第3話 獣が来る

「いい買い物をした」

「良かったですね」

「枕以外にもたくさん買ってしまった」

「気になった服全部買うとか、財力の差を感じます」

「真広君も私が選んだの買ってあげたのに」

「流石にそれはちょっと……」

「まぁ、真広君に着せる予定の服はウチにあるし、いいか」

「えっ、なんですかそれ」


 ショッピングモールから出て、ほくほく顔の沙耶。

 いい買い物をしたというがその手には学生鞄しか持っていない。

 このショッピングモールの店舗では郵送サービスが充実しており、買ったものをその日に自宅へ届けてくれる。

 常に重い物や大きなものを持つことは無く、ハンズフリーで買い物ができるのだ。

 それ故に、このショッピングモールは多くのU市市民に生活基盤を支えてくれる場所として親しまれている。

 閑話休題。

 二人は学生らしく放課後を楽しみ、空は日が暮れ始めていた。

 沙耶は身体を伸ばし、真広は大きく息を吐く。

 じゃあ帰ろうか。そんな言葉を口にすると


「アノー、スミマセーン」


 後ろから声をかけられる。

 ふとそちらを見ると、二人よりも遥かに大きな体格の人物がそこにはいた。

 着用している灰色のパーカーからでもわかるほどガタイの良く、履いている迷彩色のズボンがぴっちりのしていて、茶色いブーツも普通では見かけないほどの大きさだ。顔はパーカーについているフードが覆いかぶさって確認することが難しい。


「ソノ、セイフク、クズマキ、コウコウ?」


 こちらの制服を指差しながら男は尋ねる。

 喋り慣れていないのか、日本語が少し片言だ。

 二人は顔を見合わせた後、男に向き直り、頷いた。


「オー、ヨカッタヨカッター!!」

「はぁ……」


 男性が手を叩いて喜ぶ。

 疑問符が頭に浮かび、首を傾げた。

 一体何なのだ。と考えていると男は右手の人差し指を上に立てた。


「ジャア、モヒトツ、キキタイ、OK?」


 そこで真広は気が付いた。

 男性の手は異様だった。

 人の手の形をしているが、毛深く、爪が長い。

 獣の足を人間っぽくすればこのようになるのではないだろうか。

 男性は左手でいつの間にか取り出した紙を見て「アー……」と何かを悩むように声を出す。

 その紙とこちらを交互に見た後、沙耶に立てていた指を指す。


「ミス・ホネサキはアナタ?」

「は?」


 突然名前を出された沙耶は驚く。

 真広もだ。

 なぜピンポイントで沙耶の名前が出てくるのか?

