07 ファルス

 ランチを済ませ、ホテル入口につけられた車に乗る先輩を見送った。

 今日はこれから夕のパーティーに向け、また色々とあるらしい。

 一般家庭から少し上にずれているとはいえ、私の金銭的感性はまだまだ一般大衆と相違ない。

 今日奢られた食事代だけでも眉を顰めるというのに、彼女にとってはそんなものもコーヒー代と変わらないのだろう。

 絢爛なセット、陽光まで計算された景観に耳に障らないように丁寧に整えられた音楽たち。

 主役たる皿の上の演者たちを盛り上げる最高のセットを思い返し、しっかりと記憶に焼き付けたところで、ふと風景が私の視界の中に浮かんだ。

 

 弾けるような笑顔と、面白さ、嬉しさを隠さない声。

 期待の笑顔で並ぶ人と、後ろに並ぶ人。

 あの場に出ている食物全てをまとめても、先の食前酒一本分にも満たないだろう。

 それでも、笑顔の数と質は、あちらの方が優っていたような気がする。

 大衆演劇と、文化作品。

 常に並べられ、比較されるそれらをまた別の形で並べられたような気がした。

 

「お客様。」

 

 声をかけられ、私は乗り場で立ち尽くしていたことに気づいた。

 髪を撫で付け、制服を着こなした一部の隙もないコンシェルジュが両指をトラウザースの線に沿わせ、心配そうな目で私をみていた。

 

「もしよろしければ、カフェに案内させて頂くこともできますが。」

 

 呆けたまま、立ち尽くす私に中で休まないかとかけてくれるその声に微笑み、ありがとうと返す。

 別段予定はなかった、だが、促されるままにここで留まるのも何か違う気がしたのだ。

 

「ですが…」

「あぁ、うん。ほんとにごめんね、少し考え事をしていただけなんだ。

 もう行くよ。」

「でしたら、駅まででもお車を。」

「いや、いいよ。

 今日は歩いて見たいんだ。」

 

 笑いながら手を振る私をまだ心配そうに見る彼。

 女性としては高めな私の背よりもまだ高い彼に見下ろされている。

 横も縦も、後ろから見たら彼で私が見えないほどにスッポリと入るだろう。

 そんな彼の困り顔が可愛くて、名札の名を呼ぶ。

 

「大丈夫だよ、朽木さん。

 でも、ありがとう。 あなたに気にかけてもらえたことは、後で先輩に言っとくね。」

 

 小さく頭を下げ、ホテル入口から足を進める。

 生垣に庭園、しばらくは人のいない道をのんびりと歩く。

 空と風と、私の感覚器を刺激するものの少ない時間をゆっくりと過ごす。

 劇を観た後のような落差を、自身の中でしっかりと収める。

 街中にあったような情報のない中を、ぼうっとしながら。

 

 少しづつ景観が変わり、人の歩く姿が見えてくる。

 静けさが身を潜め、人の喧騒が息を吹き返してくるような。

 そんなグラデーションを通り過ぎる中、ふと、あの道を通ろうと思いついた。

 目的は、あの店にいた彼だ。

 

 行く先を定めると、足音が力を増した。

 釘を刺しておくか。 そんなふうに考えながら右を、左を前に出す。

 人のざわめきを縫っていけば昼過ぎの時間だからか、目的の一角には並んでいる人は居なかった。

 

「あれ、篠田さん?」

「おぉ、マジだ。どうも、お久しぶりです。」

 

 目的の店の前に広げられたテーブルに座る一組のカップル。

 あの日、劇場であった二人で、確かルカの友達の桃ちゃんと秀人君だったか。

 小柄な桃ちゃんによく似合う色使いのすっきりとしたコーデ。

 やぼったい眼鏡が逆にアクセントの役割を果たしていて、一歩間違えば没個性になりそうな彼女のフックになっている。

 最近はルカをはじめ、綺麗めな子を多く目にしていたからか、小動物的な愛らしさを抱かせる彼女も、とても良い。

 ルカの親友というのが残念だ。

 愛はいくら振り撒いてもいいが、恋にだけは一途でありたいのが私なのだから。

 

