3.ラピスラズリと仮面

 少女は、魔女の家の前にいた。

 真っ黒に煤を被った門の格子をあけ、家に続く小道をいく。

 跡形もなく焼け崩れた家からは、今も焦げ臭いにおいが立ち込めていた。

 七日前の夜を思い出すと、胃の奥がぎゅっと縮み上がる。

 真っ赤に腫れた父親の顔と、狼狽える母の顔。

 近所の大人たち。

 魔女は火あぶりだと叫ぶ声。

 何本ものたいまつ。

 広場に組まれた棒と、その下に敷き詰められた薪の山。

 広場に連れてこられたあの人。

 縛られ、めった打ちにされ、赤黒く汚れた、あの人の顔。

 こちらを見る目。何かを訴えるような目。

 隣にいた男の子が、こっちを見るなと石を投げる。

 卵、果物、あらゆるものが、あの人に投げつけられる。

 その子は私の家に来ていたと、あの人が言うかもしれない。

 そのことが、少女は恐ろしかった。

 一緒に火あぶりにされてしまうのが、恐ろしかった。

 その人は魔女じゃないと叫びたかったが、やはり火あぶりにされるのが怖かった。

 あの人の足元に、火が放たれる。

 少女が見たのは、そこまでだった。

 後ろから母親に抱きかかえられ、ざわめきは遠ざかっていった。

 必死に目を閉じ、塞いだ耳の中にも、脳を抉られるような絶叫が入り込んできた。

 それを聞いた瞬間、少女は気を失った。

 目覚めたら数日が経過していて、それから更に数日は高熱にうなされた。

 あの人を思うと、こんな熱で苦しいと思う自分が恥ずかしく、惨めだった。

 二人でお茶を飲んだテーブル。あの人の使っていたカップは、竜という東洋の蛇をあしらったものだった。

 色々な香辛料やハーブの香りで満ちていた、優しい魔女の家。

 以前は、自分の世界に疑問などなかった。

 母親からは、料理や家事、裁縫を教え込まれた。

 父親は、夜ごと少女の部屋にやってきては、これができないと良いオヨメサンになれないぞと言い、少女の身体をあちこち触ったり、舌で舐めたりした。

 ただむず痒いだけだったが、今は気持ち悪くて、それを訴えたら平手打ちをされた。 

 あの人の語る物語、そしてあの人自身がとても自由に見えるのに、どうして思った事を言っただけでお父さんは殴るの?

 もはや世界は、変容してしまった。

 何もなかったのだと、何もできなかった自分を忘れて、以前のように、オヨメサンになるための諸々を、両親から教えられる日々に戻っていいのか。

 分からないから教えてほしいのに、答えをくれるあの人はいない。

 もう出てこないと思っていた涙が溢れてくる。

 すると、足元に暖かいものがぬるりと絡んできた。

 驚いて下を見ると、魔女と一緒にいた黒猫がいた。

 その首元には、見覚えのあるハンカチに包まれた何かが括り付けられている。

 外すと、ごとりと何かが落ちた。

 身軽になった猫は、せいせいしたと言いたげに、少女にぷいと背を向け、茂みの中に去っていった。

 ハンカチの中には、いつかあの人が見せてくれた、青い石が入っていた。

 夜明け前の空を閉じ込めたような、深い青。

 これは、ラピスラズリという宝石になるんだ。

 穏やかな声が、蘇る。

 石の底には、小さな穴が開いていた。

 少女は、それを覗こうとして、止めた。

 見るのは、今ではないと思ったからだ。

 ひとつだけ、疑問があった。

 なぜあの人は、すぐに逃げなかったのか。

 この石を見て、これを遺してくれたから、逃げる時間を失ったのだと分かったが、でも何故そうしてくれたのか。

 その答えは、きっと石の中に記憶されているのだろう。

 その答えを理解できる時までは、生きてみようと、少女は心に決めた。

 それまでは、普通の仮面を被って、生きていこうと。

 決めたら、悲しみと後悔が渦巻いていた胸の内は、不思議と穏やかになっていった。

 森を抜け、町に戻る頃には、少女はすっかり笑顔になっていた。

 その姿を不審がる者は、誰一人としていなかった。



               了

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ラピスラズリと仮面 望月ひなた @moonlight_walk

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