■敗目 迎え酒
頭痛で目が覚めて、しかし眼鏡が行方不明。
しょうがないのでスマホを探す。どこ、どこだ。
かつんゴト、とベッドから落ちる音がした。手探りすると、クッションとゴミ袋のあいだに落ちていた。拾い上げて目を5センチの距離まで近づける。
『15:34(木)』となっていた。
休みのうちかなりの時間が終わっていた。
やろうとしてたこと、予定したかったこと。そのほとんどがだめになったなぁと思ったら笑えてきて、しかし昨夜の記憶がさっぱりないので、どうしてだめになったのかの納得も湧いてこない。
ただただ、むなしくて笑った。
「まぁ病院……午後の部なら、いけるか」
身支度をしようと身を起こす。
ずきんと腹が痛んだ。
起きて、体の向き変わったから胃液が動いたか? 沁みちゃった? ごめんごめん。いまから労りにいくから。
しかしひどい痛みだ。もし本当に胃潰瘍だの胃酸過多だのなら、水でうすめれば少しはマシになるかもしれない。
私は丸テーブルの上に手を伸ばす。
眼鏡がなくてもまぁグラスくらいはつかめる。透明の、いつも寝起き用に湯冷ましをいれてるグラスだ。
ぐいっと躊躇なく一気にあおる。
途端にかっと目と気道が開き、
思いっきり空中に口の中身をぶちまけた。
「げぇっほげほげほ!」
うわ酒だ。
焼酎水割り、たぶん水と1:1だ。よく見りゃテーブルの上に焼酎紙パックの輪郭がある。
でまあ、そんなものが喉に飛び込んで、私は面食らってしまった。あと若干量ではなくまあまあ飲み込んでしまった。胃に光がともるあの感覚が襲ってくる。うわー意図せず迎え酒。
じんわりと血流が良くなってくるのを感じる。
あちゃあ。飲んじゃった。となると、病院まで車で行く手はなくなった。じゃあ歩いていくしかないか。とりあえず机とか床拭かなきゃ。
思いながらよたよた立ち上がって、診察券あったかな、酒飲んでるとなんか言われるかな、でも時間ないしな、整体は無理かな、ごみ捨てられなかったな、朝ご飯あったかな──なんて考え込んで。
ぺきっと足裏から音がした。
すさまじい勢いでフリーズする。
そのままどれくらい固まってたろう? おそるおそる足をどけるまでに、数分を要した。
案の定、そこにあったのは眼鏡だった。
「あちゃあ」
今度は声に出してみた。
かすれて枯れたひどい声だ。
酔って帰って休みを一日ムダにして、起きて酔って眼鏡踏んだ。どーしようもない。しょーもない。くっだらない。あはは。
えへらへら、と頬をゆるめて笑、おうとして。
一瞬早く、涙腺の方がゆるんだ。
「…………ああぁぁー、あぅあぁ、あっ、ぇあっ、あぁぁぁ……」
なにこれ?
なんでこんなに泣けるんだろう。
わからないけどもう止められなかった。ゴミ袋とクッションと脱いだスーツと洗濯ものの山の間で、私は転がって泣きつづけた。
一時間二時間経っても泣き止まなかった。でもぐるぐるぐるぐる思考がめぐりつづけて、次第にちょっとずつちょっとずつなんで泣けるのかわかってきた。
もうなにもかも思い通りにならない。
生活はぜんぶ仕事に切り刻まれていて寝ても覚めても縛られてる。それでもなんとか自分を保とうとしてきたのに、いつのまにかお酒に頼るようになり次第に侵食され、いつのまにか自分で止めることもできなくなっていた。きっとこの眼鏡はいつかの自分だ。そう思った。そうとしか、思えなかった。
すると突然こわくなって、私は部屋に散らかっていたものをぜんぶゴミ袋にまとめていく。両手いっぱいかき集めて、燃えそうなものは全部詰めた。見えないからよくわからないまま、とにかく全部詰めて最後に一番上にスーツを載せた。それから、思い出して、冷凍庫にあった生ごみも載せた。
袋の口を縛って外に出る。今日は木曜だ、可燃は朝収集されてしまっている。次の収集日は月曜だ……でも関係なかった。もうまとめてしまったし、捨てるしかなかった。今日ごみを捨てられなかったら永遠に明日は来ないと思った。来ないなら来ないでよかったがとにかくあの部屋に置いておきたくはなかった。捨ててネットをかけて部屋に戻る。よく見えないからすべての動作がゆっくりで、でもだからこそ成し遂げたような感触があった。
部屋はすっかり暗くなっている。夜が来ると明日が来る。明日が来れば仕事が来る。それが嫌で、家中の明かりをつけた。明るい。まだ夜じゃない。夜を見ないようにカーテンを閉めた。そのとき視界の端に防災袋がうつって、そういえばスペアの眼鏡を入れてたのを思い出す。私は視界をとり戻して人心地ついた。でもテレビはつけない。番組は時間帯を知らせてくる。私はデジタル時計もつかんでゴミ袋に入れた。それから、少しだけ、迷って、スマホも電源を落として画面をテーブルの縁に叩きつけて割ってゴミ袋に入れた。
どうあれ部屋は片付いた。あとしたいと思っていたこと予定していたことはなんだろう。そうだ、お風呂に入るんだった。消化に良いものを食べるんだった。私はなぜか急がなきゃいけない気がして小走りで給湯器のスイッチを入れる。消化に良いものをと考えて、レトルトパウチのおかゆを器にうつしてレンジに入れた。と、胃腸がまたきりきり痛む。立っていられなくなって座り込んだ。でも痛いと余計なこと考えないなと思うと痛い方がマシなような気がした。油断すると外が暗くなってることばかりに頭がいってたまらなくなる。ひょっとして昨日の私も暗いのが、家に帰ってひとり暗い中にいるのが嫌で、飲み歩いてたのかな? だったら許してあげてもいいのかもしれない。少しだけ。でも飲む元気があるなら明日の私を気遣ってほしかった。でもそんなこと考えてる私は明日の私を気遣えるのだろうか。わからない。ただスマホは捨てた。これで少しはマシになるかもしれない。
明日は少しは良くなるかな。
体調でも気分でも、どっちでもいいから。
まったく今日ではない別の日が来た、そういう実感を、プラスのものとして味わいたかった。
どろりとなにもかもを濁らせ曖昧にするのはもう、こりごりだった。
うつむいたままで私は願う。明日がマシに、なることを。
職場酒 了
職場酒 留龍隆 @tatsudatemakoto
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