「久しぶりだね、お二人さん。

 今日はデートかな?」

「いえいえ、そんなそんな。

 山上君がバイトするってルカから聞いたから冷やかしに来ただけです。」

「それだけのために?」

「えっと、一応バイト後はご飯食べて遊ぼうかって話もしてまして。」

 

 なるほど、一応デートと言っても良いと思うのだが、桃ちゃんたちはよくこうやって遊ぶということか。

 得心して、私がいても良いかと考え指で空いている椅子を指すと、どうぞと桃ちゃんが促し、秀人君が椅子を引いてくれる。

 そんな二人の行動に感興を催して、私らしくもなく破顔一笑した。

 ありがとう、と秀人君に礼をして木製の椅子に座る。

 クッションも何もない、とても陳腐な椅子だ。

 しかし、目の前にいる好ましい二人と、これから行える嫌がらせを考えればとても素晴らしい環境に思えた。

 

「二人とも甘いものは好きなのかい?」

「大好きです!」

「まぁ、俺は人並みに。」

 

 二人の手元には紙ナプキンと使い捨てのおしぼりだけ。

 おそらくまだ注文したばかりなのだろう。

 丁度並んでいる人もいないタイミングだし、

 

「店員さん、 クロワッサンたい焼きのカスタードクリームを一つ。

 縁以外には絶対に焦げ目をつけないで、きちんと温めたクリームを入れてくれたまえよ。

 ドリンクはニルギリホットで。」

「うっざ。」

「聞こえてるよ〜? 炎上させてあげよっか?」


 鉄面皮が苦み走った表情に歪むのがとても楽しくて、人差し指の第二関節を口元に寄せ、くすくすと笑みが溢れるのを抑えた。

 もはやお互いに敵認定は済ませているため、口舌によるやり合いに遠慮はない。

 

「おぉ、すっごいね、今の声。」

「ん?」

「あのね、叫んでないのにすごい響くの。

 舞台の人の中にも時々いるんだけど、囁き声を響かせることができるんだよ、篠田さん。」

「あぁ、そういえばさっきやけに聞こえてたのに、うるさくなかったな。」

「そうそう。」

「桃ちゃん、お目が高いね。

 あの時もしっかりしてたし、観劇の経験深いのかな?」

 

 私の声に反応をしてくれた桃ちゃんに、素直に感心して声をかけてしまう。

 囁き声を響かせる、という表現も気に入った。

 

「え? あ、はいその、二・五次元を少々。」

「二……あぁ、最近よく聞くゲームやアニメ原作の舞台か。

 私はあまり造詣深くないんだけど、結構実力ある人たちもやってるんだね。」

 

 苦悩してたい焼きを焼く山上君をチラチラと見ながら、桃ちゃんに目を向ける。

 思いがけないところで出会った人と、思いがけない接点がある。

 こんな出会いは大歓迎だ。

 喜色を隠しきれない私の声と目に、桃ちゃんは弾けるような笑顔で応え、次々とその小さな口から言葉を放ってくる。

 初回は酷すぎて伝説になったあの舞台がどうだ、ファンからの要望も多くて感想も素晴らしいものだったのにゲームが炎上して続編が演られなかった舞台がどうの。

 私のアンテナには綺麗に引っかからない類の演劇の情報が並べられていく。

 話のところどころに相槌を打ち、秀人君も行ったらしい舞台の感想を聞いたりしながら桃ちゃんに水を向けると、その舌はどんどんと滑らかさを増していく。

 気付けば彼女のおかげで三人ともにまるで仲のいい友人のような距離感で話していた。

 熱のある口調と、不思議と拒絶しにくい彼女自身の雰囲気はとても得難いものに思えた。

 

