五十六話 もう一度、スタートラインに

 河旭(かきょく)の西門を出て、玄霧さんと話し、別れた後。

 私たちは次の邑を目指し、しばらく街道沿いに歩いた。

 田園地帯から歩き続けて山が近付くにつれて、土地に起伏が大きくなり、畑の数も減る。

 まばらに木々が立ち並び、その向こうに川の流れる音が聞こえた。

 いつだったか、三人で歩いたような気がする、そんなよくある山際の田舎道。

 

「いやあ、皇帝の赤ちゃんなんて、おめでたい話を聞いちゃったな。旅始めの景気づけにはもってこいだ」

「メエメェ」


 軽螢(けいけい)が笑って道の先を行く。

 わかっているのかいないのか、白ヤギが隣で相槌を打った。


「赤ん坊はいつごろ生まれることになるんだ?」

「うーん、多分だけど次の夏のくらいじゃないかな」


 私と翔霏(しょうひ)がその後を歩き、世間話をする。

 軽螢と、翔霏と、私。

 三人で話しながら丘の草木の間を、河の横を歩いて往く。

 なんてことのない、あたりまえだったこの時間と空間を、私は一度、根こそぎ奪われた。

 すべてがこの手から、こぼれ落ちて行った。

 それでもやっと今、この手に取り戻したんだ。


「そう言えば二人とも、どうしてあんな絶好の場面で陛下のお城になんか来たの?」


 疑問に思っていたことを改めて聞く。

 あの日、あの場所で戌族(じゅぞく)が騒ぎを起こすなんてことは。

 知の巨人である姜(きょう)さんでも、直前にならなければわからなかったことだ。

 翔霏と軽螢率いる少年たちが、それを予見して駆けつけたということは、まずありえないと思った。


「クソ狗どもに行き合わせたのは全くの偶然だ」


 翔霏の言葉に、軽螢がウンウンと頷いて、続きを教えてくれる。


「翼州で軍の小間使いしてるときに小耳に挟んだンだよ。神台邑の生き残りの中に、河旭のお城へ働きに行った女の子がいる、って」

「それ私じゃん」


 おそらく玄霧さんの部下の誰か、軽螢たちに教えてくれたんだな。

 グッジョブすぎる。

 そのおかげで再会できたんだから、感謝のしようもないわ。


「だから俺たちも、それ麗央那(れおな)じゃね? って思って、会いに行こうかって話になったんだ。な、翔霏?」

「ああ。軍が戌族の連中と国境でぶつかり合うことがあれば、参加したいと思っていたんだが。どうも州の将軍と戌族の大人(たいじん)との間で取り決めがあったらしく、国境に不穏な空気はなくなった」