 再び顔を見合わせる。

 沙耶は珍しく困惑している様子だった。


「あぁそうだけど、私に用があるのかい?」

「オー、アッテル!イエー!」


 少し間をおいて返答すると、男はフィストパンプガッツポーズをして喜び、何かを呟いたと同時に、沙耶に頭を掴まれて無理やり身を低くさせられた。

 響く衝撃音。

 耳を貫き、身体を跳ねさせるほどに驚かせた音は、二人の近くにあった街灯から放たれていた。

 街灯には男の腕がめり込まれ、歪んだ形に変形している。

 やがて街灯がゆっくりと倒れてくるのを沙耶が手を引いて避け、そのまま男へ向き直った。

 なにがなんだか、状況に頭が追い付けていない真広は困惑の表情をすることしかできない。

 それから一呼吸を置いて、周りから悲鳴や動揺の声が上がり始めた。

 街灯が完全に倒れ、その衝撃で風が広がり、男のフードを捲った。

 フードの下にあった顔は狼だった。

 紛れもなく、骨格から皮膚、毛、目玉、顔のすべてが狼の形をしていた。


「真広君っ!走るぞっ!」


 沙耶は手を掴んで狼男の反対側に走り出す。

 体勢を崩しそうになるが、なんとか踏ん張ってそれに続いた。

 胸の中がとてもざわつき、汗が噴き出る。

 自分の中の本能があれが危険だと知らせている。

 ちらりと後ろを見ると狼男は大きな背伸びをした後、ニヤリと笑う。

 それは獲物を狙う獣の目だった。


『さぁて、少し遊ぶか』


 ■


 全力で走る。

 一秒でも早く逃げるために鞄は捨て、その身を軽くしていた。

 隣を走る沙耶も同様だ。

 顔だけ振り返れば、建物の壁や車の上を跳躍しながらこちらに迫ってくる狼男の姿が目に映る。

 普通に考えればあっという間に追いついてしまいそうな跳躍力だが、真広たちとの距離を一定に保ちながら追いかけてきていた。

 どうやらこの状況を楽しんでいるのかワザと追いつかないようにしているようだ。


「先輩なんですかアレ!」

「知らんっ!さっき英語で私を誘拐するって!」

「はぁ!?なんですかそれっ!」

「私が知るかよ!」


 今、走っている道では放課後の寄り道している学生や自宅や会社に戻る社会人など、街には人が増えつつある。

 次々に人が増え、逃げる障害になっていた。

 周りからは驚きの声や怒号が聞こえるが、すぐに後ろから追いかけてくる狼男を見て悲鳴に代わる。

 周りには悪いとは思うが、自分たち以外を気にしてられるほど余裕はない。

 真広だけなら問題ないのだが、沙耶にこの状況は大変危険だ。

 全力で逃げている今、人と衝突した場合や何かの拍子で転んでしまった場合、骨が折れる。

 でなくてもこのまま走ることにより足に負担がかかり、いずれは限界を迎えてしまう。

 それほどに彼女の骨は脆いのだ。


「先輩、どうします!?」

「しらん!!」


 普段まともに運動しない二人は既に息も絶え絶えだ。

 紙一重で人や物を避けながら走り続けられているのは持ち前の反射神経のおかげだろうか。


「とりあえず……」


 左ポケットに入っている携帯端末を取り出す。

 今時珍しくホログラムを使わないスマートフォンタイプのものだった。

 人の波を躱しながら器用に番号を入力し、通話アイコンを押した。


『はいこちら』

「警察ですかっ!誘拐するとか言ってきた干渉者に追われています!場所は、って!!」


 端末を握っていた左手に何ががぶつかり、思わず端末を落とす。

 反射的に拾おうとするが、すぐに諦め、逃走を続ける。


「真広君!」

「大丈夫……ですっ」


 そうは言うもののかなり左手が痛む。

 真広以外にも飛んできた何かにぶつかってくぐもった声を上げる人が何人が出始める。中には頭に当たって倒れる人もいた。

 地面に落ちるものは車のサイドミラーや街灯のライトといった片手で投げられるサイズのモノだった

 狼男が投げたのであろう。

 周りのことなどお構いなしに次々に投擲を繰り返す。

 次第に投げてくるものが大きくなり、コンビニのごみ箱、自動販売機、ポストなどの重量があるものが次々と飛んでくる。

 それらに当たればどうなるかが容易に想像できた。


「あいつ先輩を捕まえる気あるんですか!?

