それは甘くて優しい砂糖菓子のような
冷たさの中にほのかな優しい暖かさが混じる3月の空気を吸い込むと、私はぼんやりと空港の空を見上げた。
今度はいつこの空気を吸えるだろう。
この日本の四季が持つ優しい空気を・・・
「お嬢様、どうなされましたか?」
九国さんの声にハッと我に返り、目の前の車椅子に座る彼女を見た。
そして、私はニッコリと笑って首を振る。
「ううん、大丈夫。ちょっと考え事をしてただけ」
「・・・本当に大丈夫ですか?」
「何が?」
「その・・・この国を離れることです」
私は返事の代わりに、九国さんにキスをした。
「それはもう言わない。私がそうしたいんだから」
外国に移住する。
それは雄大さんからの提案だった。
雄大さんの組織の本拠地がイタリアにあるらしく、そこで私と九国さんを保護してくれるらしいのだ。
もちろん、組織としては私と九国さんの持つ情報も目当てなのだろうけど、それは問題では無い。
ただでもらえる好意などない。
九国さんを守れる力を得られるなら、利用できる物はなんでも利用するつもりだ。
あの後、雄大さんは手術の甲斐あって一命を取り留め、今ではほぼ以前のように回復している。
ただ、九国さんは今でも車椅子を必要としている。
たまたまなのか、意図的なのかは分からないが脊椎の一部を損傷した程度で済んでは居たが、下半身はまだ歩行できるにはかなりの時間を要するらしく、歩けるようになっても以前のような動きを行うことは難しいだろうという事だ。
でも、それもどうでもいい。
彼女が及ばない所は私が埋めればいい。
私は雄大さんに頼んで、様々な知識を学ぶ機会を得ると共に、身体のトレーニングにも取り組んだ。
雄大さんや九国さんのようには動けない。
でも、知識であれば近づけるかも知れない。
そして、最低限のレベルの体力だけでも身につけたい。
九国さんを守るためにも。
そのために、私自身の持っている知力と体力の全てを極限まで磨き上げるつもりだ。
「君たちがいなくなると寂しくなるな」
飲み物を買ってきた雄大さんが差し出しながら言う。
「でも近いうちに来るんでしょ?私たちを監視しに」
「参ったな。蒼ちゃん、すっかりこっちの人っぽくなっちゃって。僕も寂しいよ」
そうおどけた様子で言う雄大さんを笑いながら見る。
「でも・・・有り難う。色々教えてくれて」
「どういたしまして。君があんなに筋のいい生徒とは思わなかった。お陰で楽しかったよ。でも僕も組織が方針を変えたら、また君たちの敵になるかも知れないから、そこは覚悟しといてよ?」
「それは折り込み済みだから大丈夫。基本、九国さんと私を最小単位として考えてるから」
「了解。ナンバーナイン、頼もしいじゃ無いか。あの蒼ちゃんがね・・・」
雄大さんの言葉に九国さんは曖昧な笑顔で頷く。
「ま、僕も気まぐれでマイペースだからね。イーグルを殺された恨みもあるし、君たちがE・A2の敵である限りは、僕も味方だよ。『敵の敵は味方』だからね」
「よろしくお願いします」
「もちろん・・・だが、本当に気をつけて。E・A2についてはナンバーナインの知識を徹底的に身につけるように。あそこは気を抜けない。我が組織が全力で守りはするが」
「はい。そうします」
私は雄大さんに向かって頭を深々と下げた。
雄大さんも同じく頭を下げる。
「それはそうと・・・二人は今後はどうするの?」
「え?・・・だから、当面身を隠して・・・」
「違う違う、二人のプライベート。イタリアは同性婚に準じた権利を認める法律が承認されている数少ない国だよ。二人はどうするの?」
「・・・!」
私は顔を真っ赤にしながら九国さんを見た。
彼女も同じくらい・・・いや、耳までどころか首まで真っ赤にしている。
「ラビット・・・それは・・・お嬢様に失礼です」
「何も失礼じゃ無いじゃん!蒼ちゃん、訓練中も暇があれば君の事ばかり言ってたよ。って言うか、めげそうになったときは君の事ばかりつぶやいてたし。だから僕もナンバーナインを良く使わせてもらったよ。蒼ちゃんのモチベーションアップに」
「そう・・・なのですか?」
九国さんが私の顔をじっと見上げる。
頬を紅潮させながら見上げるその姿が・・・何というか、上目遣いの様に見え照れくさい。
ああ、私こういうのがツボだったのかな・・・
「ど、どういう理由でも結果オーライならいいじゃない!雄大さんもいちいちそういう事言わなくてもいいの」
「オッケー。これ以上、仲睦まじいカップルの邪魔をするのは止めておくよ」
雄大さんはそう言った後、表情を引き締めて言った。
「向こうでも気をつけて。何かあれば必ず連絡を。あと、訓練中は楽しかったよ・・・いつ会うか分からないから言っておくと・・・君との訓練の時間は、妹の事をよく思い出した。だから・・・気をつけて」
そう言って差し出した雄大さんの手を強く握り返す。
「ナンバー・・・九国さんも。見違えるほどになったとはいえ、彼女はまだ歩き始めだ。君の力が大いに必要になる・・・頼んだよ」
「言われなくとも。この命と引き換えにしても」
そう言って九国さんもがっちりと握手した。
「・・・じゃあね。また」
私はそう言うと出国ゲートに向かった。
後ろは振り返らない。
雄大さんの方はもう・・・この国にも。
「あの・・・お嬢様」
「なに?」
「本当によろしいのですか?これで」
「いいに決まってるじゃない」
「私は前までの私ではありません。お嬢様のご負担に・・・ひゃっ!」
私は話途中の彼女の頬を引っ張った。
「私がいいからいいの。それに、ここまで来て今更切り捨てないでよ!私とあなたは一緒に歩いて行くの。泣いてもわめいても一生付きまとってやるからね!」
「お嬢様・・・」
「後!もうそろそろ『お嬢様』は止めて!私、もうお嬢様じゃないんだから。決めた!これからは『蒼』って呼んでよ。私も『里沙』って・・・呼ぶから」
「最後の方、凄く小声でしたよ・・・ですが、それはさすがに・・・」
「聞いてくれなかったら、ここで結構長めのキスしちゃうけどいい?」
「え!それは・・・ご勘弁を・・・ここでは・・・せめて短めで」
「言うの?どうなの?」
「・・・では・・・蒼・・・さん」
「60点。う~ん、まあいいや。じゃあ里沙・・・さん。行こうか!」
九国さんはプッと吹き出すと、私を見上げて言った。
「はい!よろしくお願いします。お嬢・・・蒼さん」
私も吹き出しながら里沙さんを見た。
そして車椅子を押して歩き出した。
不安がないと言えば嘘になる。
訓練したとはいえ、私なんかが里沙さんを守れるのだろうか。
一二三さんはまた現れるのだろうか。
でも、それ以上に胸の奥が高ぶっている。
今度は命に代えても里沙さんを守る。
そして・・・一二三さんとも話してみたい。
きっと出来る。
私たちなら。
だって、世界は変えられるのだから。
【終わり】
それは甘くて苦い砂糖菓子のような 京野 薫 @kkyono
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