吐瀉物・イン・ザ・ハウス

灰クマ

自動運転

「我が社はこの度、完璧な自動運転車を開発いたしました!」


スポットライトを浴びたスーツの男が、丸いフォルムの自動車たちを背に声を張り上げる。


同時に焚かれた、報道陣のフラッシュを含めたさまざまな光を一身に浴びて、ニューロ・テクノ社の若き社長は爽やかな笑顔をうかべた。


スミス・クライム。


彼は俗に言う、ユニコーン企業の社長だった。


ユニコーン企業とは、創業十年以内、かつ未上場で、評価額十億ドル以上のテクノロジー企業。


ニューロ・テクノ社はその厳しい条件の全てを満たし、かつ「自動運転車の実現」という高い目標を掲げてここまで成長を続けてきた。


学生時代に起業し、まだ弱冠三十歳の男が開いた展示会の規模は、彼の影響力と会社の経済力を示すかのように広大で洗練されている。


「ありがとう、どうもありがとう。では早速だが、今回の目玉となる自動車の紹介をさせていただきたい!」


満面の笑みのまま深くお辞儀をしたスミスは、顔を上げるやいなや、背後を振り返って大袈裟に手を広げる。


ちょうど扇状に展開された五台の自動運転車、そのうちちょうどスミスの真後ろに設置されたひとつに、眩いスポットライトが当てられた。


どこか日本の新幹線を感じさせる、流線型の洗練されたフォルムに、無駄の省かれた純白に光るボディ。


新品そのものの自動車の運転席には、本来いるべき運転手の姿は見当たらない。


「完全なる自動運転車。長らく掲げてきた我々の目標、それを実現するのは、技術チームが開発に多大な時間を費やした……このコア、新型AIです。」


そうマイクで説明するスミスの左手には、照明を浴びて黒光りする、ライターほどの大きさの車のキー。


備え付けられたいくつかのボタンのうち、ひとつを親指で押すと、それに連動して、背後の自動車のボンネットがゆっくりと開帳される。


そこは車の心臓ともいえるエンジンルーム。


配線を剥き出しにしたバッテリーや、冷却水の詰まったタンクなど、基本的なパーツは同じだが、この自動運転車の異質な点はただひとつだった。


それは、ボンネットを開けてすぐの中央に埋め込まれた、手のひらサイズの丸いガラス玉。


滑らかな光沢を持ったそのガラスの表面が、周りに詰め込まれた機械の中に埋もれ、カメラの光を浴びてきらりと光る。


「一見ただのガラス玉に見えるかもしれませんが、これは我が社の技術の粋を結集したAIです。」


高い革靴の足音を響かせながら、スミスは壇上をゆっくりと歩く。


GPS、衛星通信、AI技術と自動車産業の融合。


関係者はもちろん、門外漢のマスコミにも分かりやすいよう、専門分野の説明を軽快な語り口で次々とこなしていく。


展示会が中継されていることを意識してのこともあるが、スミス自身の手腕もあって、本来もっと長い時間を取るべき解説はものの十分程度で終わりを告げた。


「……と、数多の交渉を乗り越え、我々のAI開発はこのように実現を果たしました。説明は以上となりますので、次は……いよいよ実演と行きましょう!」


記者たちの拍手が終わったタイミングで、スミスはそう言い放つ。


未だ左手に握られていたキーの最上部が押し込まれ、再度スミスの真後ろの自動運転車が起動した。


両方のライトから放たれた強い明かりを背に受けながら、彼は両手を大きく広げる。


「ご覧の通り、運転席に人はおりません。いまこのボタンをひとつ押せば、この車は私に向かって発進し、私を跳ね飛ばすでしょう。」


車とスミスとの間に空いた距離は、少なく見積もっておよそ十メートル。