 どう考えても殺す気満々じゃないですか!!」

「私に言われても困る!」


 額や背中に汗を流しながら足を動かして駆ける。

 その時、足が何かに引っかかった。


「やべっ」


 思わず足をもつらせてバランスを崩し、地面に転がる。

 そのタイミングで街灯の柱が飛んできた。

 無理やりに捻じ切られたのか、槍のように尖った部分が出来上がっている。

 まっすぐと迫ってくるのに真広は動くことができず、顔を逸らして目をつぶった。


「……?」


 だが、いつになってもくるはずの痛みがない。

 恐る恐る目を開けると、そこには黒い服を着た男性が立っていた。


「真広君っ!」

「いったい何が……?」


 駆け寄ってきた沙耶に身体を起こされ、困惑しながら男性とその先を見ると、そこには同じ服を着た集団が何人も集まっていた。

 彼らは統率の取れた動きで狼男の動きを止め、警察が周りを避難させている。

 そして目の前の男性が振り返り、眼鏡をきらりと光らせながらやさしい笑みを浮かべる。


「こちらレジストです。

 通報したのは貴方で間違いないですか?」


 その言葉に頷き、転んだ拍子で擦りむいた額をポケットにしまってあるハンカチで抑えながら立ち上がる。


「保護しますので私についてきてください。

 車に乗ってここから避難しましょう。

 ……二人を保護しました。これより支部まで運送します」



 男性は片耳につけている通信機で連絡を取る。

 これで安全だ。そう思っていた。

 だからソレに反応できなかった。 

 男性が突然吹き飛ぶ。

 空気が揺れ、振動がこちらにまで伝わる。

 巨大な音を響かせた先を見ると建物の壁が大きくひび割れ、男性はずるりと壁伝いに崩れ落ちる。

 先ほどまで男性が立っていた場所を見ると、狼男は伸ばしていた腕を上にあげ、大きく背伸びをした。


『んーあぁっと、暇つぶしにもなんねぇな?

 それでも正義の味方かよ、だらしねぇ』


 狼男は英語で呆れた声をだす。

 真広は信じられなかった。

 狼男は衣服が少し破れているだけで、身体は無傷でその場に立っている。

 彼は先ほどまで確かに戦っていたはずなのに、疲れも見せることはない。

 戦闘が繰り広げられたところを見ると、信じられないほど、現実感がわかないほどに破壊されていた。

 普通はそんなことになっているのに気づくはずがない。

 一瞬。

 ほんの一瞬であの状況を作り出したということだ。

 レジストの、それも現場で活躍している彼らが弱いはずがない。

 干渉者の犯罪を止めるために活動しているのは相応の実力を持っている。

 だというのに狼男はそれをあっさりと蹴散らしてきた。

 圧倒的。

 獰猛的。

 狂気的。

 戦いを知らないなのに、狼男の強さをそう感じた。

 そしてくるりと回ってこちらを見る。


『あー?はいはいわかってるってーの』


 狼男は頭頂部にある耳を抑えてここにはいない誰かと話す。

 狼男はニヤリと、荒々しい笑みを浮かべ一歩、その足を踏み出す。


『さて、仕事仕事ーっと」


 ドクンと心臓が大きくなった。


「に」


 逃げましょう。

 その言葉を言う前に突風が真横を通る。

 突風が抜けた後ろを見ると、そこには狼男と片腕をつかまれて持ち上げられている沙耶がいた。

 沙耶も何が起きたのか理解ができず、目を丸くしていた。

 だが、すぐにそれは苦悶の表情に変わり、声を荒げた。


「ぐあっ!?あぁぁぁぁ!!」


 沙耶の腕の骨は狼男の手の中で砕ける。

 その痛みは想像を絶するものなのだろう。


『おん?

 おいおい、軽くつかんだだけだぞ。どうして骨が砕ける?』


 狼男は不思議そうに首を傾げる。


「はぁ……はぁ……『はなせっ』」


 沙耶は息を乱しながら英語で叫び狼男を睨む。

 それだけだ。

 それが現状できる精一杯の抵抗。


『おー、結構根性あるんだな』


 狼男はニヤリと笑って空いている手で沙耶の右足を握る。

 掴んでいる腕と同じようにあっさりと砕け、あらぬ方向へ曲がった。

 沙耶は先程のように声を荒げずに口を噛んでこらえる。

 額からは汗が大量に流れ、見るだけでも胸が締め付けられた。

 このままでは、このままではいけない。

 真広は転がっている折れた街灯を拾って走った。


『いい感じに弱ったし、帰るんっと!?』


 狼男が跳ぼうとした時、その背中を街灯で思いっきり殴った。

 手に返ってくる硬い感触。

 これでどうにかなるはずがない。

 でもやらずにはいられなかった。 


「……せ」

『あぁ?なんだお前?』


 声が震えている。

 しかし言葉を止めない。


「その人を!返せ!」

『うるせぇな、英語話せよ』

 

 狼男は腹を蹴る。

 動きは軽いが、重い一撃。

 数メートル飛ばされ、地面に落ちても勢いが止まることはない。

 建物の壁にぶつかってようやく身体はその場に止まった。

 血反吐を吐き、頭からは血が流れ出る。

 上手く呼吸ができず、意識が遠くにいってしまう。

 ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。

 ここで動かなくなってはダメだ。

 薄れゆく意識に抗おうと必死になり、手を伸ばそうとするが、身体は言うことを聞かない。

 そのまま真広の意識は、プツリと途切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る