エピローグ 夢の先へ
「……無事に帰るのだぞ、ルシウス」
「ああ。きみも元気で。必ず迎えに来るよ」
薄雲がかかる西海岸の海は凪いでいた。
風もなく、泣きだしそうな灰色の雲がかかる空の下、二人は互いを見つめ、言葉を交わす。
今日はルシウスがジゼラを発つ別れの日――。
精霊に願い海を渡ることも可能な魔法使いも、越境には通常手段が義務付けられているらしく、彼はこれから船に乗って大陸へ渡り、そこから欧州国際連盟の本部へと帰還する。
元の場所へ戻るだけでも半月はかかるという旅路にセシリーヌは驚き、心配を混ぜた瞳で、ただ愛しい彼を見つめていた。
「セシリーヌ」
と、別れを惜しむ二人の向こうに、しばらくして見知った影が見えてきた。
海面を揺らし現れた影は、美しい絵画のような二人の傍へ寄り、そっと声を掛ける。
「お姉様……」
姿を見せたのは、セシリーヌの姉であるメイティナとトリテリスだった。
長い髪を
「お姉様たちも、ルシウスの見送りに来てくださったのですね」
「ええ。正確には、あなたを見送りに、だけれどね」
「……?」
「ほら、お父様。早く出ていらして」
セシリーヌの言葉に笑顔で答えたメイティナは、不思議顔をする妹に頷くと、海を見つめ、急き立てた。
途端、渋々と言った様子で波が渦巻き、やがて、苦い顔をした海王が現れる。
「………」
現れた海王の表情は複雑で、とても見送りに来たようには見えないのだが、ルシウスと共に黙って父を見つめていると、しばらくして彼は、あるものを差し出した。
「……これを持って行きなさい、セシリーヌ」
「これは……?」
断腸の思いで海王が差し出したのは、淡い光を放つ海色の宝石だった。
自ら淡く発光するそれは、見る角度によって微妙に色を変え、輝いている。
だが、突然渡された宝石の意味が分からず目を瞬いていると、海王は堅い声音で説明した。
「これは
「……!」
「つまりな、これを持っておれば、地上でも我々が力を失うことはないじゃろう……」
声を先細らせ、
人間の言葉でされた説明にセシリーヌとルシウスは驚き、彼女の手のひらに乗る海玉珠をまじまじと見つめる。
と、その姿に説明が終わったことを見たメイティナは、ため息と共に言い出した。
「お父様ったら、ずーっと隠してらしたのよ。セシリーヌからルシウスくんが帰ってしまうと教えてもらった後、トリテリスと二人で「あなたたちが一緒にいられる方法はないのかしら?」ってしつこく聞いていたの。そうしたら、さっきようやく教えてくださって……」
「まったく、セシリーヌが全然男の子に興味を示してくれないーって嘆いてたくせに、いざそのときが来るとこうだもん。そんなにセシリーヌと離れるのが寂しいの?」
「お前たちだって寂しかろう……」
「寂しいけど、離れ離れになって寂しそうな顔をしてる妹を見るより、断然いいわよ」
「うぅ……」
すっかり美丈夫が台無しになった顔で娘たちに責められた海王は、浜辺にいるセシリーヌに近付くため乗っていた水の玉ごと移動すると、半分海に浸かりいじけだした。
娘たちが平然としているところを見るに、こういうやり取りも、家族間では珍しいことではないのだろう。
だが、威圧感のある姿ばかりを見て来たルシウスは、普通の父親っぽい姿に思わず笑んだ後で、居住まいを正して言った。
「ありがとうございます。ネプトリア様。これでセシリーヌを……」
「おぬしのためなわけなかろう! ただわしは、共にいたいと願う娘の想いに答えただけ! おぬしのことなど絶対に認めんからな!」
きちんと膝をつき、礼を述べるルシウスに、いじけていた海王は突如怒りを突きつけた。
フンとそっぽを向く様は、娘のそれによく似ている。
やはり親子なのだな、と思いながら笑みを見せたルシウスは、肩を
「では、認めてもらうまで通うしかありませんね。また近いうちにお邪魔させていただきます」
「フン。返り討ちにしてくれるわ」
「お父様、その辺で……。セシリーヌ、荷物よ。あとパルフィー。この子は一緒に行くってきかないから連れて行ってあげて」
娘の交際を頑として認めたくない父親、の模範解答を繰り広げる海王に、メイティナは苦笑すると、様子を見ていたセシリーヌに部屋から持ちだした荷物を手渡した。
海藻でできた小ぶりのバッグの中には、お気に入りのアクセサリーや水の玉入りのパルフィーが入っている。
「ありがとうございます、お姉様。私、ルシウスと一緒に……」
「ええ、行ってらっしゃい。元気で、幸せになるのよ」
「はい……」
ぎゅうっと自分を抱きしめてくれる姉の優しい言葉と腕に、セシリーヌは頷くと、ようやく現状を実感することができた。
海のない場所へ帰還するルシウスに、海がなければ生きられないセシリーヌはついていけない。
だから、覆せない別れ。
そう思っていた現実は、父がくれた海玉珠一つでいとも簡単に覆ってしまった。
これを身に着けることで、セイレーンとしての力を失わずに済むのなら、セシリーヌがルシウスと一緒にいない理由なんてない。
世界を見て世界を変える――途方もない夢の先だって一緒に見ることができるんだ。嬉しさに、熱い涙が滲んだ。
「ありがとうございます、お父様、お姉様……。私、彼と一緒に世界を見てきます。帰って来たときには、たくさんお話させてくださいね」
「ええ、待っているわ」
「楽しみにしてる! ルシウスくんとも仲良くね!」
「セシリーヌ…ぅう……」
互いに涙を見せながら、それでも笑顔で手を振り、セシリーヌは海へ帰っていく家族を見送った。
いつの間にか薄雲がかかっていた空は晴れ、柔らかな日差しが覗いている。
まるで、天気も二人を祝福してくれているみたいだ。
「……まさか、最後にこんな奇跡が起きるとはな」
「うん。私も驚いた」
すると、柔らかな日差しの中、誰もいなくなった海を見つめ、ルシウスはぽつりと呟いた。
別れを覚悟したあのときが嘘みたいに、彼女は今、隣にいる。
その事実を強く噛み締めていると、セシリーヌは華やかな笑顔を浮かべ、
「でも、嬉しい。ルシウス、これからも傍にいていいか?」
素直に、真正面から彼女はそれを願った。
もう決して、ないものねだりじゃない願いに、ルシウスの表情が自然とほころぶ。
「もちろん。次はどんな世界を見に行こうか」
こうして西海岸を後にした二人は、港から大陸に向け旅立った。
二人の旅は、真にここから始まる――。
セイレーンに光の夢を みんと @minta0310
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