107:終わりの先

 俺は眼の前にいる灰色さんを見つめる。

 なんとも不満の気配が濃厚だけど、ともあれ中身は俺の想像するあの方に違いなかった。


『め、めめ、女神様ですよね!?』


 俺の快哉かいさいに、女神様はどこか気だるげに揺れる。


『はぁ、他に誰がいますか。しかし、貴方にしては良い判断です。しかるべき時に呼んでくれたようですね』


 彼女は俺から視線を外したようだった。

 外した先がどこかなんて決まっている。

 俺は、まだ見つめ合っているはずの2人に目を向ける。

 彼女たちは呆然とこちらを見ていた。

 特にアリシアさんの反応は顕著だった。

 残った1つの目を零れ落ちそうなほどに丸くしている。


「……あ、あな……た……は……名も無……名も無きわ……我が……」


 その言葉は、喉笛混じりであり、たどたどしくもあってかすれていた。

 俺は正直、彼女の発言の内容を理解出来なかった。

 ただ、女神様には伝わったらしい。


『その通りです。少し待ちなさい』


 女神様は慣れない体に苦心しつつ、ゆっくりとアリシアさんの元へと進む。

 たどり着く。

 言葉を発する。


『よく聞きなさい、アリシア・レーゲンス。元信徒である貴女の行状ぎょうじょうを私は全て承知しています』


 アリシアさんが呆然と女神様を見下ろす。

 女神様は淡々と彼女に意思を返す。


『もはや言葉を重ねる必要はありません。貴女の魂は、耐え難き苦痛の中を永く彷徨うことになるでしょう』


 それは残酷な宣告だった。

 しかし同時に、それはきっと彼女にとっては何よりも救いに成り得た。

 アリシアさんは1度、深く息を吸った。

 吐いた。

 そして、消えた。溶けた。

 地面では、ヘドロのような何かが泡を吹き続けている。

 おそらくは、アリシアさんはとっくの前に限界を超えていたのだろう。

 しかし、まだしかるべき代償を払っていないとしてこの世に残り続けていたのだ。

 だから、きっと女神様の言葉で彼女は救われたのだ。

 十分な断罪は果たされと満足することが出来たのだ。


 だが、それでもこの結末は笑って受け入れられるものでは無かった


「あ……あぁ……」


 うめき声をもらし、ユスティアナさんは地面に両膝を突いた。

 そこに涙は無い。

 呆然とアリシアさんの消えた跡を見つめ続ける。

 なんとなく理解出来た。

 涙さえ出ないほどの衝撃が彼女にはあったのだろうが……今は何も出来ることは無いよな。

 慰めの言葉なんて今はきっと無意味だ。

 そっとしておくのが俺に出来るせめての行動だろう。


 俺は自分に出来ることをするのだった。

 女神様に近づく。

 頭を下げるように体をかしげる。


『あの、ありがとうございました。辛い役目を任せてしまいましたが、おかげでアリシアさんはうげふっ』


 そして、俺は吹っ飛んだのだった。

 いや、えーと、め、女神様?

 これは彼女のタックルが決まった結果だったけどさ。

 でも、え?

 なんかおかしくない?

 今そんな場面でした?

 タックルの出番でしたかね?

 混乱と言うか困惑する俺の前で、女神様は『ふん』と鼻を鳴らす的な意思を伝えてきた。


『まったく失敬ですね。まさか貴方は、私があんな罵倒するためだけに呼ばれて来たと思っているのですか?』


『へ? は、はい?』


『あぁでも言わなければ、彼女はおそらくこの世に留まり続けたのです。言わば、方便です。本命は別にあります』


 俺がぐねりとなる一方で、彼女も反応も見せた。

 ユスティアナさんが両膝を突いたままに首をかしげる。


「ほ、本命……?」


『そうです。彼女はクトゥルフなる邪神との繋がりを深くしすぎました。だからこそのあの力でしたが、人としての生はとうの昔に望めるものではありませんでした。よって……何をぼーっとしているのですか? 良いから早く行いなさい』


 そのキツめの催促は間違いなく俺に向けられたものだった。

 ただ、ハイ喜んでーと返せるはずも無い。

 行えってあの、一体何を?

 戸惑っていると、女神様は『はぁ』と心底の呆れを示してきた。


『貴方は眷属けんぞくを生むことが出来ますね? それを早く行えと私は言っているのです』


 そんなこと一言も言われた覚えはありませんが?

 反論への欲求は少なからずあったが、そんなことをすれば再びの女神タックルである。

 俺は粛々しゅくしゅくと従うことにした。

 

(えーと、木獣使役のことだよな)


 行使するのはリンドウさんを生み出した時以来か。

 木獣使役。

 リリーさん、リンドウさんを生み出したとうとみ溢れる偉大なスキルである。

 生み出すことの出来る数はレベル及び神性によって制限されるが、これは現状で何も問題は無い。

 神性は言うに及ばすで、現状のレベル2から3に上げるために必要なポイントはわずかに8。限定現界のために30を使用したが、その程度を支払う余裕には困ってはいない。


(しかし……)


 女神様は一体何を思って木獣使役を急かしているのか?

