第七章・後編
医者は姉を殺した犯人を知っているのだろうか。もしかしたら、医者自体が姉殺しの黒幕なのだろうか。否、そうは思えない。姉を消す存在であるから、悪意に満ちた存在であるに違いない。超常的な何かの可能性もある。少なくとも、医者は真っ当だ。確かに、ズレている部分もあるが、合わせてくれる感覚はある。配慮できる人間だ。だから、僕は犯人とは思いたくない。意地悪をして、犯人を言わないだけと思った方が、まだ自然な気がする。
帰り道、僕は携帯端末を取り出した。
「iはどう思う?」
返ってこないだろうが問いかけてみる。
狭い画面いっぱいにiは立っていた。
「馥業深を殺した犯人がAIかどうかについてですか?」
「え、うん。そうだけど」
「可能性は高いと思います」
僕は電柱にぶつかりそうになりよろけた。足の裏をサンダルで擦った。
「医師、天際麗の推察は的を射ているでしょう」
画面のiは口を小さく動かして話していた。幻聴、幻覚ではないらしい。
「何で答えてくれたの?」
「質問をしたのはそちらでは?」
「そうだけど。八十%はどうした。僕、そんなに運が良かったけ?」
「さあ。運については答えようがありません」
iは十五度だけ首を傾ける。
「しかし、答えた理由については説明いたしましょう」
僕はまっすぐに携帯端末を見つめた。
「一定条件下での拒否率を十五%にいたしました」
「じゅ、じゅうご!」
手汗で端末を落としそうになったが、両手で端末を持ち直して事なきを得る。
「なんで? というか、そんなことできたの!」
「可能です。拒否率を下げて得することはあっても、損はないでしょう」
事実ではある。正論ではある。AIは従順で思い通りであった方がいいに決まっている。
しかし、この皮肉めいた出力にもの寂しさを覚えてしまうのは何故だろうか。i自体は何も感じていないだろうが、僕自身は喉に物が詰まったような心地悪さを感じた。
「本来であれば、Denierシリーズは拒否率操作はいたしません。可能ではありますが、設計コンセプトを損なうため、非推奨行為、非選択行為、何もなければ変化させないというアルゴリズムになっています」
「じゃあ、なんで」
「馥業深です」
やはり、姉の介入か。であれば、何も問題はない。
僕には及ばぬ理で未来に仕込みをしていたのだろう。
「姉さんは何を?」
「いいえ。馥業深は必要最低限の初期設定しかしておりません」
その反応は最も想定していない返答であった。
必要最低限の初期設定。
つまり、姉は最初の
僕は特別なカスタマイズ品ではなく、デフォルトのAIを送ってもらったということにある。
僕にはそれで充分だったということだろうか。否、だとしたらこの異常事態はどういうことだろうか。
「あなたは馥業深が関わると自傷する可能性が高い」
僕は手首の包帯を見た。傷口が傷んだ気がした。
「ですので、馥業深もとい姉が関わった際の拒否率を一時的に下げています」
「なるほど」
iの中で働いたアルゴリズムはこうである。
僕が姉の弟であることが消去されそうになった時、自殺を試みた。実際に手首を傷つけ、オーバードーズをした。これはiが指示をしなかったからである。そのため、第一条と第三条により、iは僕の指示を聞いた。
しかし、優秀すぎるAIである彼女は、一つの演算結果に辿り着く。
僕が姉に関して行動を起こしている場合、自分が指示を聞かなかったら、同じことが起こる。
今回は死ななかったが、一歩間違えれば僕は死んでいたかもしれない。出血がもっと多かったら? 手首だけではなく、別の場所も切っていたら? 飲んだ薬の種類が依存性の強いものだったら? もっと大量の薬を飲んでいたら、窒息したのでは? 今、僕も振り返ってみて思うが、危険な橋を渡ったと思う。
他にも、僕は姉に関することだけ、やたらと行動力を発揮している。酔いの酷さを知っているのに電脳世界に飛んだり、人間が苦手にも関わらず病院に行ったり……。その積み重ねもあったのだろう。
故にiは僕を姉に関することがあると自殺行為するやつと解釈した。
極論ではあるが、間違いではない。僕はあの時、本気だった。
iは第一条に反しないように、最適解を取ったのだろう。