先程のプレゼンで人工知能の精度を信頼している記者たちも、この短い距離で車が止まれるか確信をもてず、壇上の下の前列が明らかにざわめく。


露骨に不安げな顔を見合わせる来場者たちと、対象的な明るい笑顔を浮かべて、スミスは親指でマイクの音量をひとつ上げた。


「何度も実験してきました、”彼”の障害物の検知機能は絶対です。安心して見てもらって大丈夫……さあ行きましょう、発進まで!三!二!一!」


キーが握られ、高く掲げられた左手に会場の視線が一点集中する。


来場者が固唾を飲んで見守る中、カウントダウンが最後まで到達した瞬間、キーの一番上部のボタンが力強く押し込まれた。


瞬間、スミスの真後ろの自動運転車が小さく音を立ててエンジンを鳴らし、タイヤを前へ前へと回転させる。


「……。」


図らずもその静音性を証明するように、ほとど音を立てずに鉛の車体は一瞬で前進していく。


風を切る小さな音。


秒数にして五秒にも満たない時間、壇上でタイヤを滑らせた自動運転車は……あわや衝突寸前というところで、がくんと車体をいきなり停止させた。


スミスとの間の距離、およそ三十センチ。


一瞬頭に浮かんだ「最悪の事態」が起こらなかったという、マスコミや関係者の安堵の気持ちが合わさり、空中に漂っていたひりついた空気がゆっくりと消えていく。


最初は前列が、次いで一瞬遅れて車が止まったことを確認した後列が、吐き出された息とともにその緊張を解いた。


切迫、そして緩和。


張り詰めていた糸がほどけたまさにその瞬間、最大限のパフォーマンスが期待できる一瞬を伺っていたスミスが、満面に笑顔を浮かべ、右手を力強く天に掲げた。


「この車が市場に導入されれば、交通事故は確実に減る!今の光景を見たあなたたちが、その安全性の生き証人だ!」


マイクを通した覇気のある声は、熱を伴って会場中を通過し席巻する。


聴衆の反応が最高になるタイミングで、抜群の存在感を発したスミスに対し、来場者は立ち上がって拍手を送ることを厭わなかった。


送られる賞賛と叫び声に、誰もがその場で笑顔を浮かべる。


舞台裏に佇み、華やかな壇上と、そこに立つスミスを眺める男もそうだった。


「社長、長時間の講演、お疲れ様です。大成功でしたね、例のパフォーマンス。」


ステージとは対象的な薄暗い蛍光灯の下、舞台裏の通路をスミスと男は歩いていた。


壇上をくまなく照らす、スポットライトの熱さにあてられていた中、空調の涼しい風が二人の頬を軽く撫でる。


「ありがとう、リアム。今回のプロジェクトの最終段階は、開発責任者の君にかかっていたからね……素晴らしい手腕だった。」


「いえ、技術者であれば当然のことです。社長の学生時代の研究と、部下にも随分助けられましたから。」


そう呟くのは、若くしてニューロ・テクノ社の総合開発部門のトップを務め、先輩に当たるスミスと同じ大学を卒業したリアム。


廊下を歩く、彼の刈り上げられた黒の短髪は、横に並ぶスミスの金髪と比べても若々しさがまだ抜け切っていない。


普段ならこのまま仲睦まじく世間話をするであろう二人だが、今日に限っては、退屈な通路の中でも言葉数が少なかった。


「どうした、リアム。あまり元気がないように見えるが、体調でも悪いか?」


見かねたスミスが歩調を緩め、心配の色が滲む声でそう話しかける。


「いえ、少し……気がかりなことがあるだけです。」


少し俯きがちに歩いていたスミスは、一瞬明るい笑顔を取り繕おうとしたが、やがて小さく息を吐き、また顔を強ばらせてしまった。


その影の差した表情から、なにか事情があることを察したスミスも、リアムの内心を慮りあえて口を閉ざす。


「……。」


