第11話 歩み寄る心
白い太陽が照らすジゼラ王国の西海岸は、いつもと同じ静けさに包まれていた。国王との話を終え、まっすぐにこの場所を訪れた二人は、穏やかな波音を見つめている。
「……セシリーヌ。何があっても俺が守る」
すると、波を前に小さく震える彼女に気付いたルシウスは、その手を取ると、車椅子に乗るセシリーヌと視線を合わせるように、片膝をついて囁いた。
奇病の原因を突き止め、国王の中和には成功したものの、
そして、海底活火山の近くにしか生息しない不死鳥の深羽根を手に入れるためには、セイレーンの協力が必要になる。
もう一度ここに海王を呼び、今度こそ王の心を動かして協力を仰ぐ。
それが、生傷に塩を塗ってでもこの場所を訪れた理由だった。
「ありがとう、ルシウス。必ず父を説得してみせる」
「ああ。俺も出来る限りのことをするよ」
「ん……。では、父を呼ぶ」
不安そうに瞳を揺らし、ルシウスの手をぎゅっと握りしめたセシリーヌは、覚悟を決めると伸びやかな歌を歌い始めた。
セイレーンの言葉で紡がれる
セシリーヌの話では、この歌は家族を呼ぶときに使うものらしく、水を伝った歌は必ず、父である海王ネプトリアの元へ届くとのことだった。
穏やかなのに妖艶で、美しいのにどこか寂しげな歌。
初めて間近で聞くセイレーンの歌に耳を傾けていると、やがて、目の前の海が渦巻いた。
――きっと、海王がすぐ傍まで来ている。
「わしの命令を聞かず呼び出すとはどういう了見ぞ、セシリーヌ」
知らず高くなる鼓動に息を呑んだ途端、渦を割るようにして海王が現れた。
メイティナとトリテリス、そしてたくさんの海の騎士を連れた彼は、寄り添うようにルシウスと手を繋ぐセシリーヌにいきなり牙を剥く。
大地を揺らすほどの大声に、彼女の表情が強張った。
「……っ、私は……」
「セシリーヌ、大丈夫だ」
「ああ……。私は彼を殺さない。それが答えです、お父様」
青紫色の瞳を揺らし、呼吸を荒くするセシリーヌにルシウスは優しく囁いた。
相手を威圧するような海王を前にも動じない彼の姿は、セシリーヌを勇気づけ、繋ぐ手が力をくれる。
愛する者が傍にいるのだ、きっと、怖くない。
「誇りを捨てるというのか?」
心の中で深呼吸を繰り返し、はっきりと宣言すると、海王はどこか傷ついた顔で娘を見つめ、呟いた。
誇りを捨て、力を失うことはセイレーンにとって死よりも辛いことのはず。
それを覚悟の上で、ルシウスの命を取るのが、彼女の答えということだろうか。
「違う、そうではなく……。ねぇお父様。どうして私たちは、人間と手を取り合ってはいけないのでしょう? 先人たちの掟はもちろん理解しています。ですが今、その掟は鎖となり、私たちの命を危ぶめている。だから私は、彼に協力を決めました」
「……!」
「このまま互いに「知らぬ種族」と顔を背けることだけが生き方ではきっとない。掟も法も時代と共に変化すべきものです。これからこの国と、世界で起きていることをご説明します。どうか、最後まで私の話を聞いてください」
まっすぐに顔を上げ、少しばかり動揺を見せる父に、セシリーヌは毅然とした態度でそう告げた。
この海を統べる王として父がどのような決断を下すのか、それは話してみなければ分からない。
だが、話を聞いてもらう機会さえ作れなければ、待つのは国の消滅という最悪の事態だけ。
そして海王は今、ようやく聞く耳を持とうとしている。
一つ息を吐いたセシリーヌは、この場にいる皆に分かるよう、セイレーンの言葉で自分の行動の意味を紡いでいった――。
「私たちが魔物だと思われていたなんて……」
「うん。
人間界におけるセイレーンのイメージ、この国で起きた奇病、そして、奇病に対する人間たちの対処法に抗うため、自分たちがした行動……。
それらを丁寧に説明し終えると、ショックを受けたように、メイティナとトリテリスが口を開いた。
美しい歌で精霊を楽しませ、それを楽しみと生きてきた彼女たちにとって、魔物のレッテルは辛い事実だろう。
悲しげな姉たちの表情に、掛けるべき言葉が見つからなかった。
「なるほど。掟を破った背景にそのような事実があったとはな……」
すると、それ以上の言葉を紡げず場が沈黙する中、不意に海王が重苦しく呟いた。
口元に手を当て、悩むように目を細めた彼は、じっとセシリーヌを見つめている。
「もちろん罪の意識はありました。ですが、私なりに国の未来を想った結果が今なのです。どうかご理解いただけないでしょうか、お父様」
「……」
心を開き始めた父の姿に、セシリーヌは願いを込めて念押した。
