不定形の彼女

海沈生物

第1話

 最近、人外の彼女が怖い。彼女は所謂「不定形族」と呼ばれる生物である。この生物はある日突然地球に発生した種族である。発生して数年は「この種族は一体何なのか?」「宇宙人なのか?」と話題になっていたが、時間が経つにつれ、段々と人間と共存しているのが「普通」であるということになった。私自身もそのことを「普通」と理解していて、不定形族と共存することに何ら疑問を持っていない。


 そんな彼らであるが、身体を変幻自在に変えることができる能力を保有している。身長から体重、果てには声質や性別まで変えることができる、現代なら「チート能力」なんて言われそうな代物である。私の彼女である天秤アイも例に漏れずこの能力を保有している。だが、彼女と付き合ってみて、私はその能力の恐ろしさというべきものに気付いてしまった。


―――――彼らが彼らであることの証明が、不可能なのだ。


 これが一体どういうことなのかと言えば、例えば、好きなVtuberがアバターを新しい衣装に変えたとする。その時、彼や彼女が同一人物であると認識できるのは「顔の造形」「身体の骨格」「髪色」「声」など、以前の彼や彼女と共通点を持っているからだ。だが、以前の彼や彼女と共通点を持っていなかったのならばどうだろう。共通点がなければ、その人物が本当に同一であるのかなど、分からないのである。


 これを不定形族である彼らは……引いては、アイがやっているのだ。彼らはなぜか数時間に一度は変身を行っており、その度に毎回異なる姿形や声を取っている。だからこそ、もしもアイではない同種族の相手から「私はアイだよ」と言われた時、それがアイなのかアイではないのかを見分けることができるのか、私には分からない。いやそもそも、既に「付き合った頃のアイ」と「今のアイ」では中身の人物が異なる可能性があるのではないか。そんな疑念を持ち始めてからというもの、常に私の心は恐怖に苛まれ続けていた。

 

 だからある冬の日、そんな恐怖を抱えていることに耐えきれなくなり、流行りの曲の鼻歌を歌いながらお皿洗い中のアイに聞いてしまった。


「今のアイは、本当にアイなの?」


 アイはお皿洗いの手を止め、ものすごく変なモノを見るような瞳で見つめてきた。言ってから、私もその意味に気付いた。それはそうである。恋人から「お前はお前なのか?」なんて哲学的な質問を突然されたのなら、その相手が大学の哲学科出身の変人でもなければ、ドン引きすること間違いなしである。


 アイはお皿洗いの手を止めると、神妙な顔を浮かべた。


「それは、本気と書いてマジで答えてほしい話? それとも、冗談半分で答えてほしい話?」


「あー……前者だ、って言ったら?」


「"そんなこと真面目に考えるぐらいなら、今から涼子ちゃんと一緒にお皿を洗って、夜中にイチャイチャした方が絶対楽しいよ!" ……って言いたいかな。でも、それじゃあ引き下がってくれないんでしょ?」


 私がこくりと無言でうなずくと、肺の空気全部抜いたんじゃないか、と思うぐらい大きなため息をついた。


「じゃあ真面目に話すんだけど、涼子ちゃんは普通に考えて"変身し放題!"みたいなチート能力が、ノーリスクハイリターンで可能だと思う?」


「無理でしょ」


「そう、無理。それじゃあ、この能力の"リスク"はどこにあるのか? それはね、この変身に"全て"があるの」


 モデル体型のアイが爪先でトントンと床を叩くと、今の女体がドロドロに溶けた。それから「ゾッゾッ」と気味の悪い音を立てたかと思うと、突然溶けたアイが凸型に隆起する。隆起した彼女は「ゴッゴッ」と音を立てながら、徐々に形を整えていくと、やがて近所によくいるタイプの中年のおばさんの姿になった。