「はい、キムカルとこしあんとクロワッサンカスターです。

 ドリンクはこっち。」

 

 故に、そんな楽しい時間を打ち切るような声の発生者に冷たい目を向けてしまうのも仕方ないことだろう。

 いつだって、楽しい時間の終わりを告げる鐘は恨みがましく見られるものなのだから。

 

「はぁ、楽しいところだったのになぁ。」

「タイミング悪いぞー、山上君。

 ほら、シュウ君もなんか言って。」

「これ尻尾まで餡は入ってるやつ?」

「ウチではやってないっすね。」

 

 一皿一皿私たちの前にたい焼きが置かれ、合わせて紙コップも置かれる。

 プレーンな秀人君、香ばしい香りで、腹立たしいことながら本当に綺麗に縁部分だけしかメイナード反応を起こしていないこんがり狐色の私のたい焼き。

 そして米粉で練られて明らかにおにぎりとかのレベルになってそうな桃ちゃんのたい焼き。

 うん、各々見た目は綺麗に作られていて文句のつけようがない。

 そこは少し悔しい。

 

 いただきますの言葉を言う二人を追って私も手を合わせ、ナプキンで手を拭いてから生地を齧る。

 さく、と言う音と共に舌の上で解けるミルフィーユ状の生地はフードトラックで出すには合わないほどにしっかりとした小麦の旨みを伝えてきた。

 美味しい、と口に出すのが悔しくてつい厨房車に戻る山上君の背を睨んでしまう。

 

 二口食べて、コップに汲まれた温めのお茶を飲む。

 甘さが流れて、次を口に入れるのがとても待ち遠しくなった。

 促されるように次を。

 視線を向にやれば、思った以上の辛さだったのか、額からじんわりと汗をかく桃ちゃんと、その額を拭う秀人君。

 その姿がとても可愛く見えた。

 

「君たちは、ルカとは付き合いは長いのかな?」

 

 お互いに目の前に置かれた魚状のお菓子を食べ終えた頃、そう二人に問うてみた。

 自分のもの、そして彼氏のものを飲み干してもまだ辛そうにしている桃ちゃんに私のお茶をそっと差し出しながら、そう聞いてみた。

 コップを受け取り、指先がウロウロと躊躇して私のリップのついた場所とは反対の飲み口に口をつけて桃ちゃんはお茶を飲み干した。

 その動きに私はついクスリと小さく笑息を漏らしてしまうが、シュウ君は呆れたような顔をしている。

 

「俺も桃も、三年くらいっすかね。

 あいつらと知り合ったのは高校からです。」

 

 息を吐く桃ちゃんの口の端に残った赤を拭いながら、シュウ君がそう言う。

 不意打ちの行動に、桃ちゃんの顔がカプサイシンによるものではなく赤く色づいた。

 何も言葉を離さない桃ちゃんだが、口を押さえながらチラチラとシュウ君を見る動作が五月蝿くて見てて新鮮だ。

 

「へぇ、高校生からか。

 ん、だとすると桃ちゃんとシュウ君の付き合いもそれくらいから?」

「そう、すね。」

「へぇ、そうなんだ。もっと前から二人は一緒にいるのかと思っちゃったよ。」

「そうすか、あの、ありがとうございます。」

 

 過去を懐かしむような、目の前の桃ちゃんを愛でるような、そんな目でシュウ君が紙ナプキンを畳みながら私に応える。

 そんな彼と視線をぶつけた桃ちゃんも彼女らしくない大人しい笑顔を浮かべた。

 背骨を支える時の積み重ねが二人から感じられた。

 良いことも悪いことも、二人で重ねてきた結果がこの二人であるならば、あぁ、恋から愛へと変わる関係のなんと眩しいものか。

 唇を突き出し、もっと拭けとせがむ桃ちゃんの頭を抑えるシュウくん。

 そんな二人に、私の目尻も下がってしまう。

 

