修羅道の始まり

 それから数分後、繁華街は大変な騒ぎになっていた。

 サイレンが鳴り響いたと思ったら、赤色灯をつけた救急車が到着する。中から、隊員たちが急いで降りていった。彼らは、早足で無人であるはずのビルに入っていった。

 ビルの周囲を取り囲んでいるのは、騒ぎを聞きつけた野次馬たちだ。彼らはスマホをかざし、何が起きるのかと現場に注目していた。

 そんな人混みの中を、零士は小さな体ですり抜けるようにして歩いていった。こんな小柄な少年に、注意を払う者などいない。零士は、簡単に現場から脱出した。


 やがて地下駐車場に、救急隊員たちが到着した。白木が所持していたスマホの通報により、現場に駆けつけたのだ。

 そこには、想像もしていなかった惨劇が待っていた。血まみれの人が倒れており、周囲には細切れになった肉片が転がっている。あまりにもひどい惨状のため、救急隊員たちですら、最初は状況を理解できなかったほどだ。

 白木は、直ちに病院へと運び込まれた。すぐさま手術が施されたおかげで一命は取り留めたものの、生涯瘉えることのない傷を負わされてしまった。

 だが、零士の復讐はこれで終わったわけではない。むしろ、始まりでしかなかった。




 夜季島を脱出した後、零士はゆっくり時間をかけ、当時の様子を冷静に振り返った。同時に、様々な手を尽くし出来る限り調べてみた。結果、ようやくペドロの計画が見えてきたのだ。

 

 あの男は、船で出会った時から零士が鬼であることに気づいていた。同時に、当の少年は自身が鬼である事実に気づいていないことも悟る。

 ペドロは、すぐに頭の中で計算した。普通の人間なら、零士がこの先に計画の障害となることを考慮し、殺すか嘘八百を並べ立てて島から移動させようとするだろう。事実、ペドロも初めはそちらのルートを考慮しつつ動いていたふしがある。言葉巧みに零士に近づき、謎めいた発言や超人的な腕力を見せつけ尊敬と恐怖の両方を植え付ける。その上で、島を離れるようにと忠告した。

 しかし、零士は島に留まることを選んだ。すると、ペドロは方針を変える。自身の計画に、少年を利用するルートへと変更したのだ。

 全ては、零士の父・茨木統志郎を亡き者にするためだった──


 ペドロは、母・由美を殺したのが零士であることも調査済みであった。同時に、その時に鬼の能力が目覚めていたことも推理していた。

 その上で、統志郎と零士が対面している状況を作り、父を拳銃で撃った。零士の目の前で、統志郎の姿を変化させるためだ。

 鬼の姿となった父を見た瞬間、零士の心は強烈な衝撃を受ける。怒り、悲しみ、憎しみ、絶望……様々な感情が一度に零士を襲った。結果、彼は二度目の変身を遂げる。

 再び鬼の姿となった零士は、本能の命ずるまま父に襲いかかる。母の仇である、と思い込んでしまったためだ。全て、ペドロの計算通りに事は運んでしまった。

 零士もまた、ペドロの計画した通りに動いてしまった──


 この時点で、ペドロにはふたつの結末が見えていた。

 仮に父が生き残った場合、それでも無傷では済まない。強力なる上位の鬼同士でまともに戦えば、勝った方も相当のダメージを負っているはずだ。ペドロなら、どうにか片付けられるだろう。

 息子が生き残った場合も同じ……はずだった。だが、なぜかペドロは零士を殺さなかった。それどころか、殺してくれと懇願した零士の頼みを聞かず、ふざけた言葉を残し去って行った。


(人間どもを引き裂き、屠り、食らうんだ。君には、数万の人間を犠牲にしても生き延びる値打ちがあるよ。生物として、実に貴重な存在だ)


(俺は、君に生きて欲しいと願っている。君が、地獄から這い上がる姿を見たい。この先、数々の試練を乗り越えて生き延びた君と、どこかで再会できることを心から望んでいる。真の意味で、最強の生物となった君と再会できるのなら、俺の持てる財産を全て捨て去っても構わない)


 何のために、あんな言葉を吐いたのかは未だにわからない。自分を生かしておいた理由もわからない。そもそも、奴にとって鬼は敵である。捕獲もしくは殺すべき対象であるはずだ。なのに、鬼である自分のことを見逃したのだ。

