名探偵のアシスタント〜探偵・地井玲香【実験作2】

カイ.智水

名探偵のアシスタント

 今日は朝から気温が高い。二十五度以上の熱帯夜が1か月を超えて続いている。日が昇ると陽光が容赦なく照らして街は否応なしに三十五度を超え、コンクリート・ジャングルはもはやひでり続きの砂漠と化していた。


 呼吸を続けると乾いた風に喉がカラカラになってしまう。この前、雨が降ったのはいつだろうか。

 台風が接近していた二週間前の一日二日くらいではなかろうか。そのときは集中豪雨、山間部では線状降水帯が湧き、土砂崩れや越水などの災害がいたるところで発生した。


 そんな環境から隔絶された、東京都内三十三階建てビルの七階のワンフロアに巨大な量子型スーパーコンピュータが据え付けられている。

 入り口のカメラに所員のICチップ入りのネームプレートをかざすと脇にある小さなモニターに「金森蓮夜」と表示された。そして手のひらの静脈認証装置に手を置くと一瞬光って「OK」の音声が流れ、扉のロックがガチャリと解除される。


 ドアが自動で重々しく開き、さっそく部屋へ入るとエアコンの効いた快適な温度にほっと息をついた。自然と汗が引いていく。


 スーパーコンピュータの手前に端末となるデスクトップPCが、ディスプレイとキーボード、マウスそしてマイクとスピーカーに囲まれて設置されている。上の棚には各種ケーブルが雑然と押し込まれていて、隣には大型ディスプレイが立てかけられていた。


 マイクのスイッチを入れると声を吹き込んでいく。

「ウェンディー。ピーターにアクセスして最新の気象情報を取得してください」

〔かしこまりました。ログインIDはWENDY、コンピュータ識別番号でパスワード解除、ピーターにリクエスト、最新の気象情報をダウンロード致します〕


 端末専用の超高速光回線でスーパーコンピュータ同士を通信させているのだが、気象情報は扱うデータ量が膨大なため、完了までに五分ほど時間がかかる。


 机から立ち上がって背中側の壁に設置されている流し台の隣に置かれているウォーターサーバーのボタンのひとつを押すとお湯がドリップマシンへ送られ、ピピッという電子音が流れてとぽとぽとカップにコーヒーが注がれていった。


 駅で買ってきた新聞紙を広げて、最新の事件に目を走らせる。

「イベント会社経営者・五代朋之氏(50)が遺体で発見された。背後関係は判然としない、か。これは所長にお呼びがかかるかな」


 すると入り口とは別の扉から、ローズレッドのタイトスーツを着た若い女性が姿を現した。と同時に大型ディスプレイに「取得完了」の文字とブザーが鳴る。


「金森さんおはようございます。駅売りの新聞を見せてもらいますわね」


 同じくローズレッドのショルダーバックを机の上に置くと、この探偵事務所の所長である地井玲香さんが新聞を一部とり、さっと広げて目を通していく。それも恐ろしいまでの素早さで隅々まで目を走らせる。


「金森さん、この五代朋之氏の事件に関するデータを取得してください。彼の身辺情報や行動履歴などが追えると助かります。あと、容疑がかけられそうな人物のあたりもつけてください」


 これが地井探偵事務所のごく平凡な一日の始まりだ。

 警視庁捜査一課の元エースだった地井玲香が、父親の遺産を受け継ぐために退職して開いた探偵事務所である。警察在職中からの知り合いである土岡俊雄刑事から依頼を受けて秘密裏に捜査の一部を担っていた。


 報酬は大臣官房から成果に応じて報奨金という形で受け取っている。

 そのほとんどは金森の給料とスーパーコンピュータの維持費にまわっているのだが、所長は莫大な遺産を受け継いだだけあって、直接は報酬を受け取っていない。

 職業探偵が事件の推理をしているわけではなく、ボランティアでやっているていを装うためでもある。


 と、そんなことを考えている暇はなかった。マイクのスイッチを押した。

「ウェンディー、今日の新聞各紙で報じられているイベント会社経営の五代朋之氏の事件に関する情報を集められるだけ集めてください。遺体の発見状況、犯行の痕跡、第一発見者の供述、それに容疑がかけられそうな人物をリストアップしてください」

〔了解しました、金森さん。しばらくお待ちくださいませ〕


 世界最速を誇る量子コンピュータの試作版『WENDY』を超高速ネットワークに接続させているため、インターネットに掲載されている情報は数分で余すところなく収集できる。

 そして十秒も経たぬうちに、大型ディスプレイに五代朋之氏の顔写真とプロフィールが表示された。そのバックグラウンドでさらなる情報を集めてくる。


「所長、五代朋之氏の情報が表示されました。ご確認ください」


 所長はすでに二部目の新聞に目を走らせていたところで、新聞を閉じて大型ディスプレイに視線を転じた。


「イベント会社経営で、大手広告代理店との間に黒い噂があった。ということはその黒いお金が原因である可能性も考えられますわね。金森さん、警察の広報はなんと公表していますか」


 机の端末でマウスを操り、警察のWebページから広報資料をチェックする。きちんとデータがリンクされていることを確認して大型ディスプレイで資料を開いた。

「これが警察の広報ページです」


 大型ディスプレイに映し出された情報にざっと目を通すと、所長はローズレッドのショルダーバッグから真っ赤なスマートフォンを取り出す。

 二、三タッチパネルを押してすぐに耳に当てている。


「あ、土岡さん、地井です。五代朋之氏の件についてですけど、警察の見解では他殺だそうですね。犯人の目星はついているのでしょうか」

 どうやら土岡刑事へ連絡を入れているらしい。この事件の捜査を引き受けたいのだろうか。

「はい、かしこまりました。それでは捜査状況次第でいつでもご連絡くださいませ。こちらでもウェンディーを使って情報を収集しておきます。それでは失礼致します」


 所長はスマートフォンを耳から離して通話を切ると、大型ディスプレイを再び眺めている。

 そして気になるキーワードを見つけると、逐次金森にデータの掲示を要求してくる。都度資料を大型ディスプレイに表示させる。

 経営していたイベント会社の取引状況、財務状況に見入っていると、ふと言葉が漏れる。


「これは探り甲斐がある事件ね」

 どうやら所長はこの事件を引き受ける気満々のようだ。


 いったいどんな真相が待ち受けているのか。金森にはさっぱりわからない。捜査をしたことがないので知りようもないのだ。だが、所長はすでに犯人の目星をつけているのだろうか。


〔金森さん、警視庁サーバーから捜査資料の共有がリクエストされています。許可致しますか〕


 おっと、警察も所長に頼むつもりでいるらしい。ということは難事件は確定というところか。


「所長、警視庁とデータを共有しますか」

「お願いしますわ、金森さん」


 その言葉を聞いて、マイクのスイッチを押す。


「ウェンディー、共有を許可します。ただちにデータのリンクをお願いします」


〔かしこまりました。リクエストを許可します。通信規格を警視庁サーバーに準拠します。送受信を開始します〕


 金森はこれが難事件の入り口になるとは、露ほども思わなかった。





 ─了─




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