「段階が上がって、学校が別れても。

 それでも友達でいられるんだね。」

 

 すごいな、と、素直にそう思った。

 私個人で言うならば、小中高の友人もまだまだ連絡を取る相手はいる。

 ただ、それは全て私個人に対する知り合いだ。

 グループを作り、日頃から会い、こうやって幾人かで集まるような知り合いとなれば、自信がない。

 

「そっすね、結構色々やって、色々ありましたから。

 高校終わっても気づいたら遊んでます。

 あ、そういえば俺と桃もそうですけど、元も高校の時のやつとも遊んでますよ。」

「あぁいや、そっちは良いや。」

「そっすか。」

「おや桃ちゃん、彼氏君の真似かい? かわいいよ。」

「ぅえへへへ。」

 

 桃ちゃんの前からカップを取り、山上君を見た。

 私の視線に敏感に気づいた彼に対して、空のコップを振る。

 動作に合点がいったのか、片目を細め、いやそうな顔をしながらあごでキッチンカー前に置かれたピッチャーを示した。

 なるほど、と席を立とうとする私を制し、桃ちゃんがトレーを持って立ち上がった。

 私が行ってきますから、という言葉に甘え、一度浮かせた腰をまた椅子に据える。

 装飾が多めに見えるスカートが翻る姿は控えめにいってとても愛くるしいもので、パンツルックを多用する私にとっては少しだけ羨ましい気もする。

 

「良い子だね。」

「はい。」


 照れも、謙りもない。

 心からの肯定を返す姿は自信にあふれたものだった。

 何の暗さもない白の声に、貼り付けていた笑顔の下から生の私がうっすらと浮かぶ。

 

「ねえ、シュウ君。」

 

 君はどれだけ自分が恵まれているか、知ってるかい?

 そう声に出そうとして、舌の先を口蓋に付け、言葉を留める。

 ぐ、と口を引きしぼり、下に乗った下世話な台詞を喉に落として、適当な言葉を舌からこぼす。

 沢山の本を読んで、舞台を見て。

 人よりは語彙のあるつもりなのだがこう言う時にはいつも書き割りの言葉しか使えない自分はやはり才能がないのだろう。

 

「幸せかい?」

 

 座高の都合上覗き上げる私の目。

 力強さはそれなりで、願力という意味では大した威圧もない普通の目なのだがその目は不思議と揺らがない。

 

「はい。」

 

 短く返された言葉に、口角が上がる。

 鼻から下、貼り付けた笑顔は既に解けていた。

 喉と肩の間あたりから浮かぶくすぐったさに、私の笑みは仮面を支えることはできなくなっていた。

 

「はい水。」

「あ、すんません。…………っす。」

 

 デミタスカップほどの大きさのコップに、72.7mN/mの表面張力を最大まで利用して注がれた水。

 それがシュウ君の前にそっと置かれた。

 

「篠田さんの紅茶はこちらです、どうぞ!」

「あぁうん、ありがとう。」

 

 コップと一緒に差し出された紙袋の砂糖に感謝の意を返し、両手でそれを受け取る。

 二杯目無料にしては鮮やかな香りのそれに砂糖を入れて撹拌した後に口をつけた。

 こぼさないように口から迎えに行くシュウ君を桃ちゃんはニヤニヤとしながらスマホで撮影している。

 

「本当に仲良いね、桃ちゃんたち。」

 

 私の言葉に、桃ちゃんの目がこちらを向く。

 

「そう言う話をしてね、惚気のろけられちゃったよ。」

 

 にっこりと笑いながらそう言うと、桃ちゃんの顔がかっと赤くなった。

 

「時折見るバカップルとか、試用期間の人たちとは違ってすごく良いなって、そう思ったんだ。」

 