 もっとも、わかる必要などないのだ。あの男だけは、この手で必ず殺す。自分を生かしておいたことを、地獄で後悔させてやる。

 ペドロだけではない。あの男の背後には、糸を引いていた者がいるはずだ。父の統志郎を殺したことにより、莫大な利益を得た者が……そいつら全員を、皆殺しにしてやる。

 零士の瞳は、不気味な色に光っていた。小さな体で野次馬の波をかき分け、ひとり進んでいく。そろそろ眠気が襲ってくるはずだ。早く、安全な場所まで行かなくてはならない。

 今の彼を生かしているのは、復讐の念だけであった。


 そんな少年を、離れた路地裏から見ている者がいた。


「零士くん、やはり君は生き延びたのだね。再会が楽しみだよ。早く、俺を殺しに来たまえ」


 男は、そっと呟く。直後、人混みの中へと消えていった。


 ・・・


 白木潤一は、その後も生き延びた。

 ただし、彼の顔面は、修復不可能なほどズタズタな状態になっていた。顔の皮膚の大半は剥がされており、高い鼻は軟骨ごと引きちぎられていた。耳たぶと唇ももぎ取られ、口は耳元まで裂かれている。さらに、髪の毛も頭皮ごと引き剥がされていたのだ。

 もっとも、命に別状はない。これだけのことをしてのけた犯人は、他の部分には一切傷をつけていなかったのだ。救急車の到着が早かったことも幸いした。今後も、寿命が続く限り生きていくことは可能だろう。

 だが、自慢の美しい顔は永遠に失われてしまった。もう二度と、女を騙すような真似は出来ない。

 それどころか、人前に素顔を晒すことも出来ないだろう。今の白木の顔をあえて表現するなら、不器用な幼児が粘土で無理やりにこしらえた人の顔、だろう。目、鼻、口、耳といった各部の位置がズレており、形も異様である。これまで散々にけなしていた不細工な男たちですら、今の彼よりは遥かにマシであった。

 今の白木は、顔のみならす人格まで大きく変わってしまった。病室にて、己の顔に穴の空いた布袋を被せて過ごしている。部屋に鏡はなく、己の姿を映し出すものは一切置かれていない。

 娯楽の類いもない。ネットはもちろん、テレビやラジオすらなかった。かつては、男だろうが女だろうが美形でなくては寄せ付けなかった白木。だが、今は美しい顔の人間を見るのが苦痛らしい。

 活字だけの本は、かろうじて読める。だが、何かの拍子に「ブサイク」「ブサメン」などという単語を目にしてしまうと、本を投げ捨ててしまう。直後、立ち上がり叫び出すのだ。


「俺はブサイクじゃねえ!」


 そんなことを喚きながら、その場で手足を振り回し暴れ出す。さらには、狂ったように壁に頭を叩きつけ出すのだ。最後は屈強な看護師たちに取り押さえられ、ようやく落ち着かされる。

 これまで付き従っていた者たちからも、完全に見限られてしまっていた。今の白木には、人気キャバクラ店オーナーの資格はない。じきに解任されることだろう。かつて彼を追い回していた女たちも、今では見向きもしない。それどころか、白木の顔を笑い話のネタにしている始末だ。

 この男はもう、完全に終わってしまった。二度と表舞台には出られない。




 夜季島は、表面上は以前と変わらぬ状態が続いていた。

 会員制の風俗店は、今も営業している。前と比べて、変わったところはない。選ばれた会員たちが店を訪れ、鬼女たちの体を味わう点も全く同じだ。

 地下帝国もまた、なくなったわけではない。今も人間たちは飼育されており、鬼たちの食料となっている。また、残酷な人体実験も変わらず行われている。夜季島でなければ、出来ないことだ。

 鬼たちはといえば、今も夜季島の地下にひっそりと住んでいた。統志郎がいなくなった今、紫外線を照射するライトさえあれば、彼らを全滅させることも可能だ。だからといって、鬼を根絶やしにしたりはしなかった。彼女たちは、今や人間の奴隷となっている。

 そう、夜季島で行われていたことは今も存続していた。ただし、島の支配者が茨木統志郎から、別の者に代わっただけのことだ。人間たちにとって、もっとも邪魔な存在だったのは、最強の鬼・統志郎であった。彼が死んだ今、夜季島は人間の支配する領土になってしまった。

 鬼たちにとって、最悪の災厄をもたらした男・ペドロ……その後、彼がどこに行ったのか知る者はいない。

 

 

 

 


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夏休みの終わる時 板倉恭司 @bakabond

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