106:救いの手

 混沌の巨鯨は火の粉の中に姿を消した。

 そこにはアリシアさんの姿が残された。


「……アリシア様」


 ユスティアナさんは唖然と呟いた。

 アリシアさんは真っ当な人間であれば生きていないはずの様子だった。

 両足はあったが片手は失われていた。

 顔の半分が無かった。

 右半分が削げ落ちて、混沌の塊でかろうじて覆われているのみだ。


 そして、彼女はまだ戦意を失っていなかった。


「……ッ!」


 ユスティアナさんが俺を拾い上げつつに飛び退る。

 アリシアさんの混沌の触手による一撃の結果だ。

 しかし、か細い。

 ユスティアナさんがそのつもりであれば、容易く斬り飛ばせただろう一撃だ。


 明らかに、アリシアさんは弱っていた。

 体には至るところから火の粉が散っている。

 ブワイフさんが不死に近いと称した彼女だが、炎の神の浸蝕にあって、確実にその力を失いつつある。

 だが、彼女は攻撃を止めない。

 か細い触手で、か弱い追撃を放ってくる。

 ユスティアナさんは叫んだ。


「も、もういいではありませんかっ!?」


 悲痛な叫びだった。

 同時に、彼女は片手で長剣を一閃。

 か細い触手を斬り飛ばす。

 これでアリシアさんが止まってくれたら。

 そんな願いがあっての一閃だろうが、彼女は止まらない。

 もはや触手を使う力も無いらしかった。

 代わって、残った片腕で刃物のように変える。

 たどたどしい足取りで、俺たちに肉薄しようとしてくる。


(アリシアさん……)


 彼女が望むものについて思いを巡らさないわけにはいかなかった。

 本人の口から聞いたわけでは無い。

 だが、彼女はきっと断罪を望んでいた。

 後の世をしかるべき誰かに託した上で、自らは邪悪として滅せられることを切望していた。


 そのアリシアさんは彼女らしい表情をしていた。

 もちろんとして、そこに敵意は無い。

 ただただ申し訳なさそうだった。

 ユスティアナさんに──妹のように接してきた彼女に自らを滅ぼさせる罪悪感だろうか。

 そんなものが如実に滲んでいた。

 しかし、止まらない。

 あるいは……そうだね。 

 最後の時は、ユスティアナさんにこそ任せたい。

 そんな思いが彼女にはあるのかもね。


 ユスティアナさんも同じことを思ったのだろうか。

 彼女は1つ深呼吸をした。

 そして、俺を地面に下ろした。

 長剣を上段へと静かに引き上げる。


「……仕方ありません。最後まで付き合わせていただきましょう」


 アリシアさんに言葉は無かった。

 黙って微笑みを浮かべる。

 小さく頭を下げる。


(……良いのか?)


 2人を見上げて、俺はそう思わざるを得なかった。

 もはや俺に出来ることは無く、2人の間に割って入る資格も無い。

 そんな気はするのだ。

 だが、これで良いとは欠片も思えなかった。

 こんな結末で良いはずは絶対に無い。


 きっと何かあるはずだった。

 最良の結末なんてものはきっと無い。

 ただ、もう少しだけ……もう少しだけ2人が傷つくことの無い結末があるんじゃないか?


(あっ)


 不意に、俺はあの人の発言について思い出すことになった。

 必要であれば、私を頼りなさい。

 アリシアさんに追い詰められた時にも思い出したけど、その時はきっと必要な時では無かった。

 でも、今はどうだ?

 確信なんて無かった。

 だが、俺に頼ることが出来るのは現状ではあの女神様しかいない。


(い、急がないとっ!!)


 2人はまだ動きを見せてはいない。

 長剣を握るユスティアナさんの手は震えていた。

 それはきっと、アリシアさんを自らの手で殺めることへの葛藤だ。

 だから、急がなければいけない。

 葛藤が続いている内に、彼女が後悔を背負わずにすむかも知れない道を見つけださなければいけない。


 しかし、どうやって?

 女神様を頼るって、心の中で呼べばいいのか?

 それでいいのか?


 ──────《ログ》──────

・『候補』限定現界Lv1[コスト:30]

 ────────────────


 ログさんには本当にね。

 どんだけ感謝しても足りない気がするよ。

 最初から世話になりっぱなしだよなぁ。


 必要なスキルポイントは大きかった。

 ただ、幸いにしてアリシアさんとの戦闘の結果としてレベルはかなり向上している。

 スキルポイントにも余裕があり、早速獲得する。

 で、次だ。

 限定現界とやらはどうすれば発動出来るんだ?

 魔力を使う系ってことで良いのか?


 ──────《警告》──────

・依代が必要です。

 ────────────────


 やはりログさんはさすがだった。

 的確なタイミングでの的確なアドバイスだが……依代。

 女神様が降臨するための仮の住処って言うか、そんなものが必要なわけか。

 

 急いで見つける必要があったが、そこには苦労せずにはすみそうだった。


「……リ……テケ……リ……」


 よくぞ生き残っていてくれたって感じだよね。

 灰色さんだ。 

 彼は集落の方向に這っている途中であったが、ごめん。 

 それ、俺都合だけど中止で。


『ど、どっせい!!』


 加減をして体当たりをかました。

 弱らせて動きを止めることには成功。

 あとはえーと?

 ログ先生のご指摘は無い。

 となると、あとは願うだけか


(お、お願いします……っ!!)


 限定現界。

 手応えは特に無かった。

 ただ……灰色さんは妙な動きを見せた。

 まるで肩を落とすように大きく揺れてひしゃげたのだ。


『……貴方はまったく。よりによってこれですか。まさか、これに私を降ろすとは』

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