第2話

 閑話であるが、此処で私の罪を一度告白する。私は馴染みの男を好いていた。その好意が友人へ向けられるものであったのも、半ば程は左様である。しかしながら、其れとは異なる感情を抱き生きて来た事に、丁度此の時期、曖昧ながらにも自覚しつつあった。彼は屡々しばしばに於いて私に「お前は何でも卒なくこなしてしまうから恐れ入ってしまう」等と言って来たものだが、私はむしろ彼の方こそ敬服されるに相応しい人間だと考えていた。真面目で努力家であったし、気性は穏やかであった。其れでいて凛と男らしく堂々として、見目も好い。私の背丈はさほど高くもなければ、見目も性格も男らしくはなかった。私の性格は寧ろ女性的であったかも知れぬ。しかし私は男としての自我が滅法に強く、其処に漠然とした、しかし激しい葛藤があった。私は常に、自分は男であると己に言い聞かせていた。そうしなければ、其の様に在れない様に感じていたのだ。私は女の様な性格である自分を憎悪していた。気を緩めたが最期、呑み込まれてしまうのではなかろうかと恐怖していた。私は自分自身の中に存在する女性性を排しようと、日々、昼夜と問わず自己を律する事に余念が無かった。

 十七に成った時、主は私に申された。「娘と結婚し、私の跡取りと成っては呉れまいか」と。嬢と私が睦まじくしている様子を主は長らくご覧になって来られたのであろうが、私は馴染みの方が余程主の後継者として相応しかろうと思った。しかし、主も良く思案した事とあっては、私には「はい」と答える以外にない。処で嬢の気持ちは果たして。ファーリーンに於いて、特に上流の家柄に属する女性に相手を選ぶ権利と云うものは殆ど無きに等しい。しかし、前にも述べた様に主は娘御を大層愛して居られたので、生涯を共にするのならばどちらの男が良いかと尋ねたそうである。つまり、嬢が選んだのは私と云う事だ。確かに、私は嬢に好意を抱いてはいた。しかし、それは純然たる友愛の情である。彼女と過ごす時間、彼女との談笑は私を和ませるのだから、共に長く過ごせるのであれば其れも良かろうと思いながらも、私は激しい虚しさに襲われた。其の晩、私は独り泣いた。月が満ちている日であった。アルビオンの光は私の心の中までをも照らし上げ、其処に存在する罪悪をあらわにさせんとする様であった。私は愈々いよいよ其の罪悪と向き合わされようとして、しかし到底向き合う事は出来ず、其の様なものは存在せぬとした。

 其の翌日の事である。晩を通して泣き腫らした私の目を見て、馴染みの男はどうしたのかと案じて呉れた。だが、当然ながら私は真実を教えはしなかった。何と答えたものか、何か適当な理由を答えた様に思う。いやに彼の隣に居座る事を苦痛に感じたのを覚えている。彼の匂いの心地さ、呼吸の為に静かに揺れる気配、此の日の私は其れ等を執拗に感じ取った。私が生涯を共にしたいのは彼であると思い知らされる心地がした。私は俯向いていて、彼は宙を見詰めていた。そうして時間ばかりが過ぎて往く。やがて彼が大きく緩慢に一息を置いた。そして「なあ」と言った。私は「何だ」と言って、彼を見た。彼もまた私を見た。其の時私は愕然としたのである。彼の瞳の奥には、私と同じ、形を成さぬ罪の色が見て取れた。彼も亦、私と同じ罪悪を抱えていると、そう気付いた。其の矛先が私へと向いている事も同時に。「自分は」と呟いて、彼は唇を戦慄わななかせた。其の先の言葉は無かった。しかし手が私の方へ伸びようとしていた。友としてこれ迄幾度となく組み合った肩であるが、此の時ばかりは互い如何様いかようにもし難かった。彼は震える手を組み合って俯向き、「何でもない」と言って終わらせた。只其れだけであった。私も「そうか」と相槌する他なかった。やはり虚しい心持ちであった。私は自ら罪悪の言葉を口にする勇気等、端から持ち合わせてはいなかった。しかし、先には彼が言葉を継いで呉れる事を期待したのである。何と卑怯な事であろうかと、己を顧みて思った。私の心は既に、如何いかんともし難いほどに罪に染まっているのだ。しかしながら、其れを口にする事をせぬでいれば、救いの光は伸べられ続けるものと信じていた。己一人で堕ちて往く勇気等はなく、しかし彼が共に堕ちて呉れるのであれば歓喜してそうしたであろう。しかし、終ぞ彼は口にしなかった。私と同じである。だが、其れを口にしてみようかと試みた処からして、やはり私などより余程勇気の在る男であった。

 嬢との婚約を発表する場は、村落の酒場と相為った。私が農民の生れであって、其処には父母が居り、亦もはや記憶に薄いとは云え幼き頃の知人友人等も居た。主はしげく館から出て村落の者達との交流を深める事を是としていた。其の場の一つが酒場であったのだろう。多くの者が集った。嬢は緊張した様子であった。是迄、彼女が館から出る事は殆ど無かったのだ。賑わう酒場の壇に上げられた私等は注目の的である。主の口から高らかに私と嬢の婚約の発表がされた。俄然拍手喝采。私の目は、吸い寄せられるかの様に馴染みの男へと向いた。彼は笑みを浮かべて私を見詰め、両手を打ち鳴らしていた。其の笑みの裏に存在する底知れぬ哀愁が、私には見えていた。私は彼から目を逸らす事が出来なかった。きっと、私も彼と同じ表情をし、その奥に秘めようとする哀愁を、彼一人へ切に訴えていたに違いない。直ぐ傍らに立つ嬢の事はまるで頭になく、私の意識は彼へとばかり向いていた。喝采の音は遠く、空虚であった。例えば彼と共に此処へ立ち、是等これらの喝采を浴びられたとしたら、れ程歓喜出来たであろうか。愛想を振りまく笑みを顔に貼り付けながら、無意味な空想をした。長らく離れていた両親らに出世を褒め称えられ、其れ等をおもてばかりの感謝の言葉と共に受け、いわいは夜通しののちに終わった。私は只々虚しいばかりであった。

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