エピローグ

エピローグ 魔法使いたちの国

「──そして、世界は今日も朝を迎えるのでした。めでたし、めでたし」


 夜色のローブを纏った女性が本を閉じると同時、わぁっと子供達の間から歓声が上がった。その様子を笑顔で見やって、ローブを纏った女性は、互いに物語の感想を語り合う子らの声に耳を傾けていた。

 いつ聞いても心地よいものだ、と思った。肌の色も髪の色も違う、心に傷を負った、親を持たない子供達。そんな子らが、同じ話を肩を並べて聞き、同じように瞳を輝かせ、あの場面が良かった、この台詞が良かったと笑っている様は、まさに平和そのものだと思えた。


「次はこれ読んで〜!」


「ええ。もちろん、いいわよ」


 とてとてと走ってきた女の子が持ってきた本を見て、女性は目を細めて微笑んだ。

 それは彼女にとってはとても懐かしく、そして思い入れも一倍以上にある──彼女が初めて自らの手で綴った物語だったからだ。

 ──夜色の少年とおひさま色の少女の、魔法のような奇跡の物語。


「メリアリーヌ!」


 本の表紙を開いたその時、名を呼ばれて、女性は背後を振り返った。それから被っていた夜色のフードを取り去ると、陽光の中にも眩しい金の髪を、ふんわりとローブの下から背中へと流した。


「また読み聞かせをしてやっていたのか」


「ええ。わたしは物語を書くのも好きだけど、こうして人に読んでもらうのもとっても好きなのよ? ──ヴィタ」


 ヴィタと呼ばれた、彼女と同じく夜色のローブを纏った男は、穏やかに頷いて、草原を走り回ったり、本を読んでいる子らに目を向けた。


「もう立派に一人前の魔法使いだな。文字〈スペル〉を綴って本にして、本を使って人に文字を教えることもできるなんて」


「わたしはわたしが書きたいものを書いているだけよ。……でも、何冊書いても嬉しいものね。わたしが考えた世界をこうして綴って、形にして、人に伝えられるというのは……」


 春風の中、目を閉じて子供らの声を嬉しむメリアリーヌを、ヴィタは隣で微笑ましく見守っていた。



 かつて文字と呼ばれていた文明は、一度終わったこの世界では魔法として認識されている。

 黒いローブに身を包み、長い木の杖を手にした魔法使い。創世より前から存在するとされる、黒の一族。彼らのみが扱える、不思議な力。それを宿す解読不可の模様──〈スペル〉。

 魔法使い達は世界を旅しながら、いつも人々を見守っている。時には人々の求めに応じ魔法を綴るために。時には世界のために厳しい戒めをするために。


 黒を纏い、未知の力を扱う、畏くも恐ろしい魔法使い。

 けれどそんな魔法使い達の中には、一人ぼっちの子供や、助けを求めている子供の前に現れては手を差し伸べてくれる、優しい魔法使いもいるのだと、密やかに噂をされていた。


 不思議で優しい魔法使いは、闇よりも鮮やかな夜色のローブを纏っていて、たまに杖を持っていたり、いなかったりするという。

 そして、そんな夜色の魔法使いは、誰も知らない世界の秘密の場所に、魔法使いたちの国を築いていると言われていた。

 時には森の奥。時には谷の底。時には洞の中。

 移動をする魔法使いたちの国はいつも子供達で溢れていて、そしていつも、誰もが笑顔でいられるような幸せの国。

 その国では優しい魔法使いたちが、優しい魔法を教えては、子供達から怖い夢を取り去ってくれるのだと言われていた──






「最初に話を聞いた時はネバーランドかと思ったよ」


「〝ピーターパン〟ね」


 ヴィタの言葉にメリアリーヌは嬉しそうに笑って、幸せなため息を吐いた。


「世界に、親から振り返られなくなったり、捨てられてしまった子がこうしてたくさん溢れているのは悲しいことだけれど……その子達がこの場所へ来ることを自ら選んだのなら、帰りたいとか、どこかへ旅立ちたいと思えるその日までは、ここを居場所と思ってくれると、いいわよね」


「きっと、きみがいるなら大丈夫だろう。きみの綴る〈スペル〉──いや、〝小説〟は、こうしてちゃんと子供達の傷を癒して、たくさんの夢を与えている」


 ヴィタはメリアリーヌの手の内に収まる本を見てやわらかく微笑んだ。

 メリアリーヌは長い時間をかけ、〈スペル〉を用いてヴィタから聞いたおとぎ話を紙に綴り、紐で閉じた。彼女の夢であった、世界から失われた〝本〟を見事その手で一から作り上げたのだった。

 そうしておとぎ話を本にし終えたメリアリーヌは、自らが想像した物語を、自らの手で本にしたためた。心から溢れる優しい魔法を綴り、その目で見た世界を、そのきらめきをのびやかに書いて。

 どの本も世界の禁書であるため、この〝魔法使いたちの国〟の中だけでしか人目に触れることは叶わない。けれどメリアリーヌは、それでも充分に幸せそうだった。

 誰にも縛られることなく、やりたいことを、自由に。そう願って、初めて自らの手で叶えた夢は、彼女の祈り通り、本を読んだ子ども達に笑顔と夢を与えられたのだから。


「ぼくも読んだ時は驚いたし、天才かとも思ったけれど──アルは悪夢を見なくなったと言っていたし、イアもこの頃はご飯が食べられるようになってきた。きみの書く本は──小説は立派だよ。はじまりから終わりまで、とても優しい魔法で満ちている」


