夢の国
藤野 悠人
夢の国
増税に次ぐ増税、値上がりに次ぐ値上がり、更に何度目かの世界恐慌が世界を襲ったことで、あらゆる娯楽が高級品になってしまった日本。
長い間、少年たちに親しまれてきた週刊漫画雑誌でさえ、千円を越えてしまった。しかし、給料は一向に上がらない。インターネットさえ利用料金が跳ね上がり、全てのアプリは課金制になってしまった。
娯楽を奪われて、人々は絶望していた。しかし、ある天才科学者が、画期的な技術を編み出し、新進気鋭の若きベンチャー企業の社長と手を組んだことで、人々は新たな娯楽を手にした。
『我が社が開発した、ドリーム・トリッパーは、皆さまから頂いた夢を保存し、あらゆる人々に文字通りの夢を提供します。出資は皆さまの夢! ですから、この大不況時代にあっても、破格でお楽しみいただけます!』
夢は、眠っているうちに見る、あの夢である。新たな癒しを求めて、人々はドリーム・トリッパーを買い求め、それに熱狂した。
この時代、夢は見るものではなく、売買されるものになった。
人々はリサイクルショップに行く気持ちで、全国の『夢販売店』に行った。質の良い夢は、特に高値で売れた。質の良い夢を見るために、質の良い睡眠を取ろうとし、睡眠に関する本やベッドが、怪しげなものも、そうでないものも、飛ぶように売れた。
今や日本では、この『睡眠と夢のビジネス』が、市場の中心となっていた。
国民は皆、この娯楽に没頭した。夢の中では、あらゆることが実現できた。
自由に空を飛び、恐竜と触れ合い、世界一の富豪になって贅沢をし、物語の主人公になり、有名人と親友になったり、恋人になったりできた。しかも、ドリーム・トリッパーが提供する夢は、映画やドラマのような、決まった映像を見せるものとはわけが違った。なんと、使用者の脳波を読み取ることで、それぞれの微妙に異なった、好みを完全に把握した夢を見せることができたのである。
まさに文字通りの「夢の発明」。人々は、ドリーム・トリッパーをこう呼んだ。
―――
「先生、まだ帰らないんですか」
日本で最も優秀とされる、ある大学の研究室で、ひとりの若い院生が、教授に声を掛けた。
「まだ資料を読み終わってないからな。それに、実験の結果が出るのも、もうすぐだ」
この教授の専門は、脳科学だった。それも、今まさに一世を風靡している夢に関する研究だ。そして彼は、強硬なドリーム・トリッパー反対派の研究者でもあった。
「先生、まだドリーム・トリッパーに反対しているんですか? そのうち企業に睨まれますよ。今や国策になりつつあるのに、それじゃあ研究資金だって打ち切られちゃいますよ」
「あぁ、そうかも知れないな」
院生の言葉に、しかし博士は厳しい表情を崩さず答えた。
「だが、ドリーム・トリッパーは危険だと思う。例の企業は、夢の抽出と再現の技術で特許を取ったそうだが、人間の脳から強制的に夢を引き出す行為が安全とは思えん」
「でも、臨床試験でも問題ないって、あの会社は言っていますよ」
博士は首を横に振った。
「資料があまりにも少なすぎる。それに、あの研究には反証となる意見がない。追試の結果だって疑わしい。私にはどうにも、裏があるように思えてならない」
強情な博士に呆れたような顔をして、院生の青年は帰っていった。
その後、この教授はひとつの論文を完成させた。タイトルは『夢の入出力による脳への機能障害について』。しかし、学会が開かれる直前に、心臓発作によって死亡してしまった。
同時に、論文のデータも消失してしまったのだが、それに気付いた学生はひとりもいなかった。
―――
ドリーム・トリッパーが開発されて、十数年が経った頃。日本の経済とインフラが崩壊した。
人々は深刻な精神疾患を患っていた。国民の七割が、夢と現実の区別がつかなくなっていたのである。ドリーム・トリッパーを外すとひどいパニックに陥り、再び夢の中に入っても、見たい夢が見られず、悪夢に襲われる。
当然、企業に対し非常に多くのクレームが入ったが、自動音声の案内が聞こえるばかりで、誰も電話に出なかった。
そのうちに、この技術を作った科学者も、販売した企業の社長も、海外へ飛んで行方が分からなくなった。解雇されたドリーム・トリッパーの販売員たちは、身元が知られないように隠れながら生活をしなければならなかった。
今や街にいるのは、夢と現実の区別もつかなくなったドリーム・トリッパー中毒者と、職を失い、貧困にあえぐ者ばかりになった。
夢にうつつを抜かした国。後の世では、こう呼ばるようになった。
夢の国 藤野 悠人 @sugar_san010
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