「……変身先、もっとなんかあったでしょ」


「おっ、年齢主義エイジズムかな?」


「うるさい。私は綺麗で若い姿のアイが好きなの。差別じゃなくて、ただの性癖よ性癖」


「ふーん、そうなんだ……嘘でも”アイの見た目じゃなくて、中身が好きだ!”とか言って欲しかったなぁ」


「はいはい、アイ中最高アイ中最高。話の路線が脱線しているわよ。それよりも、変身する姿なんか見せて何が言いたかったのか教えてよ」


 アイは不服そうだった。だが、私が「冷蔵庫にある私のストゼロあげるわ」と言ったら、一瞬で機嫌を取り戻してくれた。心の中で「この酒カスがよ……」と呆れた声を漏らす。


「それじゃあ今の変身を見せた理由なんだけど。実は今の変身をしたことで、私は直近一時間以外の記憶のほとんどが消えました」


「そうなの………………は?」


「イメージは……そうだね。ゲームの周回プレイってあるでしょ? クリア済みデータの一部要素を引き継いで、一からプレイするモード。私は変身をする度、そういう状態になっているんだよね。だから、私は確かに私であるんだけど変身前の私ではない、とも言える。具体的には"名前"とか"生きるために必要最低限の記憶"とかは引き継げるけど、中のプレイヤーは別人になっている……って感じかな。分かりづらくてごめん。あとは」


 言葉が、言葉が、上手く飲み込めない。何を吞気に自分の境遇のグロさについて「周回」とかいうゲームのワードで緩和しようとしているのだ、この天秤アイは。それは「変身する度に私が死んで、新しい自分に再生産されてまーす!」と言っているようなものではないか。名前と記憶が同じであったとしても、それを同一人物というのは、あまりにも理性が拒絶していた。お前はマリオの残機じゃないんだぞ、バカか。


「じ、じゃあ、そんなことになるのなら、どうして変身なんてするのよ。ずっと同じ姿のままでいいじゃない!?」


「はいはい、声を荒げない荒げない。無理なものは無理だから、さ」


「無理って何よ。なんで変身するのよ!」


「それは……えっと……私たちの種族がある日突然、地球から発生したことは知っているでしょ? 私たち自身もその理由は分からないんだけど、でも突然"発生"したということは突然"消失"する可能性も保有しているということなの。仲間が目の前でそうなったのを見たから確実なんだけど、私たちの種族は変身し続けることでしか、この世界における実在を証明することができないの。変身しなければ、いつかあの液体の状態から気体になって、そのまま宇宙の一部となり、虚無に消えてしまう。そういう運命なの。理解できた?」


「……運命、とか。そんな簡単な言葉で片付けて良いことではないでしょ、それ。ちゃんと人並みの人生を歩めないなんて、そんなの……そんなの間違っているわ!」


 私がテーブルをバンッと叩いたが、彼女は可もなく不可もない、苦笑とでも言うべき表情を浮かべるだけだった。多分、研究者でもないただのOLである私がいくら義憤に身を委ねたからといって、それは無意味なことでしかないことを理解した上での表情なのだろう。それでも、そうだとしても、そのことを自覚していたとしても、もっと、何か、何かあるのではないかと、どうしても夢想してしまう。

 唇をギュッと噛むしかない私は、ただ彼女にかけるべき声を見失ってしまう。そんな私に、彼女は「もう」とため息をついてくる。


「人並みの人生を歩めない、なんて言われてもさ。そもそも、私人じゃないし」


「それはそうだけど……でも……」


「ああ、もう……"でも"も"だって"もない! 涼子ちゃんだから許すけど、人間だって年取って認知症になれば、私たちと似たような状況になるんだからね? 今この瞬間、涼子ちゃんと話して、そのことをとても幸福だと感じられているなら、私が私でなくなってしまうことぐらい問題にならないでしょ? 大事なのは、いつだって今。涼子ちゃんにまで刹那主義者になれなんて言わないけど、それでも今を楽しめなければ、未来が一生楽しくなることなんてないよ! 理解した?」


 彼女はふんっと鼻息を漏らすと、私に「お皿洗い、手伝って!」と命令してくる。私はまだ彼女ほど彼女の種族が抱える事情に理解を示し、彼女ほど「大事なのは、いつだって今」なんて思うことはできない。多分、未来永劫彼女の思想を理解し許容することはないだろう。


 それでも、私はアイのことが好きだ。彼女が「今」を大切にしたいと望むのであれば、私も彼女の望みを叶えてあげたい。彼女の望みを尊重することが、「今」の彼女にとって幸福なのであれば、それが私にとっての幸福になり得るのだから。なんて、

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