010.最初の一歩
ついに……ついにこの時間がやってきてしまった。
時刻は朝の9時半。早いところではもうお店が稼働を始めていて、そうでなくとも今から移動すれば付く頃には開店直後となりうる時間帯。
瑠夏の機嫌を直し、朝ごはんとそれに伴うコーヒータイムを終え、さあようやくお出かけの時間だといった頃。
俺も出かけるためにジャージから外出用の普段着へ着替えるため自室の鏡へと向かっていた。着用するのはデニムとシャツというシンプルな格好。仕方ないのだ。この半年家にこもりきりでジャージばかりだったせいか、サイズの合う服なんて殆どなくなってしまった。
しかし、引きこもっていても成長するものだと考えると少し感慨深くなる。この服だって買った当初は随分ブカブカな印象だったのに今ではピッタリだ。
袖の長さを今一度確認しつつボタンを止めていくと、階下から瑠夏の声が聞こえてくる。俺を呼ぶ声だ。
「…………」
点灯していた部屋のライトを消すためにスイッチへ手をかけると、カタカタと震えていることに気がつく。
まるでライトを消すのを嫌がっているような、部屋から出るのを嫌がっているような。傍目からも分かるほどの震えを押さえつけながら掌底でスイッチを押下した俺は、乱暴にポケットへ手を突っ込んで部屋を後にする。
「悪い、待ったか?」
「ううん、大丈夫。私達も今準備できたとこ」
階段を降りた先には既に瑠夏と雪奈が玄関で靴を履いて待っていた。
まるで姉妹のように同じシャツを着ておめかしした二人。その声色は心なしかいつもより高くなっていた。
昨日話の流れで決まってしまった、カステラを買いに行くためのちょっとしたお出かけ。名目上はそうなのだが二人の様子から察するに、ほぼ確実にそれだけでは留まらないだろう。
あのおめかしのしよう、そして楽しげに「あのお店が……」と話す様子から街中まで出ると予測する。
俺からしたらどこでもよかった。外に出ることが
今の感情を悟られないよう足早にスニーカーのかかとを思い切り踏み抜くと、見事手を使うまでもなく靴を吐くことに成功する。
先に瑠夏が扉を開け庭に出たところで近くに居た雪奈がこちらへ駆け寄ってきた。
「千晶様!千晶様!」
「うん?」
「瑠夏様から聞きました!これから行くのはてれびで出てくるような、人が多いところなのですよね!?」
「あそこまで都会じゃないけど、似たようなところだね」
テレビで見るというのがどういった所かわからないが、おそらく渋谷とか新宿とか、そういう文字通り人で埋め尽くされたような場所のことだろう。さすがにこれから行くであろう場所はそういった超人口密集地帯と比べると見劣りするが、それでもこの地域では最も人が集まる場所だ。似たようなと評しても問題あるまい。
無邪気に楽しみにする雪奈。
それも当然か。彼女は実質こちらに来て初めての外出だ。テレビで見ていただろうが実際に行くのとではわけが違う。いうなれば初めて東京へ行く時のような気持ちだろう。
眼前には広い世界が広がっている。
ここは住宅街。扉の向こうに見えるのはただ道路を挟んで向かいの家となるのだが、それでも遥か遠くまで続いている。一歩歩けば庭に出て、更に数歩で外に出ることができるだろう。
今日もいい天気だ。天を見上げれば爽やかな青空が広がっている。雨が降る気配など一つもない。それでも……だからこそかもしれないが、俺の足は前へと進むこと無くただ玄関に立ち尽くしていた。
「……千晶?」
そんな俺の様子に真っ先に気がついたのは、先に庭へ出ていた瑠夏。
いつまで経っても動こうとしない俺を不思議に思ったのだろう。彼女は雪奈と入れ替わるように俺の前に立つ。
「大丈夫?」
「あ、あぁ。何でもないよ」
気づけば俺の背中は汗でビッショリになっていた。
