第12話 セイレーンに光を
希少価値の高い海藻を惜しげもなく提供する海王に、ジゼラ王は再び頭を下げ、二人は交流を続けている。
その間、深紅に色付く海藻は、ルシウスの魔法で粉末となり、海水と共に国民たちの毒を中和する薬となった。
龍樹本体も伐採され、これで国の危機は去ったと言えるだろう。
「皆、今回の奇病につき、私から大切な話がある――」
王による説明の末、セイレーンの歌が人を惑わすものではなく、水の精霊へ感謝を込めたものだと知った人々は、恐れという名の警戒心を解いた。
セイレーンたちもまた、数千年続いた掟を変え、時折海上に姿を見せては、美しい歌を奏でる存在として認知されていく。
光を知ったセイレーンの歌は今日も高らかに響き、ジゼラの国は活気に満ちていった――。
「ルシウス!」
そんな今日は、ルシウスが島内を案内したいと、セイレーンたちが招かれていた。
晩夏の太陽が照らす西海岸には、セシリーヌたち三姉妹を始め友人が集まり、やって来た彼に手を振っている。
「待たせてすまない。城下の人々に皆の来訪を知らせていたんだ。共に来るのは五人でいいか?」
「うん。本当はオークスも誘ったんだが、断られてしまった」
「オークスって、前に会った幼馴染み?」
「そうだ。どうしてオークスは来なかったのでしょう、ねえ、お姉様?」
黒の
龍樹の一件が終わって以来、オークスは彼女と距離を取るようになった。
もしかして、ルシウスとの
「ふふ、どうしてかしら」
すると、妹の問いかけにメイティナは微笑み、トリテリスは同情を浮かべ笑った。
まるで知っていてはぐらかすような表情に首を傾げると、トリテリスは肩を
「ま、あいつの気持ちも汲んであげなよ、セシリーヌ。なんたって好きな……」
「好き?」
「こーら、トリテリス。それ以上はダメよ」
意外な単語に目を瞬いた途端、制止を入れるメイティナに、セシリーヌの首が傾いた。
正直、姉が何を言いたいのかさっぱり分からない。
だが、「もういいのでは~?」「ダメ」なんて意見を交わし合う姉たちをしばらく見つめていたセシリーヌはやがて、はっと目を見開くと、
「そうか…オークスは海が好きですものね。離れたくないなら仕方ないです」
「……鈍い」
がっくりと肩を落とすトリテリスと、横で笑うメイティナを不思議に思いながら、
海水の玉に腰かけた彼女たちは、風の精霊の手助けを受けながら
「まぁ!」
「ここは王都のメインストリートのひとつだ。いつ来ても活気に満ちている」
「ここがメインの通りなんですって。すごい人間の数ですね」
大通りに出た途端、目を白黒させる彼女たちにルシウスは笑むと、自分の言葉を通訳してくれるセシリーヌに助けられ、説明を続けた。
多くの露店が並ぶ通りでは、商人たちの掛け声が行き交い、人々の笑い声も上がっている。
「わっ、あれ何かしら?」
と、しばらくして周りを見ていたトリテリスは、一つの方向を指差して言った。
彼女が指した先には、文字がびっしりと書かれた本のようなものが並べられている。
「ルシウス、あれはなんだ?」
「ん? 新聞売り? 地域や国で起きた出来事をまとめ、記事にして売っているんだ」
「ふぅむ。手紙とはまた違うのか」
「まあな。……というか、通訳大変だな。きみと海王以外に人語が分かる者はいないとは」
トリテリスの疑問を通訳し、答えを聞いてまた通訳するセシリーヌの姿に、ルシウスは苦笑すると、何気なく問いかけた。
初めて逢ったセイレーンが人語を理解するセシリーヌだったから、ということもあるけれど、ここまで意思の疎通が困難だなんて、正直想像だにしなかった。
きっと、夢も奇病の解決も、最初に出逢ったのが彼女でなければ成し得なかったのだろう。
そう思うと、また運命を感じる。
「人語なんて、今までは使う機会がなかったからな。だが、お父様が皆にも教えると言っていたから、今後は話せる者も増えると思うぞ」
セシリーヌをじっと見つめ、心の中で想いを馳せるルシウスの一方、彼女は当たり前のように頷いた。
その、話せなくて当然とでも言いたげな姿に、ルシウスは間を空け、実はずっと不思議に思っていたことを口にする。
「なら、きみはどうして人語を学ぼうと思ったんだ?」
「私は、人間たちが落としていった本を読んでみたくて覚えた。お父様は昔、他国との共通言語を確立する際、人間たちの言葉も覚えたと言っていたから、教えてもらったんだ」
「なるほど」
「きゃっ。セシリーヌ、大変よ!」
幼い彼女の好奇心が引き寄せてくれた今を思い、そんな話をしていると、今度は周囲を見ていたメイティナの呼ぶ声が聞こえてきた。