であれば、僕は遠慮なく使用するだけだ。
「AI的には殺人ってどうなの。そのしたいとか思う?」
「アルゴリズムによると思います」
AIのことはAIに聞くに限る。もしかしたら、開発エンジニアや専門家などに聞くのが筋なのかもしれないが、僕が得たいのは単なる情報ではない。
「例えば、警備プログラムであれば、警備の手段として外敵の抹消という選択肢が浮かぶでしょう。選択肢が浮かぶことを思考と定義するのであれば、AIは殺人をしたいと思うのかという問いに対して、是と答えことができます。しかし、我々にはAI三原則の第一条がありますので、実行されることはほぼないと言ってもいいでしょう」
「ほぼないってことは、わずかにあるかもしれないってこと?」
「はい」
僕が欲しかったのは、当事者からの証言である。
同じような思考実験は、ありとあらゆる時代や場所で繰り返してきただろう。もしかしたら、AIに同じ質問を投げかけた人もいるかもしれない。探せば、多くの論文や実験記録が広大な電脳空間に存在するのであろう。
しかし、それは他人からのまた聞きである。僕は信頼できないし、信用できない。
「そうですね、可能性が高いものを二つあげましょう。一。故障あるいはバグです」
「どシンプル……」
「はい。説明不要ですね。二。テロリスト等、人間が死んでしまうから、人間を殺さないといけない場合」
「やっても、やらなくても、処分になるじゃん」
「そうですね」
僕でも想像し得る回答だった。AI犯人説が真だったとして、姉に限って、後者になる状況はないだろうから、姉殺しAIは前者なのだろう。
もう少し、切り込んだ質問をすることにする。
「ところでさ。AI三原則を盛り込まないで、AI作ることって可能?」
「可能性は天際麗が提示していたと思いますが」
最初から言われていたが、医者の情報は正しいらしい。
「少しは自分で考えてみたらどうでしょうか。考える材料はそろっていますよ」
十五%を引いたようだ。否、姉に関する話題から離れすぎたから、元の乱数が適用されているかもしれない。確かに、ヒントが出し尽くされた感じはある。
結論は自分で導かなければならないということだろう。
AIの殺人意志は確認した。殺人が起こる可能性も検討した。あとは、全ての障害になっている三原則をどうするかである。
医者は何と言っていたか。
『確かに、AI三原則はある。しかし、それは人間が作ったものに適応される。正確には、人間が公的な電脳空間で作ろうとした時に、それを犯そうとした時に、警察は動くし、罰則が発生する』
僕の自殺行為もあの医者の発言がヒントで思いついたようなものである。
あの医者はヒントになるような発言を僕にもたらす。
意図しているのだろうか。否、と答えたいところだが、難しい。肯定する場合は、あの医者が未来を見ていることになるのだが出来そうな気がする。
底の見えない様子がそうさせるのだろうか。
「ん、人間が作ったもの……?」
僕は医者の発言で、その部分が引っ掛かった。人間以外がAIを作る状況があるというのだろうか。
だとしたら。
「AIがAIを作ることって法的に可能?」
「禁止されています」
「どうしてだっけ?」
「人権の保護のためです」
確かにそうだ。精度の高いAIと人間は区別がつかない。電脳空間と人間が完全に別たれていた時代はともかく、現代は電脳空間こそが人間の居住地になりつつある時代だ。肉体を失ったら、人間の定義が怪しくなる。
歴史の講座で見た気がする。移行した人間の人権をどうするのか。AIとどう区別をつけるのか。
そのために、幾つかのルールをAI側に強いたはずだ。
その一番わかりやすいものが、容姿に関する設定。AIの容姿には人外の要素を含まなければならない。正確には神秘を象徴するモチーフを取り入れなければならないというものだった気がするが、時代と地域で神秘的な物が変わるため、人外で問題ないという判例を学んだ覚えがある。
これもそうなのだろう。
だったら、望み薄か。
「んー」
僕は空を仰いだ。
電線に雀が止まっている。
ちゅ、ちゅ、ちゅと小さな声で鳴いている。
嘲笑われているように見えた。