お互いに沈黙を保ったまま、しばらくは廊下に、革靴が打ち付けられる音だけが響いた。


何度も逡巡し、意を決したリアムの唇が開かれたのは、それから少し経ってのことだった。


「……すみません、社長。でも、どうしても気になってしまって。今回のプレゼン、なぜあんな嘘をついたんです?」


いつにない真剣な口ぶりのリアムは、その言葉とともに、真っ直ぐにスミスの青い双眸を見据えていた。


その声が狭い通路で反響すると、規則正しく床を叩いていた、革靴の高い足音が止まる。


予想はしていたよ、とスミスが小さく口にした。


「やはり君は勘づいていたか。さすがは開発部門のトップだな……その口ぶりからすると、あの車体の不自然な点にも、もう気づいているんだろう?」


「はい。エンジンルームに組み込まれていた球体の人工知能……あれは、本当はただのガラス玉ですよね?」


エンジンルームの中央、最先端のAIと謳われ組み込まれた精密機器。


プレゼンで堂々と公衆の面前に晒されたそれに、思考能力や伝達能力がないことは、図面や製造工程を監督していたリアムは早期に気づいていた。


だからこそ。


スミスほどの優れた技術者であり、ニューロ・テクノ社の要とも言える男が、なぜそのような無意味な偽装をしたのか理由を知りたかった。


リアムは乾いた唇を舌で潤し、またゆっくりと口を開く。


「しかし、実験を見たところ、あの車そのものにはAIが組み込まれていると判断せざるをえないんです。」


先程のパフォーマンスでも証明された、自動運転車の障害物識別の能力。


そして幾度となく行われた実験で魅せた、事故を回避する判断能力や、車間距離の調整の技術。


人工知能の助けがない状態で、マスコミを含め会場中を魅了したあのパフォーマンスが実現できるとは、リアムは到底考えられなかった。


とすれば。


見掛け倒しのガラス玉などではない、「本物の」人工知能が、あの車体のどこかに隠されていることになる。


それも、既存の人工知能ではなし得なかった、高度な学習や判断を実現させる夢の産物が。


「……概ね、君のその推測は当たっているよ、リアム。少しだけ考える時間をくれるか。」


語られた推測に耳を傾けていたスミスは、話が終わるとそう呟き、しばらく殺風景な天井を見上げ、なにかを考える様子だった。


彼の思考は常に、会社と世間にとって最適な答えを導き出す。


そして優秀な人間は結論を出すのを迷わない、ということを、誰よりも近くでスミスを観察していたリアムはよく知っていた。


「……五分後に駐車場に来てくれ。従業員用ではなく、地下の方にな。」


既に通路を歩き出していたスミスは、背後を振り返らずにそう呟いた。


一度も入ったことのない、社長用の地下の駐車場。


副社長や、開発部の全権を握るリアムが一度も入ったことがないそれは、言うなればニューロ・テクノ社のブラックボックスだった。


地下駐車場への連絡に使うのは、社員用のエレベーターではなく、フロントの裏に設置された小さな業務用通路の扉。


到底自動運転車の秘密とは繋がりのなさそうな、無愛想なアルミの扉を押し開き、リアムは薄暗い照明の照らす地下階段を一歩ずつ下っていく。


展示会の通路と同じく、どこか閉塞感を感じる重苦しさ。


徐々に薄くなる照明の下、階段の最後の一段を降りきったリアムの前にあるのは、また何の変哲もないガラス張りの扉だった。


「……失礼します、社長。」


冷たい金属のドアノブを回し、中へ。


まるでパンドラの箱を開封するような緊張感を持って部屋に入ったリアムだったが、実際に足を踏み入れてみると、目の前に広がるのはあまりにも一般的な光景。