ここで心を動かせなければ、人間と手を取り合う未来は、永遠に閉ざされてしまうことだろう。
光に手を伸ばすように、じっと父の決断を待つ。
「海王ネプトリア様!」
「……!」
と、再び落ちる沈黙を破るように、不意に誰かが岩陰から飛び出してきた。
従者も連れず一人砂浜を歩いて来るのは、ジゼラ王・ベラート二世だ。
ルシウスやセシリーヌと共にこの場を訪れ、ずっと岩陰で話を聞いていたジゼラ王は、覚悟を決めた顔で波打ち際まで歩み寄ると、突然膝をついて語り出す。
「お初にお目に掛かります、海王様。私はここジゼラを治めるベラートと申します。今回の奇病に関して、あなた方を勝手に悪と見なしていたことをお詫びしたいと参上いたしました」
「……」
「本当に申し訳ございませんでした。我らにとって知らぬは恐怖。その恐怖故、知らぬ種族セイレーンを病とこじつけ、貶めてしまった。国民たちには私の口からきちんと説明をします。ですが、その国民たちは今毒に侵され、苦しんでいる。勝手なお願いだとは重々承知の上で、どうか我々に力を貸していただけないでしょうか……!」
人目も
王城でセイレーンについての話を聞いた彼は、共にこの世界を生きる者として、セイレーンを理解したいと言い、この場について来た。
そして、互いに事実を知った今、和解するか否かは王の判断に委ねられている。
静かな浜辺に、波音だけが響いた……。
「……掟に縛られる時代は終わったのかもしれんな」
しばしの沈黙と熟考の末、ネプトリア王はため息と共に言葉を漏らした。
海を飛び出してきたときの凶悪な気迫をついに収め、穏やかな眼差しでジゼラ王を見据える彼は、頭を上げた王と、傍で様子を見守るセシリーヌを順に見た後で、後ろに控える騎士たちに指示を出す。
「海の騎士たちよ。海王からの命令だ。人間たちの毒の中和に不可欠な「不死鳥に深羽根」を彼に提供すると決めた。今すぐ海底火山に赴き、早急に集めて参れ」
「お父様……」
「ああ。種族が違えど、必死な者の叫びくらいわしにも分かる。これを聞き逃すは国にとっての不利益…そうだろう、セシリーヌ」
涙を浮かべる娘に手を伸ばし、海王は自らの答えを提示した。
ようやく得た答えにセシリーヌは笑みを見せ、車椅子を飛び出して海へと入る。
たった一日。だけど、途方もなく長い一日ぶりの海で、彼女は父と姉に抱きしめられ、喜びの涙を零す。
これで人間とセイレーン、そして、家族のわだかまりもなくなったことだろう。
この先に見える明るい未来を確信し、ルシウスは美しい光景をただ見つめていた。
「ありがとう、ルシウス。きみのおかげだ」
海の騎士たちが深羽根を採りに消えた砂浜で。
浅瀬で遊ぶ姉たちと、交流を続ける二人の王を視界に入れながら、セシリーヌは改まったように呟いた。
砂浜に並んで腰を下ろし、隣に座るルシウスに寄り添う彼女は、柔らかい表情で笑っている。
「こんな風に海を眺める日が来るなんて、少し前の私なら考えもしなかったことだろう。本当に感謝している」
「なに、礼を言うのは俺の方さ。あの日、きみと出逢わなければ、俺が夢を抱くこともなかった。あの日の出逢いがすべての始まりだ」
そう言って、穏やかに咲笑う彼女を抱き寄せたルシウスは、初めて出逢った月夜に思いを馳せていた。
ジゼラへのお遣いで一人客船に乗っていたあの日。
突然海から聞こえてきたセイレーンの歌に人々は動揺し、座礁した船から投げ出された。
海に落ちた後のことは憶えていないけれど、目を覚ました視界の先に、自分を見つめる綺麗な女の子がいたんだ。
華やかなウェーブを描く水色の髪に、コーラルピンクの鱗。
決して人前に姿を現さないと云う伝説のセイレーン。
彼女は礼を告げ、名残惜しむルシウスの言葉を否定し海へと消えた。
そして、十二年……。
もう一度逢いたいと願い、わざと溺れたあの日、また自分を助けたのは彼女だった。
目を覚ました瞬間、懐かしい彼女の姿を見たときからずっと、運命を感じていた。
そう、運命を。
「きみに逢えてよかった。俺の運命」
「……!」
抱き寄せた腕に少しだけ力を籠め、ルシウスは柔らかい頬に口づけた。途端、朱を帯びた顔でこちらを見つめる彼女の照れた笑顔に、嬉しくなる。
これから先の未来、もっとたくさんの世界を彼女に見せてあげたい。
すべての種族が手を取り合う世界……きっと叶えてみせる。
寄せては返す波音を聞きながら、ルシウスは改めて自らの夢を誓った。
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