「そうかしら。そうだったら、わたしもとっても嬉しいわ! ええと……なんだったかしら? 〝作者冥利に尽きる〟わね」


「──うん、使い方、あってる。もうすっかり一流の魔法使いだ」


「ふふっ。わたしに魔法を教えてくれた人が、素敵な人だから、ね」


 額を寄せ合わせ微笑みあっていた二人の元に、ぱたぱたと駆けくる二人の子供らの姿があった。


「──ママ!」


 そして、そんな声と共に、内一人、少女の方が勢いよくメリアリーヌの腰元に抱きついてきた。


「わっ……びっくりしたぁ。どうしたの? アリシア。それにアシェルも。そんなに慌てて」


 メリアリーヌがアリシアと呼んだ少女の髪を優しく撫でると、夜色のキラキラとした瞳がまっすぐに彼女を見上げてきた。


「みて! パパのおなまえ、かけたの! じょうずにかけたの!」


「ママのおなまえもかけた! がんばったんだぞ!」


 飛び跳ねるようにして紙を見せてきた、アシェルと呼ばれた少年も、アリシアに負けないくらいエメラルドの瞳を輝かせてにっかりと微笑んだ。


「わぁ〜……! 本当ね! すごく上手だわ! 頑張って〈スペル〉の練習をして、二人共とっても偉いわ!」


 よしよし、と頭を撫でると、夜色とおひさま色の髪が、嬉しそうにふわふわとメリアリーヌの手の内で揺れた。


「本当だ。上手いものだなあ」


 身を屈めてヴィタがそう言うと、二人の子供はやわらかな頬を真っ赤にして、満足そうに笑った。


「パパの名前にはとても優しい意味があるから、こんなに上手に書いてもらえて、素敵なことね。もっともっとパパは、あなた達の魔法で優しくなっていくわ」


「メリアリーヌ……」


 子供らを抱きしめながらのメリアリーヌの言葉に、ヴィタはなんとも言えない顔で唸って、結局はにかみ笑うに留めた。時を重ねても、彼はまだ、彼女のまっすぐすぎる言葉に照れてしまうことの方が多い。

 だから、たまにはと、ヴィタは子供らを抱くメリアリーヌごと背中からふわりと抱きしめた。


「さて、ママの名前にはどんな意味が込められていたか、答えられるかな?」


 ヴィタの声に子供らは顔を見合わせると、わんぱくな顔でにぱっと笑って、揃って元気よく答えた。


「「〝世界で一番大好き〟って意味!」」


「〜〜っ⁉︎ ヴィタ⁉︎ あなたそんなことを教えてたの⁉︎ 子供達が間違って覚えたらどうするのよ……⁉︎」


 顔を真っ赤にして振り返ってきたメリアリーヌが可笑しいやら愛らしいやらで、ヴィタは春の日差しにも負けないくらいやわらかく眼差しを緩めて、優しい声で笑った。


「何も間違っていやしないから、問題なんてないだろう?」


「…………そうね。きっと、そうよね」


 そんなヴィタを眩しそうに見つめ返して、メリアリーヌは吐息を零すと、瞳を閉じ、彼の胸にその身を委ねた。


「そして、この子達の名前には、どちらの意味も込められているのよね。優しくて愛しい、魔法の言葉が──」


 穏やかな風が吹き来て、幾度目かの春の到来を優しく教えてくれている。

 世界は今日も文明を失ったまま、穏やかに、緩やかに、終末の時を刻んでいる。

 衰退した世界に戦争は起こらない。けれど、やっぱり哀しい思いをする人はどこかにいて、それはこれからも潰えることはないのだろう。

 居場所が無くて泣いている人。辛い言葉に傷ついている人。見えない暴力に傷みを覚えている人。

 どんなにスペルトリガーが監視をしても、どんなに大特異点を取り除いても、世界は、人間は、変わらない。大きな争いは起こらなくとも、今日もどこかで悲しい泣き声は上がっている。


 けれど、だからこそ二人は魔法を、文字を、綴り続ける。手の届く範囲でも涙を笑顔に変えられるよう、歩き続ける。

 悲しい言葉には、幸せな意味を与えて。

 呪いは祈りに。枷は願いに。

 変える。そのための魔法をかけるために、希望の夜色を纏って歩く。

 誰からも許されていない道。新しい未知。決して正義とは呼べない旅路。けれど明けない夜はないのだと、誓うような祈りを胸に、二人は力強く歩いていく。

 一度終わった世界の中、それでも世界が終わる前からあったものは哀しみだけではなかったはずだと、少しずつでも伝えていくために。

 きっと、昔々からあった、祈るような、願うような、優しい想い。あたたかな心を涙の源へ届けるために。


 愛という、朝を繋ぐ、世界を紡ぐ、希望の〈綴り〉を伝えていく。

 伝導というには願いばかりしかない、けれど願いだからこそ優しさで溢れている。

 どんな明日も手と手をとって歩いていける。確信めいた希望。信じられるだけの奇跡の力。世界を輝かせる魔法の言葉を、綴り続ける。

 世界に朝をもたらす存在。夜色を纏う、優しい真の魔法使い。


 それこそが。

 この、終末世界のスペルトリガーなのだ。







  終末世界のスペルトリガー──────fin.

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終末世界のスペルトリガー ameria @ameria32

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