 覇聖鳳(はせお)とは別の勢力の大頭目と昂国軍(こうこくぐん)の間で、なんらかの手打ちや講和が成されたということだろう。

 戌族相手に戦闘しても昂国としてはなんの得にもならないので、穏当に済ませた方がいいという結論だ。


「きっと、姜(きょう)さんの判断だろうね。あの場にいた、ヒョロっとした若白髪の軍師の人だよ」


 首切り魔人なんてあだ名のせいで残酷イメージが先行しているけれど、姜さんの本質は、合理主義者である。

 効率的な作戦を選んだ中に、たまたま尾州(びしゅう)数千人の処刑という選択肢があっただけで、彼は決してシリアルキラーではない。

 殺したほうがいいなら殺すし、活かしたほうがいいなら活かす。

 感情に囚われずそれを使い分ける多面性こそが、彼が幼い麒麟とも、魔人とも呼ばれる所以であろう。

 もっとも彼は、なんでもかんでも迅速にことを進めようとして、組織の序列をすっ飛ばし、手続きを省略しがちな傾向がある。

 きっとそれは姜さんの、明確な悪癖であり弱点だ。

 ありていに言えば、横着したがる気持ちが、姜さんにはあるのだ。

 自分の体力では持ちきれないほどの本を一度に抱えて、中書堂の急な階段を登れなくなったようにね。

 上手く行っている間は良いけど、なにか大きな落ち度や失態があった場合、周囲から猛烈に突き上げを喰らうだろうな。

 ま、たまには痛い目の一つ、見てしまえばいいんだ。

 軽螢が笑顔で続きを話す。


「なら麗央那の手掛かりを探すついでに、皇都見物もいいンじゃね? って俺が言ったんだよ」

「お前は普段ろくに働かないくせに、今回は全くたまたま、いい仕事をしたな」

「へへっ、こう見えてやるときはやる男だぜ、俺はヨゥ」

「褒めてないんだが……」


 遅かれ早かれ、なにがあってもなくても。

 翔霏と軽螢は、私に会いに来てくれたんだ。

 切っても切れない絆のようなものを感じ、私は胸が温かくなる。


「そっかあ」


 うん、だから。

 大丈夫、大丈夫。

 これからの旅路でも、きっと、大事なものを取り戻せる。

 待っててね、環貴人。

 待ってろよ、覇聖鳳。  

 我ら神台邑の三人衆、生まれた地と日は違っても。

 きっと同じ日、同じときに、そこまで一緒に辿り着く。 

 三人で覇聖鳳の息の根を止めて。

 三人で、環貴人のお友だちになるんだ。


「ところでさっきから腹が減りっぱなしなんだ。この赤い木の実、食えると思うか?」


 腹ペコ虫だった翔霏が、道端の木を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。

 葉がない冬の森と青空に映える、朱色の木の実が、枝に鈴なりに実っている。


「確か食べられるよ。本で読んだ。死ぬほど酸っぱいはずだけど」


 なんて話しながら枝に手を伸ばそうとしたとき。


「って、なんかいるし」


 私は異変を感じて後ずさる。

 見れば林道の脇に、三つの瞳を持つ、イタチの化物が潜んでいた。


「ギッ! キャッ! キキャーッ!」


 樹木の間から私たちの様子を、虎視眈々と伺って、威嚇の声を放っている。


「む、怪魔か」


 翔霏が棍を構える。


「あんまりでっかくないな。爪が剣みたいで痛そうだけど」


 軽螢は腰の青銅剣に手をかけすらしない。

 翔霏に任せて楽をするつもりのようだ。

 怪魔の体高は人間と同じくらいで、中くらいか、やや小さい部類と言える。

 翔霏や軽螢にとっては、経験値稼ぎの雑魚にもなるまい。

 剣のようだと評された爪は、確かに長く鋭く、もし引っかかれたらただでは済まないだろう。

 私はその、見ようによってはフサフサしていて、可愛いと言えなくもない邪悪な獣を睨みつけて。


「やんのかゴラァーーーーーーーーーッ!!」

「キュッ!?」


 いきなり自慢の大声を発し、恫喝した。

 イタチの怪魔は、びくっと体を震わせキュートな叫びを上げ、林の奥へと一目散に逃げて行く。


「ふん、気合いの足らんやつめ」


 邪魔者がいなくなった林から、私は木の実を摘み取って、口の中に放り込む。


「ンギギギッ、酸っぱぁい。でも癖になりそう」


 軽螢も翔霏も、口と目をあんぐりと大きく開いて、驚いていた。

 ふふ、どんなもんだい。

 私だって、やればできるんだぞ。

 会えなかった間の私の成長を、二人に見てもらえて、とても気分が良かった。

 目じりを濡らすものの原因は、木の実の激しい酸味だけではない。



 埼玉のお母さん。

 いつ帰られるかわからないけど、まだちょっとかかりそうだけど。

 私は、麗央那は、元気です。

 届くかどうかわからない手紙を書いて、渡り鳥の足にでも、括り付けておきますね。

 それではまた、いつか。

 生きていれば、お便りを書き続けます。

 また会える日まで、お元気で。

 さようなら。



                       

(進学先は異世界、就職先は後宮 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~ 完)

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バイト先は後宮、胸に抱える目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~ 西川 旭 @beerman0726

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