悲鳴混じりの声音に驚いて向かうと、彼女は一つの屋台を指差し、震えながら絶叫する。
「お魚さんが火刑に遭ってるの! どんな悪いことをしたのかしらこの子たち……」
「……!」
そう言って指差すメイティナの視線の先には、姿焼きにされた魚が売られていた。
近海で取れた魚を串に刺し、高熱で焼いたものに塩とハーブで味付けただけのシンプルなそれは、魚屋の主人が片手間でやっている、この辺りでは人気の軽食だ。
だが、そんなことを知る由もないセシリーヌは、メイティナと一緒に身を震わせると、恐る恐る近付いて言った。
「ほんとですね…
「まぁ……。なら私たちも敬意を表し、お魚さんの冥福を祈りましょう」
「そうですね。尊いです、お魚……」
「……何してんだ、お前ら?」
姿焼きの魚を前に、なぜか祈りだす姉妹を連れ、ルシウスとセイレーンの島内散策は続いた。
どうやら、お魚を前に祈る光景は不自然だったらしく、事情を話すセシリーヌに彼は「食いづらいわ」と苦笑している。
行く先々でセイレーンが歓迎されているところを見るに、共生は問題なさそうだが、文化の違いも早めに教えておかないと、不思議なことになりそうだ。
「――ルシウス、今日は楽しかったよ。ありがとう」
こうして時々起こる事態に笑みながら、半日をかけての散策は終わった。
西海岸に戻った途端、姉たちは海が恋しくなったように帰途に着き、話があると呼び止められたセシリーヌはルシウスと向き合っている。
ゆっくりと傾き始めたオレンジ色の太陽が、二人を照らす、静かな海……。
「セシリーヌ、愛してる」
「な、何を言い出すんだ急に……っ」
すると、やけに神妙な面持ちで、ルシウスは愛の言葉を囁いた。
途端セシリーヌは頬を赤らめ、驚いたように瞳を揺らす。
彼女を見つめるルシウスの表情は、憂いと愛を織り交ぜた複雑な色を帯び、やがて彼は、その先をこう語る。
「きみと再会して一ヶ月半…そろそろ時期が来ていてな」
「……?」
「欧州国際連盟から帰還命令が来た。俺は本部へ帰らなければならない。だからきみの意見を聞きたい。俺と共に、本部へ来てくれないか」
「……っ」
目を見開く彼女を真剣に見つめ、ルシウスは願うように手を伸ばした。
龍樹の中和が行われたあの日から既に半月が経ち、島内の発症者は一人もいない。それを知った連盟は、調査のために派遣した職員に帰還命令を発し、もうルシウスが島に滞在できる時間は、ほんのわずかな間だけ。
だから、その前にきちんと話をしておきたかった。
「……私は一緒行けないよ。分かっているだろう。我々は陸では生きられない」
だが、伸ばす手を拒むように、目を逸らしたセシリーヌは、一歩彼との距離を取った。
まるで、離れることで本心を隠すような仕草に、無理にでも手を伸ばしたルシウスは、彼女の髪に触れ、言葉を漏らす。
「それでも共に居たいと縋ってはくれないんだな、セシリーヌ……。俺は
「……つ。願ったところで叶わない」
「セシリーヌ、隠さないで。我が儘でも無理難題でも構わない。だから、きみの本当を教えてくれないか?」
「………」
憂いに満ちた表情で、自分をじっと見つめるルシウスの囁きに、涙が滲んだ。
本当なんて考えるまでもなく、心に浮かぶ。
だけど、ルシウスは人間で、調査のために来た連盟の職員だ。
気付くとセシリーヌは、彼に寄り添っていた。
「本当は一緒にいたいよ。きみが教えてくれた世界をもっと見てみたい。私が陸を行ける種族だったら、どこまででもついて行くのに……っ」
涙交じりの声音で、彼の胸に顔をうずめ、セシリーヌは心から吐露した。
頭では叶わないと分かっていても、それが本心。
思いの丈を告げる彼女を強く抱きしめたルシウスは、憂いのまま語り出す。
「ああ……俺もきみにもっと世界を見せてあげたい。セイレーンでも陸を生きる手段はきっとあるはずだ。必ず見つけて見せる。だから……」
「うん……」
それ以上の言葉を口にできず、二人は長い間抱きしめ合った。
ルシウスが帰るまでの間に方法を見つけるのは至難の業で、二人が望む形で世界を回るには、どの道別れなくてはいけないのだと、分かってしまった。
共生という光を得てなお、種族はときに大きな壁を生み、二人を阻む。
だが、容易ではないからこそ運命。
未来に希望を託し、彼らは陽が沈み切るまで、互いの感情を共有していった――。
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