なんの変哲もない、よくある地下駐車場は、立ちすくむリアムを内心拍子抜けさせていた。


部屋の奥には、車を地上まで送るための巨大なエレベーターに、それを操作するレバー装置が取り付けられ、どこをどう取ってもおかしな点は見当たらない。


飾り気のないコンクリートの壁に囲まれて、スミスは中央に置かれた自動運転車の前に立っていた。


数分前に別れたときの姿と、上から下まで何も変わっていない。


「よく来てくれた。今から君に見せるのは、いわばこの車の脳味噌……ここで見た事を口外することは許されないし、あらゆる手段で他人に伝えてもダメだ。それが守れるか?」


特段表情の読み取れない顔で、スミスは目の前の車体をなぞるように触りながら呟く。


ここまで隠されてきたものの答えを知れると思うと、ほんの少し怖気付く気持ちもあったが、ここまできて答えはひとつしかなかった。


「……はい。どんな物を見ても誰にも伝えないとを、ここで誓います。」


にわかな緊張で渇いた喉から、そう言葉を絞り出すと、それを聞いたスミスはにこりと小さな微笑みを作った。


「そう言うと思っていたよ。せっかくだから私の横に来て、できるだけ近くで見ておきなさい。」


「は、はい。」


床に落ちていた工具を踏まないように跨ぎ、急いで目の前の自動運転車の元へ向かう。


風の抵抗を極力減らすことを目的とし、流線型で滑らかな車体。


数年かけて作り上げた、ニューロ・テクノ社の技術の結晶を操作するキーが押されると、音もなく車体の前方に備わるエンジンルームが開帳された。


まず目に入るのは、今や無用の長物と知りながらも一際目立つ、タンクや制御装置に囲まれたて光り輝くガラス玉。


スミスは傷一つないその球を片手で鷲掴みにし、それを機械音とともにドアノブを捻るかのように右左に回転させたあと、視線を外さずにおもむろに言った。


「……よく目に焼き付けてくれ。このガラス玉の下に、私が秘密裏に開発した人工知能が隠されているんだ。」


横に立つスミスの言葉に、思わず汗をかいた手のひらをぐっと握りしめる。


技術者としての好奇心と、見てはいけない物を覗こうとしているような背徳感で、徐々に身体を熱が駆け巡り興奮しているのが自分でもよく分かった。


薄らと血管の浮いたスミスの右手がガラス玉をしっかりと掴み、そして、それを持ち上げるようにしてゆっくりと浮かび上がらせていく。


直後。


ガラス玉の下に、なにか巨大な空間が空いていることに気がついた。


まず目に入ったのは、エンジンルームに詰まった機械をかき分けるようにして作られた、内部に置かれた大きな水槽だった。


水槽は透明な組織液のような物質でたっぷりと満たされ、走行中の衝撃を減らすためか、どうやら液体にはある程度の粘性があるようにみえる。


この位置からでは、まだ水槽の全容を窺い知ることはできなかった。


もっとその詳細を目に焼きつけようと、そのまま前へと身を乗り出し、エンジンルームの中身を首を伸ばして覗き込む。


水槽の中にはなにかがある。


不安定な姿勢で、揺れる視界の端に映ったのは、透明な液中に浸されたピンク。


組織液の海の中、中央で揺蕩うそれは、だいたい握りこぶし二つ分くらいの大きさだろうか。


表面にはなにかヒビのような、はたまた皺のような亀裂が無数に走り、深いものから薄いものまでさまざま。


特大の、それも薄いピンク色のクルミ、という荒唐無稽なイメージが一瞬頭に浮かぶ。


知りたい。


これがなにか。


純粋な好奇心は身体を勝手に突き動かし、気づけばはっきりとその水槽を視界に入れようとしていた。