 私の褒め言葉に、顔に浮かべた照れに喜色を混ぜた桃ちゃんの顔が崩れた。

 子供のようにコロコロと変わる彼女の顔に、演者としての私が興味を、ただの私が羨望と愛らしさを感じた。

 

「あー、その、えっへへ。」

 

 恋人としての関係を褒められ慣れていないのだろう。

 溢れ出る嬉しさに、彼女の手がカサカサと動き回る。

 襟を直し、プリーツを直し、テーブルの上で何度か指を組み替え、くるくると回した後にため息と共にコップを包んで、やっと動きが落ち着いた。

 カップを覗き込み、落ち着いた彼女は嬉しそうな表情そのままに私に向き直った。

 

「バカップルのせい、ですかね。」

 

 嬉しさに身を竦ませながらの言葉。

 ね、とシュウ君に同意を求める姿。

 今までみた事もなかったその反応に、桃ちゃんを見る目に力がこもる。

 

「えぇ、あいつらのせいです。」

 

 頷き、そう応えるシュウ君。

 毅然としながらどこか照れくさそうに話すシュウ君はスポーツマン然とした姿に似合わない愛嬌を感じさせてきた。

 

「桃ちゃん筒井君、遅れてごめんなさ……え? 恭香さん?」

 

 照れ臭くて、それでいて心地いい雰囲気の中に、少し低めで通りのいい、優しい声が割り込んできた。

 テーブルにつく三人共通の知り合いで、待ち望んでいた相手の到着だ。

 

「やあルカ、大学ぶり。」

「ルカー。」

「お疲れーす。」

 

 軽く困惑するルカに、シュウ君が引いた椅子を薦める。

 落ち着いた色でまとめられた、飾らないその姿に私と桃ちゃんの笑みが深くなる。

 

「え、っと。桃ちゃん達は良いんですけど、恭香さんはなんで?」


 ありがとうございます、とシュウ君に言いながら椅子にバッグを置き、私たちを見回すルカ。

 以前の酒の席で仲良く時を過ごしていたとはいえ、こうして卓を囲む想像はしていなかったのだろう。

 まぁ実際その通り。

 今日たまたま山上君がねじり鉢巻で鯛焼きを焼いているところを見なければ私はここにはいなかっただろう。

 そう言う意味では彼に感謝をするべきなのだが、うん、無理。

 

「たまたまだよ、たまたま。

 強いて言うなら、桃ちゃんの可愛さのおかげかな。」

「はぁ、その……はい。」

 

 釈然としないまま、小首をかしげる姿を桃ちゃんが撮る。

 それを視界の端で見た私は、即座に名刺を彼女に向けてすべらせた。

 SNSにメッセージアプリのアドレスもQRで記されたそれを指先で抑えると、桃ちゃんは親指を立てた。

 後で承認をしなくては。

 

「とにかく、桃ちゃんに筒井君と篠田さんが仲良くなった、って事で良いですか?」

「あぁ、概ねその認識で問題ない。

 ね?」

「はい。」

「仲良し。いえい。」

 

 シュウ君と、桃ちゃんが私にそう返す。

 無礼講というほどではない、気易い返しにルカの顔に浮かんでいた困惑が掠れて消えた。

 

「そうですか。」

 

 ずるいなあ、と心の中で呟いた。

 私が同じことを言っても、きちんと仕込まないと言葉だけなら少し馬鹿にしているように聞こえるのに。

 こうやってルカが目の前で行ってくると、ルカの嬉しさが私にまで伝播してくる。

 綻ぶ笑みの暖かさが卑怯だ。

 私たちを見まわした後、その視線がキッチンカーに向く。

 暖かな視線が、にわかに温度を上げたのを感じて嫉妬が湧く。

 

「もうちょっとありますよね。

 何か注文してきます。」

「あ、一緒に行こ。」

「そうだね。シュウ君、お留守番よろしく。」

「え?」

 