震える手を力づくで押さえつけるようにポケットに深く押し付け、初めてジェットコースターに乗るかのように一歩を力強く踏み出す。
一歩で影を踏み、もう一歩で土を強く踏む。
「はぁ……はぁ……」
「千晶様……?」
「千晶!やっぱりまだ外に出られないんじゃ……!?」
雪奈も俺の様子に気づいたようで、寄ってくるのを手で制す。
外に出ることを身体が拒否していた。
心拍が上がり、呼吸も浅く自然と息が切れ始める。
いつの間にかどっと吹き出した汗は額からも出ていてサウナにやってきたかのように気持ち悪い。
あと数歩。あと数歩で敷地の外に出るのだ。たった数度足を動かすだけなのに、幽霊に足を取られているかのように重い。
あと数歩で外に出れる。しかし同時にいつ車が襲ってくるかわからない道路へ足を踏み出すのだ。
俺はこの半年間、学校に行くことができていない。それはただサボりたいからではない、外に出ることができないからだ。
自身が思っていた以上にトラウマというものは深刻だ。ただ外に出るだけの行動がこんなにキツイものだなんて。半年も経ってそろそろ大丈夫と思っていたがまだまだだったらしい。こうして道路を目の前にすると一歩を踏み出すのがたまらなく恐ろしい。
それでも前を向こうと霞んだ視界を前方に向ければ覗き込んでくる瑠夏と目が合った。
「千晶……やっぱりまだ怖い?」
「…………いや、大丈夫だ。ちょっと眠いだけで休めばすぐ歩けるから」
「ウソ。眠いならそんなに汗かくことないじゃない」
それはごもっとも。耐えるのに必死過ぎて言い訳が適当になりすぎた。
しかしもう半年も経ってしまったのだ。両親を失くした事故から半年。"やっと"であり"もう"でもある。
それだけの期間家から出ようとしなかった。だからいい加減、このチャンスを逃したらもう二度と……と思ったがまだ耐えられないのかもしれない。
あぁ、このまま回れ右して家に帰ってベッドへ横になれたらどれだけラクだろう。きっとこんな苦しさなんて味わうこと無く悠々と眠りの世界に旅立つことができるのだ。
もう……いいかな。一生家から出られないことになったとしても。
この半年間問題なかったんだ。きっとこの先もどうにかなるだろう。
根拠なんて一切ない。ただ今この場から逃げ出したいだけの言い訳。弱い心に身を任せようとスッと前に向けていた重心を下げ、進もうとしていた足を一歩後ろに下げる――――
「絶対に大丈夫、ですよ。千晶様」
「えっ――――」
しかし下げようとした足は、通常の一歩どころか半歩程度に留まってしまった。
ふと隣から聞こえた優しい声。狭まった視界をスッと動かして声の方向へ向けると、白い髪と碧い瞳。雪奈が俺の腕を持ち寄り添う形でそっと支えてくれていた。
「雪奈……?」
「昨晩、瑠夏様より詳しいことをお聞きしました……。その上でお伝えします。千晶様は大丈夫です!!」
彼女の視線はまっすぐこちらを向いていた。
迷いや曇りなんて一欠片もなく、ただひたすら真っすぐに。
吸い込まれるような碧。夏の日差しのように真っ直ぐ向けられている自信に瞳を揺らす。
「大丈、夫……?」
「はいっ!怖くても私が支えますし、私が守ります!」
「守……る……?」
「生贄で死ぬこととなったこの身ですから、新しい世界を見せてくれた千晶様を守るのは当然じゃないですか。…………二度死ぬことはもう怖クリません」
「それは…………」
生贄。夢で見たあの光景を思い出す。
豪雨を鎮める為に川に飛び込んだ少女。それを間違いなく彼女は口にした。しかもあっけらかんと何事もないように。
まさしく俺と正反対の受け止めであった。いつまでも受け入れられない俺と、自然体の雪奈。
しかしその言葉には看過できないものもある。守って死ぬ。それは俺にとって何よりも許されないものだった。
