の様な時分に、私等は地主の目に留められたのである。「私に仕えてみる意気はないか」と、下流の者等からは好評を受けつつも上流の者等からは悪評を得ていた村落の主は、未だ七つに成るや否やと云う薄汚れた子供等に案を呈したのだ。私は友と相談し、「親の許しが得られれば其の様にしよう」と、もう少し分別の付く頃に成って思い返せば何とも不敬極まりない返答をしたのである。無論、親が反対する筈はなかった。

 そうして、私と馴染みは地主である騎士に仕える事となった。おもには彼の身の回りの世話を担う役目を与えられたが、第一にあるじは私等に十分な教育を施そうとした。文字を教えられ、数学を教えられ、歴史とリーンの教義について教えられた。紳士としての振る舞い方を、主の姿から学んだ。主には娘御が居られた。細君の忘れ形見であるらしく、彼は娘御に衷心ちゅうしんよりの愛情を掛けて居られるように思えた。その娘御はアダルハイディスと云って、随分と古めかしい名をしていた。彼女は男勝りな眉と力強い瞳の持ち主であったが、性格は至って大人しく、声は小さく、其の様な感じであったので、当初の私は彼女に対し、気難しく無口であるという様な印象を抱いていた。

 私にとっての第一の転機は、館に飾られた一つの絵画を目にした事である。其れは主の亡き細君の肖像であったのだが、私は其れに深く感銘を受けた。婦人の姿にと云う因りも、「絵」と云うものに惹かれたのである。此の世は色彩に溢れている。変化とは常々じょうじょうの事象であって、人や動物は心の臓が動く限りに動き、目に映る景色は決して静止する事はない。しかし、絵は時のうつろいから切り離されたものだ。否、其処に描かれたものは尽く、時間の遷ろう中で変化して征くものを、一部ごとにカンバスへと落し込み、無二なる時の完成を作り上げている。私は俄然絵画と云うものに興味を抱き、勉学中にあっては屡々目に映った小さきものを皮紙の隅へと写し取り、主に頼んで紙束と木炭の筆を貰って、夜毎よごとにその日を振り返っては印象深きものを描き残していた。私はあらゆるものに興味を抱く人間であった。村落にって来た流浪の楽人がくじん詩楽しがくを耳にしては惹かれ真似事をし、文学に触れてはまた惹かれ、短な物語らしきものを書き綴った事もある。

 とある日、私が馴染みの肖像を描いていた時の事である。嬢が其処へ来て、私の手元、描き掛けの馴染みの絵を覗き込む。私は少しばかり気を遣りはしたが、手を止める事はなく、木炭を動かしていた。そうしていると、嬢が一言「私に絵を教えて呉れませぬか」と申される。私は他人に指導できる程の者ではなかったが、嬢が言われるからには「えゝ」と答えるほかもない。私の嬢と過ごす時間は増えた。私も嬢も、主に人物を描く事を好んでいた。習作の題材と為るのは私の馴染みである事ばかりで、馴染みとしては二人の人間に観察されながら碌に身動きも取れぬでいる時間と云うのは大層居心地の悪いものであったろうと思う。私が絵画、詩楽、文学に関心を抱くのと同様に、嬢も絵画のみならず詩楽、文学への関心があって、私は彼女との会話を楽しんだ。嬢は口数の少ない方だと思い込んでいた訳だが、決してそうと云う事では無かった。彼女は慣れた相手に対しては饒舌じょうぜつであって、更に関心事については話の止まぬ多弁な御方であったのだ。私等の意気は投合し、是等これらの趣味を通し親睦は深まっていった。

 やがて年齢も嵩んでいった。ファーリーンは改革の時代にあって、各貴族領が争っていた。其れは主に宗教的な理由に依った。リーン教典を拠り所とする此れまでの体制(教典派と呼ばれる様になっていた)と、リーン教典の元となった「アルビオンの書」にこそ、真実の救済の道は綴られていると主張する新勢派(此方こちらは原書派と呼ばれていた)の主張が衝突し、貴族間でも意見が対立していたのである。私等が属するヘザー侯領は公に教典派であったが、私にはさして関心の迄ばぬ事であった。とは云え、いざヘザー侯領が争うと為れば、其れは隣接したアクスリー公領との間に勃り、亦フォルマ帝国も屡々突付いて来るので、あるじは頻繁に戦へ駆り出された。彼の領地はヘザー侯領の北部にある故に、大抵の場合相手にするのはアクスリー公領であった。十四に成っていた私も、馴染みの男も、主に付き従って戦地へ赴いた。主と彼の馬に鎧を纏わせ、盾を持って運んだものである。私等の位は従騎士であって、将来は騎士と成る事を求められていた。戦力は多くとも損とはならぬ。しかしながら此の様な位に就く少年と云うのは、抑々そもそもの生れがたっとい者が殆どであったので、農民出身の従騎士を伴っている主と私等は、の騎士や従騎士等から冷やかに瞠られたものである。しかし、主は私等に「何も動じる事はない」と言って退ける器量を持ち合わせていて、其の言葉と声音には私等に己に対する信を持たせる力強さがあった。

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