 困惑するシュウ君を他所に、ルカの左右に私と桃ちゃんが立ち、キッチンカーに向かう。

 並んでいる人数は三組。

 しかし私達が列の後ろに並ぶ頃には既に二組がはけていて一組前の制服姿の女の子二人の注文を捌いている。

 改めて気づいたが、山上君結構手際が良い。

 列が長い時は先に注文を受けたり生地に火を通してたり。

 メニュー数はそれなりにあるのだが、きちんと先読みして準備できているのは結構すごい。

 また一つ嫉妬しそうになるポイントを見つけてしまい、不機嫌さを隣に咲くルカの可愛さで薄めているとルカの注文の番になった。

 

「ルカ、お疲れ。

 どうだった?」

「うん、大丈夫だって。そっちはど? 時間通りになりそう?」

「あぁ、さっき連絡あったし時間通りになりそう。

 丁度良い時間に来たな。」

 

 二人の会話、それが気に食わなくて、後ろに人も居ないのに急かすようにルカの肩に手を置いた。

 

「店員さん、この子にも私と同じやつを。」

「そいつは白玉つぶあんの方が好きです。

 で、良い?」

「うん。」

 

 嬉しそうに応えるルカに、私的に山上君の好感度がまた削れる。

 自分の好きなものを覚えていてくれて嬉しい、そんな感情を体全体で表すルカが可愛いせいだ。

 つまり、山上君が悪い。

 

「じゃぁそれを、私の奢りで。」

「奢るのは彼氏の特権です。」

「じゃあどうしろっていうのよ!」

「お客様は座っててくださーい。

 大木さんは?」

「クリーム系のやつですぐに出るのある?」

「カスタードホイップなら大小置いてるのあるよ。

 小さいので?」

「ん、それで。

 あ、お茶貰いたいんだけど。」

「煎茶で良ければコップに汲んでいいよ。」

 

 ぞんざいに扱われた私を尻目に、紙に包まれた小さめなたい焼きひとつと番号札を両手で大切に受け取るルカ。

 その横で、桃ちゃんがお茶を汲む。

 両手に持ったコップは桃ちゃんとルカの分か。

 自然にお互いのものを持つのは、友人としての距離感の成せる技だろう。

 結局、私は何を取るでもなく立ち尽くしてしまうところ、ずい、とルカにたい焼きを押し付けられた。

 

「これは?」

「ごめんなさい、恭香さん。

 ちょっと持っててもらっても良いですか?」

 

 あぁ、と返事というよりも吐息のようなものが漏れ、ルカの左手のたい焼きが私へ。

 触れる指先に神経が集中してしまい、心臓が一度大きく鳴る。

 そんな私の前で桃ちゃんが片方のお茶をルカに渡す。

 続いて、桃ちゃんがにっこりと笑い、感謝の言葉を述べながら私の手からたい焼きを受け取る。

 

「ありがとう! 篠田さん!」

 

 やったことは、一時的にものを置く場所になったというだけ。

 だというのに、不思議と満足感が湧いてきた。

 桃ちゃんの笑顔につい浮かんでしまう笑みで応え、ルカを見る。

 慈母のように、というのだろうか。

 心を温かくするものを見つけたような、いっそ汚したくなるくらいに綺麗な笑み。

 気づけば早鐘を鳴らしはじめていた私の心臓はゆったりとしたリズムへと舞い戻っている。


 一体どれだけの微笑みがこの短い時間に浮かんでは注がれていったのか。

 ふと目線を感じてそちらを向けば、鉄板を繰りながらこちらを見る山上君がいた。

 ふふん、と何かを誇るような表情に少し唇を尖らせ、ルカと桃ちゃんの背を押し、席に向かう。

 テーブルの上はシュウ君が片付けてくれていたのか、綺麗に整えられていた。

 

「ういー、おまたせぃ。」

「ん。」

 