事故に遭って二人は死んだ。だからまたそんなことが起きるなんて……あの時の繰り返し。考えるだけで足がすくんで倒れそうになってしまう。
しかし、すくんだ足によって俺を地に倒すことは叶わなかった。
おそらく雪奈が横で支えている状態。このままだったら彼女もろとも倒れてしまっていただろう。しかし気づけば雪奈の反対側、俺のもう片腕を支えるような形で瑠夏が寄り添い抱きしめていた。
「雪奈ちゃんが死ぬことが嫌なら、千晶がちゃんと守ることね」
「瑠夏………・」
「大丈夫、私も千晶を守るから、私のことも守ってくれるわよね?」
そう言って笑いかける瑠夏。
二人が俺を守ってくれる。そして俺が二人を守る。互いに守り合う、そんな形。
「私は大丈夫ですから、きっと千晶様も大丈夫です。ですからその辛さを私達にも分けてください」
「雪奈……」
「私にも支えさせて。むしろずっと面倒見てきてあげたんだもの。嫌とは言わせないわ」
「瑠夏……」
ギュッと二人の腕を抱く力が強くなる。
そうして向けるのは正面。道路に続く道。あと2歩も進めば道路だ。
この半年間進むことのできなかった二歩。しかし今は二人がいてくれる。俺は隣から感じる暖かさを支えにゆっくりと土を蹴り出す。
一歩。しっかり地面を固く踏みしめる。
そして二歩―――――。
俺の半年ぶりの外出は、あっけなくそのスタートを切り出した。
たった数メートル。振り返ればなんてことのない距離。しかし大きな一歩だった。俺は路肩に立ち尽くしながら住宅街の長く続く道を呆気にとられた顔で見つめる。
「…………こんなに呆気なく出られるものなんだな」
「当たり前でしょ。たったちょっとだもの。……でも、この半年間頑張ったわね」
「千晶様ならきっとできるって信じてました……!」
両隣から俺を称える声が聞こえてくる。
――――正直、俺もいつ死んでもいいと思っていた。
呪術に没頭した半年間。藁にもすがるあの術は心の何処かでどうせ失敗すると思っていた。だからやるだけやって、何もなかったらそのままこの世からおさらばだ。そうとまで考えていた。
しかし、実際は違った。突然雪奈が現れて、それも過去からの来訪で。たった2日前の出来事。しかし俺の心は大きく激変した。
何も知らない地に降り立った雪奈。そんな彼女を支えようとしていると、この半年間忘れることの無かった両親と自身の死のことを忘れる時が出てきたのだ。
もしかしたらまだ生きていいのかも……そんな考えさえ起こるようになっていた。
そしてそれが今、確信に変わった。
雪奈がもとの時代に戻るかどうかはわからない。しかしどちらにせよ、俺ができる精一杯のことをしてあげたい。してやらないといけない。
だからまだ死ねない。死んでやるものか。それにたかが外出で心乱されてたまるものか。
そう強く誓う頃にはポケットの中で握りしめていた手は自然と解け、震えも収まっていた。
俺は手を取り出してゆっくりと二人の手に重ねていく。
「ひゃっ!」
「!! 千晶……?」
「だめか?」
「駄目ってわけじゃないけど……」
二人とも触れた瞬間は驚きに肩を震わせたが、拒否することはない。
そんな様子を見て遠慮なく手を握ると二人も答えるように握ってきた。
「…………今日だけよ」
「私はいつでも良いですよ!千晶様!」
「はは……。ありがとう、二人とも」
俺たち三人は手を繋いで歩き出す。
それは傍から見れば異質で、しかし何も気にすること無く新たに広がった世界を突き進むのであった。
父の呪術本で死者の復活を行使したら、見知らぬ女の子が召喚され懐かれました 春野 安芸 @haruno_aki
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