スミスが位置を譲ってくれたことで、一部しか見えていなかった、水槽の中の秘密が正面から目に入る。


そのピンク色の物体がなにか、自分の脳が認識したとき、これまでの全てが繋がった気がした。


「…………っ!!!!!」


目から入った情報の衝撃に思わず、頭を仰け反らせるようにして目線を離す。


今まで平静を保っていた身体中の皮膚が、悲鳴をあげるように一斉に発汗していた。


この車の人工知能が持つ、強い状況判断の能力に、高い学習能力。


並の生物顔負けにデータを大量に学習し、処理し、それを独自に解釈して発展させ、応用までひとつの機械でこなす。


なぜこの車がそこまで高度な知能を持っているのか。


そしてスミスがこれをここまで隠し通していた理由。


「……人間の、脳。」


視界にはもうそれが存在しないにも関わらず、脳裏にその画像と記憶がしがみついて離れない。


大学時代の研究で何度か目にしたサンプル、そして今これを考えている自分の頭部に詰まった生命の根幹。


水槽の中には、紛うことなき人間の脳味噌が浮かんでいた。


「私は、自然界でもっとも優れた脳を持つのは人間だと考えている。機械では実現できないことも、優れた生物の脳があれば……現実にできる。」


「……な、なにを言って……こんなの、生命倫理上に許されるわけがないっ!」


声も身体も震えているのが手に取るように分かったが、それでも精一杯の声量でそう叫んだ。


なんでもないように説明する、そのスミスの顔には、申し訳なさも怒りの表情も浮かんでいない。


普段なら気にならないそれも、この状況の自分にとっては、怒りと混乱を加速させる燃料でしかなかった。


「人間の脳を使った自動運転車……そんなの量産できるわけがないない!それ以前にっ、これがただの犯罪行為だという自覚は無いんですか!」


「ああ、その点は安心してくれ。これはただの試作品だから。ヒトの脳を使った自動運転車は、世界にこの一台しかないよ。」


「……だとしてもっ、そもそも!この脳は一体誰のもので、どうやって手に入れた!そう簡単には入手できないはずだぞ。」


脳死患者のものを摘出したのか、はたまた誘拐や犯罪が絡む入手経路か。


どちらにせよ、自分の脳を自ら差し出すような狂った神経の持ち主がいない限り、この脳はその持ち主の意思に反して自動車に利用されていることになる。


自動運転車のために、脳を奪われるような不幸な人間を生み出してはならない。


至極当たり前の疑問を正面からぶつけると、スミスは、そこで初めて気まずそうな表情を浮かべて、頭を軽く擦った。


大きな青色の両眼が、こちらを真っ直ぐに見つめる。


「……これが誰の脳かって?」


「そうだ、どこの誰から奪ったっ!」


「この脳は、スミス・クライムのものだよ。」


目の前のスミスは、ひどく平坦な口調でそう言った。


は、と、声にならない息のようなものが口から思わず漏れる。


情報を受け入れる脳のキャパはとうの昔に限界を迎えていたが、これをきっかけに完全にオーバーヒートしてしまった。


なにか言おうとしても、言葉が出てこない。


「まあ驚くのも当然だ、まずは軽く経緯を説明しようか。」


スミスはこちらの狼狽ぶりを見て、ほんの少し申し訳なさそうな顔をしたあと、横の自動運転車を眺めながら説明を始めた。


「この水槽に入ってるのは、正真正銘スミス・クライムの脳味噌だよ……これを実現まで持ち込むのはかなり苦労したがね。」


「……ど、どういう……。」


「君の言う通り、スミスは……いや、私は、他人の脳を自動運転車の犠牲にすることなどできなかった。だからこの、脳と車を接続する水槽を作り、彼はここに闇医者を呼んだ。」