 椅子を引くシュウ君に微笑ましさを感じながら、私もルカを座席へとエスコートする。

 幸せな恋人達は、やはり見ていて心に清らかな活力を沸かせてくれる。

 そう思える自分はまだまだまともな感性を持ち得ているということを自覚しながら、スカートを整えて椅子に座るルカに続いて席に着く。

 

「それで、ルカ達はこの後どこか行くのかい?」

「はい、今日はこれから一緒に映画を見にいって、それでご飯でも食べようって。」

「シュウ君に頼んだんだよね。大丈夫そうなのを選んでって。」

「おう、俺のアンテナに反応しなかったら無難なやつだからな。」

「ん?」

 

 ちょっと言ってる意味が良くわかならなかったが、だとすると本当に運よく一緒にいられるタイミングで会えたわけか。

 自分の幸運さをかみ占めている間に、桃ちゃんが話を繋げていく。

 いっしょの大学じゃあない、だからこそ話せるストックが被らないということだろう。

 ルカに話をすること、ルカに話を聞いてもらうことが楽しくて仕方ないようだ。

 先ほどまでの、私と桃ちゃん、シュウ君三人しかいなかった時よりもテーブルの上は会話が弾み、声と話題が入り混じっていた。

 桃ちゃん達の受けている講義の話に対し、お礼として私の受けた中で最も言葉数の少なかった講義の話をして三人の笑いをとっていた所、山上君が商品をトレーに乗せて持って来た。

 チラリと見れば、キッチンカー周りの人は捌けている。

 待っている間に私たちの後ろについたはずの三組ほどのお客さんももう捌けていて、その手際の良さに少々引く。

 

「こちらご注文の品です。」

「あぁ、ありがとう。」

 

 椅子から立ち、山上君から受け取って私が手ずからルカの前に置く。

 予想した通り、ルカは山上君に感謝の意を伝えた後、私にもその暖かさを向けてくれた。

 うんうん、とその感謝を頷きと共に受け取り、キッチンカーに戻ろうとする山上君の背に手をやる。

 

「ところで……」

 

 少し離れた場所まで山上君と歩き、ルカ達に背を向けて話をする。

 近くに来ても不思議と汗の匂いがしない。いや、これは香木? とりあえず男臭さはほとんど無い。 それだけは幸運だった。

 別に苦手ではないのだが、嫌う男の汗の匂いを嗅ぎたくはなかったのだ。

 

「今日、昼なんだけどね。」

「あぁ、はい。」

 

 やはり見られていたか。

 言葉のイントネーションから私の心配は的を得ていたことを確信する。

 

「わかってるね?」

「えぇえぇ、言いませんよ。」

 

 はぁ、とわざとらしくため息をつきながら山上君がそう言う。

 私の言わんとすることを理解できるあたり、彼ももしかして経験が?

 だとすると、楔にできるか、そう思考の端で考える私に、彼は呆れたような顔で言葉を続けた。

 

「大体、何二股かけた彼氏ムーブしてるんすか。

 ルカには箸も棒もかけられてないくせに。」

「君は本当にムカつくなあ。」

 

 眉を潜める私に、どや顔をしてくる山上君。

 だめだ、こいつはわかった上で、なんの落ち度も無いことを確信している。

 悔しいが、欠点の見つけあいでは負けてしまう。

 仕方がないがここは引いておこう。

 

「まぁいいさ、あんまりルカを引っ張りまわさないでくれよ。」

「彼氏相手にそれ言うか。」

 

 疲れたような、呆れたような顔でそう言うと山上君はキッチンカーに向かう。

 さて、彼がバイトを終えるまでの短い時間、それを楽しませてもらおうか。

 喉元のタイを整え、トラウザースの位置を整える。

 大学では見れない、愛する女の子の弾けるような少女の笑顔を堪能しようと私は再度席に戻った。

 夕暮れまであと数時間はかかりそうな太陽の下。

 咲き乱れる笑顔と笑い声に包まれる時間は、気づけば私は随分と気楽に笑うことを許してくれていた。

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