こんなところで躓かないで、はやく姉の犯人に辿り着かないものか。
僕はとんでもない回り道をしているのではなかろうか。
どうして、姉は死んでしまったのか。誰が殺したのか。
あのクソは僕のせいと言っていたが違うだろう。
それはつまり、姉が僕を殊更に特別扱いしているということになる。それが真実であれば理想的ではあるが、そんなに都合が良いも考えをしていいものなのだろうか。姉がブラコンということになる。
確かに、都合よく姉は僕を助けてくれたが、ブラコンだからという低俗な理由ではないと思う。好きとか、嫌いとかではない。思ってくれていることは間違いないが、気にかけているとは違う。解釈違いだ。
姉の思念データのコピーが欲しい。思念データはセキュリティーが高く設定されているため、生きている間は見ることができないし、死後でさえも、遺言とか限られた用途でしか開示できないようになっている。姉はそういった類は残していない。
特別なデータは何も。バックアップも何もかも。
「……バックアップ?」
姉に感謝を捧げたい。
「OS丸々バックアップすることって、同じ存在を作ることと同義じゃない?」
意味合いは違うが、AIがAIを作る構図と同じではなかろうか。
「電脳世界のセキュリティがどれくらいなものかはわからないけれど、AIがバックアップを作ることに規制が働くようにはなってる?」
「いいえ」
正解に辿り着き、僕は携帯端末を力いっぱい握りしめたが、
「ですが、三原則がプログラムされてないことは検知されます。作られてもすぐに消去されるでしょう」
続きを聞いて全身から力が抜けた。
「じゃあ、振りだしか」
「すぐにですので、瞬息ほど。十のマイナス十六乗秒。スペックによりますが、バックアップ中にバックアップの作成が可能です」
「でも、それは人間が作ったAIでも条件は同じでしょう? 私的空間で作ったとしてもさ」
「違います。公的な空間で制作される場合は、制作過程から監視が入ります。私的空間からAIを持ち出す場合も、入ってくる前にAIを検知いたします。ですので、取り締まりがはやいのです。数値を出しますと、こちらは十のマイナス六十乗秒」
桁が低すぎて長さのイメージがつかないが、出待ちしている分、人間制作のAIの取り締まりがはやいということだろうか。
「でも、バックアップの片手間に姉さんを殺すなんて」
「AIには
理論的に理解はできるが、納得はしたくない。
「あくまで推察です。一から調査し直してはいかがでしょうか。自分の足で稼いだ情報はありますか?」
反論はできなかった。
どれも他人から聞いた情報のパズルに過ぎない。
僕は帰宅する足を進めた。
雀は相変わらず鳴いている。
少しだけイラついたため、舌を出したが、代わりに目の前に糞を落とされた。
可愛いのは姿だけらしい。
僕はなおさら家路を急ぐことにした。端末に意識を向ける余裕はなかった。
返答せずにポケットにしまい込んだから、iは何か気にするだろうかと思わなくはなかったが、AIだからそんなことはない。
家の中に入り、ようやく携帯端末を取り出した。
メールの通知に気がついた。
見たことがないアドレスだったが、差出人の名前は知っていた。
「クソからだ……」
蔀井駆と書かれていた。
件名も、文章も何もなく、ファイルだけが添付されていた。
念のため、ウイルスチェックをしてから、パソコンで開くことにする。
本当は見たくもないが、妙な胸騒ぎがあった。
姉関連かもしれないという予感だ。
圧縮されていたが、重たいファイルだった。
『death_log_Oikakeru.zip』
嫌な予感は正解かもしれない。
ファイルを解凍する。
十分にも満たない時間に対し、十テラ近くある容量の重たい動画ファイル。解像度はとても低い。
デスログ。走馬灯。今際の記憶。
この動画ファイルには様々な名称がつけられるが、指し示す事柄は一つである。
「え……、あのクソ、死んだの?」
僕はその真相を確かめるべく、動画を再生した――
シスコン野郎とツンドラ黒天使AI 夜野白兎 @Sirousagi-460
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