 正直、なんとなくの予感はあった。

 急ぎ実行する。

 選択肢としては、ツリードラゴン、ツリーワーム、ツリースライムとあるが、ここはえーと……か、考える時間も惜しい気がするな。

 消去法でツリースライム。

 慌てて選択した。

 すると、


 ──────《ログ》──────

・ツリースライム(アリシア・レーゲンス)を生成中[所要:60分]

 ────────────────


 やはりそういうことだったらしい。

 俺は女神様を見つめる。

 彼女はしばし沈黙を挟み、そして静かに意思を発した。


『……押し付けがましい行為だと貴方は思いますか?』


 俺もまた沈黙することになった。

 それはその……まぁ、そうだよなぁ。

 アリシアさんは断罪を望み、それが為されたとして終わりを受け入れたのだ。


『正直、そうかもしれません』


 俺の返答に、女神様は頷きのような動きを見せる。


『私もそう思います。これは彼女にとっては何の救いにもならないのかもしれない。ただ……』


『ただ?』


『……私のせいで、彼女にはあらぬごうを背負わせてしまったのです』


 罪滅ぼし。

 それが、女神様のこの行為の理由なのかもしれなかった。

 俺は不意にぐねりとかしげることになる。

 突如として、女神様はピクリとも動きを見せなくなったのだ。

 

『女神様?』


 問いかけにも反応は無い。

 俺に似た灰色のスライムが微動だにせずそこに存在するのみだ。

 もしかしたら、もう限界だったのかもね。

 灰色さんの中身としてこの世にいられる限界。

 あの人、たびたび自らが無力であることに言及していたし。

 アリシアさんに対するこの行いは、彼女にとっては相当な負担だったのかもしれない。


「……御使い様?」


 おそらく、口を挟むタイミングを今から今かと待ち受けていたのだろう。

 女神様の退場をきっかけとして、ユスティアナさんは息せき切って口を開く。


「な、なんなのですか? 今のやりとりは一体? アリシア様についてですよね? あの方に何が? あの方の身に……魂ですか? 何か起こったのですよね? そうですよね?』


『は、はい。アリシアさんはその……まだ滅んではいません』


「え?」


『リリーさんやリンドウさんのような形で、再びの生を受けたと言いましょうか。ほら、俺の中にもう見えるんじゃないですか?』


 感覚としてはそうだった。

 俺の中にはすでに異物感が確かに存在している。

 ユスティアナさんはふらふらと立ち上がった。

 おぼつかない足取りで俺に近づいてくる。

 ずしゃっと音を立てて両膝を突く。

 抱えるようにして俺を覗き込んでくる。


(……どうだろうな)


 この事実に、果たしてユスティアナさんは何を思うのか?

 俺は怒声を浴びるぐらいの覚悟はしておいた。

 満足して逝ったアリシアさんを再び引き戻したこと。

 苦しみ抜いて生きてきたアリシアさんに、再び現世の苦しみを味あわせてしまうだろうこと。

 怒りを招いても仕方が無いと俺には思えたのだ。

 ただ、現実はそうはならなかった。

 ユスティアナさんは俺を──いや、俺の中にいるアリシアさんをそっと抱きとめる。

 嗚咽が響き始める。

 そこにはあるのは当然怒りでは無い。

 悲しみでも無い。

 アリシアさんと再び出会えることへの喜びであるように俺には思えた。


(……どうだろうなぁ?)


 俺は何とも悩ましかった。

 ユスティアナさんはこの現実を喜び受け入れた。

 ただ、アリシアさん当人がどう思うかは分からなかった。

 これは断罪でも何でも無いと憤るかもしれない。

 あるいは絶望するかもしれない。

 生まれ変わったとして、あの人は邪神の聖女であった過去を捨ててのうのうと生きられる人じゃないだろうからね。

 まだ苦しまなければならないのか?

 過去の罪業を背負って、罪滅ぼしに生き続けなければならないのか?

 そんな絶望を彼女は背負うことになるかもしれない。

 自ら命を断つ。

 そんな未来も想像は出来た。

 でもまぁ、本当どうだろうなぁ?

 彼女にはユスティアナさんがいる。

 ブワイフさんもこれで俺たちに加わってくれるだろうけど、アリシアさんの幸福を望んでいる者は確かにいる。もちろん、俺を含めてね。


 みんなの思いを受けて、彼女はどう思ってくれるだろうか?

 過去の行いがあっても、幸せになりたいと思ってくれるだろうか?

 分からない。

 分からないが、でも……希望はあるってそう信じたいかな。


 しかし、さてはて。


 ユスティアナさんの懐から、俺はついっと空を仰ぐ。

 これでようやく終わりだろうか。

 アリシアさんとの出会いから始まったクトゥルフとのアレコレは、これでひとまず決着を見たって感じか。

 まぁ、かりそめの決着だけど。

 ルルイエもどきはまだ各地にあるそうで、この世界におけるクトゥルフの脅威は健在だ。

 そして、黒色の化物どものこともある。

 今のところ大した敵では無いけど、ある意味クトゥルフ以上に得体の知れない相手だからなぁ。

 情報が本当ほとんど無いし。 

 闇ゴリラが連中の全力ってのは楽観に過ぎる気がすれば、脅威度はいまだ底しれないと言うか。


(う、うーむ)


 クトゥグァさんの協力は得られた。

 だが、これで全てが上手くいくとは到底思えない。

 相当の苦難がこれからも待っているに違いない。

 でもまぁ、仕方ないか。

 俺が世界を救うっ! なんて大言壮語を吐いちゃったしねぇ。

 だから、うん。

 皆さんの邪魔にならないようにしながら、ヘタレなりに頑張っていくとしましょうかね、えぇ。

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グリーンスライムに転生した俺は、呪われた異世界を緑でいっぱいにするようです。 はねまる @hanemaru333

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