闇医者の名前は劉というらしい。


どうせ偽名だろうが、とスミスは口の端に笑みを浮かべて呟き、その男が地下駐車場にやって来た日のことを語り出した。


「スミスの脳は劉によって摘出され、生命を保ったまま水槽に入れられた。水槽の中の液体が必要な栄養を供給するから、食事の心配もない。」


「……い、いや、俺が知りたいのはそこじゃないっ!今の話が本当だとしたら、俺の目の前に立ってるあんたは……一体誰なんだ?」


全ての話を信じるとすれば、スミスの脳は数ヶ月前に摘出されているはずだが、目の前に立つ「スミス」はとても偽物のようにはみえない。


ここ数年は、自動運転車の開発のため、一日の多くをスミスと共に過ごしていたから、いくら他人の空似がいるとしても、入れ替わりは絶対に不可能だと断言できる。


青い双眸に、糊の効いた黒のスーツ、いつも同じ磨かれた革靴。


声音からなにから真似られる怪物ではないとしたら、目の前に立つ男は誰なのだろうか。


"スミス"は、こちらから目線を外さなかった。


「私が誰かと言われれば……今の私は、厳密にいえば人工知能だよ。」


「……なんだって?」


「この頭の中に入っているのは、スミス・クライムの思考や行動を学習させた人工知能だ。劉は、脳を摘出したあと、事前に開発された私……AIを、残された身体に入れたというわけだ。」


ゆったりとした語り口でそう言い切ると、スミスは天井に向けて小さくため息をついた。


にわかには信じられない話の連続。


今、目の前の人間の頭の中身が、人工知能と置き変わってるなどと大声で叫びでもしたら、きっと狂ったと思われるのは自分の方だろう。


だが、スミスの思考や行動を学習させたAIが実在するなら、今までの話にも全て説明がつく。


脳がない状態でも周りに気づかれることなく動ける上、本人の記憶を学習させられているとしたら、本来人工知能には難しい「思い出話」まで自由自在だ。


どこから人工知能と入れ替わっていたのか分からないが、少なくとも目の前にいるのは、スミスではあってスミスではないなにか。


いわばスミス本人によって作り出された、クローンかほぼ同一のコピーといったところだろうか。


「ショックなのは分かるよ。だが、これも一種の自動運転と考えれば、少し腑に落ちるんじゃないか?」


「……なんだって?」


「自動運転車は、AIという脳が、車という身体を動かしてるわけだ。今の私も、人工知能という名の脳がこの身体を操作している……広義の自動運転だよ。」


なんでもないかのように言うスミスの顔に、先程の水槽の脳味噌が重なってチラつく。


脳の代わりに人工知能が身体を操るなど、それは自動運転でもなんでもなく、ただの生命への冒涜だ。


そう脳内で逡巡を繰り返ししていると、その思考が顔にも現れていたのか、こちらの表情をちらりと見たスミスが思わず苦笑する。


「そう心配するな……それを言えば、君の脳だって人工知能かもしれないんだぞ?それを否定できる証拠なんてないだろう。」


「……妄言だ。俺には今までの人生の記憶があるし、現にこうやって仕事も続けられてる。」


「それは私も同じだよ、リアム。十五年前、家族で遊園地に行ったことも、二年前君の誕生日を祝ったことも、全部頭の中に鮮明な記憶として存在するんだ。今、君の頭の中にある記憶が、誰かによって学習させられたものじゃないと断言できるかい?」


耳に届いた言葉に、脅しや嘘の雰囲気は感じられない。


これまでの記憶は鮮明だ。


去年、家族三人とともにと盛大に祝った誕生日、学生時代初めてできた彼女とのデート、輝かしい研究やいつかの思い出。


昨日食べた朝食のバナナの味も、先週のツーリングで感じた潮風と海の匂いも。


脳内で瞬いては消えていく記憶の数々。


だが、それらが本物かどうかは、自分の頭を開くことでしか確認できない。


自らの頭皮に銀のメスを入れ、頭蓋を覆う皮膚を切り開き、その中に収まっていたのが機械の塊だったら。


恐らく、自分はそのショックに耐えられない。


駐車場を出て、数日悩み続けたあと、リアム・カーネルは、頭のレントゲンを撮りに行くことに決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吐瀉物・イン・ザ・ハウス 灰クマ @5373337

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