第七章・前編

 その後、手首が傷まみれになった僕は「天才クリニック!!」に行った。


「非常にコメントに困るのだが、ここはまず、あえて私個人としての感想を言おう」


 一連の出来事を聞いた、ペストマスクの医者は神妙な様子でこう置いた。


「おもしろいな!」


 だが、その感想は鉄の細指でダブルピースをして言われた。

 マスクの丸い目元が、笑顔で歪んでいるように見えた。


「必死だったんだけど」

「しかし、医者としての意見は、何馬鹿なことをしているんだ、だ」


 ペストマスクが無機質な物に戻った。


「他に手段がなかったし」


 僕は医者の顔を見ることができなかった。

 手首に巻かれた包帯を見つめていた。


「まあ、一番、合理的な手段だ」


 おずおずと顔を上げる。


「第一条によってAIは他害が禁止されているのはご存じの通り。しかし、どこからどこまでが他害というのは非常に難しい判断だ。その辺りの結果の出力にAIの優秀さが出ると言っても過言ではない」


 医者は相変わらずのペストマスクで何を思っているかはわからなかったが、怒っているという様子ではなかった。


「優秀すぎるAIは、仮定を考える。君は健康的な食事を与えられただろう。それは、もし、君が何も食べずにいたら、死んでしまうのではないかという想定をしたからだ。ネグレクトは虐待になるだろう。そして、死は他害の極致だ。死にそうになったら、動かざるを得ない」


 学術的な講義のように淡々と言葉を話していた。


「おまけに、第一条は一番拘束が強いルールだ。乱数はない。拒否率が八十だろうが、零だろうが、他害を起こさないためには、どれも命令に従順なる」


 僕はあの時、思い付きで行動した。ここまで理論的には考えていなかったような気がするが、この医者に言語化されると、そういう道筋で考えたかもしれないと思えてくる。


「加えて、今回の件は第三条にもかかってくる」

「第三条、『第一、第二条に反しない限り、自身を守らなければならない』?」


 これのどこがこのあいだのiの挙動に関係するというのだろう。


「そうだ。今回の件はお前のせいで死ぬと高らかに宣言をしたからな。人間とAI、どちらが立場が上かというと、人間だ。どんなに人間に見えてもAIは道具だからな、消えるのは目に見えている。そういう社会だ」


 そこまでは考えていなかった。

 iもそこまで想定していないとは思うが、この医者が言うと説得力がある。ふざけてはいるが信用できる医者だ。会いたくはないが。


「さて、検診は終わりだ。傷の方は深いから縫っておいたのは、先ほど見た通り」

「う」


 ワンクリックで消去したい記憶だ。

 幸いにも痛みなく、一秒もしないうちに縫合されたが、身体の中身はもう見たくない。


「抜糸するから、一週間後にまたくるように。それまでは、傷口は清潔に保っておくこと」

「はい」

「過剰摂取した解熱剤は依存性が低いものではあるが、注意が必要だ。AIが用意した飲食物以外は摂取してはいけない。薬物中毒になったらたまったものではない。毎日、通院することになるぞ」

「それは嫌だ。二度と来たくない」

「おっと、本音が出たね。まあ、以前よりは緩和されたようだが」


 ふふっとペストマスクから息が漏れた音がした。


「緩和?」

「人間が全般的に苦手、ではなかったのか?」

「苦手だけど」

「じゃあ、私が特別? いえーい」

「特別と言えば、特別だけど」


 ペストマスクや鉄の義手のおかげで人間には見えないから忌避感は薄い。


「好きではないです」

「知っているとも」


 ペストマスクの目は暗黒で何も映っていないように見えた。


「短期間で変わったように私は思える。その理由に心当たりはあるだろう?」

「何でもわかるの?」

「患者のことはわかるさ」


 この医者のことはわからない。しかし、舞台装置のように便利だということは痛感している。もしかしたら。


「ねえ」

「何だい?」

「人探しは得意……?」

「姉殺しの犯人を捜したいのかい?」


 僕の考えはお見通しらしい。


「できる、が、私はそこまで君に割くリソースはない」

「暇そうなのに?」


 僕は真っ白で静寂なクリニックを思い浮かべた。


「確かに、閑古鳥はないている。しかし、私は常に患者を抱えているんだ」

「誰か入院しているの?」

「娘だよ」


 僕はこの医者が人間だったことを思い出した。機械的な冷たさとは違う、突き放された冷たさを僕は感じた。


「私でも治せない病気だ。つまり、誰も治せない」


 この医者には珍しく弱気な言葉だった。


「特例で電脳世界へ飛ばすことも考えたが、液体のアレルギーで飛ばす前に死んでしまう」


 肉体が死んでも、意識があれば生きている。自我が電脳に残れば生きていける。この常識が適応できない。であれば、死ぬしかないのだろう。

 ここで何か言葉をかけるべきなのだろう。しかし、僕には思いつかない。何か言葉をかけるには、僕の格が足りない。そんな気がするのだ。


「……えっと」

「おっと、失礼。ついつい、口がすべってしまった」


 医者はペストマスクの先端に鉄の細指を立てた。内緒のポーズだ。


「そういうことだから、私は多忙でね。まあ、メンタルカウンセリングがてら、アドバイスをすることしか出来ない。心して聞けよ?」

「え、協力はしてくれるんだ」


 僕の驚きは無視して、医者は話始める。


「探すのは人ではなく、AIだ」

「え?」

「君も、ストーカー君も前提を間違えている。犯人は人間ではない」

「でも、AIには」


 AI三原則があるから、人を殺せないのではなかろうか。


「確かに、AI三原則はある。しかし、それは人間が作ったものに適応される。正確には、人間が公的な電脳空間で作ろうとした時に、それを犯そうとした時に、警察は動くし、罰則が発生する」


 これはクソストーカーと確認した通りだ。


「どこも繋がっていない電脳空間であったら、作り放題ではある。まあ、外に出した瞬間アウトだが」


 私的な電脳空間で挑戦的な製作をするエンジニアは多いと聞く。確かに、あらかじめある電脳空間のセキュリティに引っ掛からないようにすれば、作ること自体は可能なのだろう。オフラインで見れるようにこっそり動画や画像を隠し持っておくのと同じだ。だが、それは持ち物検査をされたら終わりである。


「じゃあ、どういった方法なら逃れられるの?」

「そこは君が考えたまえ。私が提示できるのはここまでだ」


 肝心なところは答えてくれないらしい。

 僕は文句を言おうと口を開いたが、


「状況はいくつか思いつく。しかし、そもそも、AIの発生過程が犯人を捕まえる助けになるまい。これ以上の情報提供は混乱の元だろう」


 尤もらしい屁理屈で邪魔されてしまった。


「殺人AI、頑張って捕まえてくれたまえよ。それでは、次のがあるから、今日はここまでだ。一週間後、また来るように」

「わかったよ」


 僕は釈然としなかったが、退去することにした。

 検診と強めに言われてしまったのだ。話の流れ的に対象は一人しかいない。流石に僕にでもわかる。

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