一番槍

「『赤短』は駄目でも、『六短』はいけると思ったのに。『草』になっちまった」

 平吉の手元に並ぶ、赤の短冊札。『松』『梅』の赤短冊二枚で、『桜』の赤短冊が得られれば配点の高い『赤短』の役が揃ったのに。残りの短冊札は『藤』『萩』『菖蒲』の赤短冊が三枚で、出来上がった役は配点の低い『草』のみ二十点。短冊札五枚で『六短』には足りず、残りの札も役にはならなかった。

「まあしょうがねえ」

 平吉は頓着する様子もなく、酒を煽った。懐に余裕があるのだろう。そもそもこの場は、寅治に付き合ってやっている程度にしか思っていないのかもしれない。

「『表菅原』と『桐島』で、五十点だ」

 寅治の手元には、『松に鶴』『梅に鶯』『桜に幕』の札からなる『表菅原』の三十点が。加えて、『桐』の札四枚で出来る『桐島』二十点が並んでいた。

 八神の札に視線が集まる。

『芒に月』と『菊に盃』。『柳』が四枚。

「『月見で一杯』、『雨島』だ」

「八神さん四十点……」

 八神は静かに息を吐く。

「おじさん、負けちゃったの?」

 目の前の絵札が勝敗のある遊戯であることは理解したらしいイサナが、そう口にして。

「っしゃあ!」

 勝利を実感した寅治は拳を握り、声を上げた。

「あれ。八神は六十点じゃないか?」

「は?」

 喜んだも束の間、寅治は畳に伏すような近さで並んだ札を確認する。

「『月見で一杯』が二十点、『雨島』で二十点だろ?」


「『雨島』は四十点だ。『竜』がいる」

 平吉は『柳』の一番右端にある札を、指先で叩いた。

 朱の地に黒い影を落としたような札。うっすら柳と、稲光と竜の爪のような柄が書き込まれているそれ。

「『竜』って、これは『柳』のカス札だろ?」

「いんや、竜追いの間じゃこれを『竜』って呼んでる。で、『雨島』の配点も他所の決まりよりも高くて、倍になる」

「竜追い独自の遊び方ってこと? そんなの聞いてない!」

 立ち上がって抗議する寅治に気づいた他の座から、声が上がる。

「花札ってのは土地によっても随分札が違うし、役も違うんだぞ。知らん方が悪い」

「賭場によっちゃお前、そんなこと言ってる方が簀巻きにされるからなあ」

 寅治は力が抜けたように座り込んだ。座の三人、役以外の札も加えて、改めて得点を数え直す。

「ほんとはおじさんの勝ち?」

 イサナが期待を込めて問うとおり、もっとも取り分が多いのは八神であった。

「仕込んでもらっちゃねえよ、竜追いの花札なんてさあ……」

「チビ助だった頃のお前を飼ってた破落戸共は、そんなことまで知らなんだろ。半助はお前に花札教えなかったし」

 平吉は頭を抱える寅治の背を叩く。

「まあ、『鳳凰』より『竜』のが強いってこったなあ」

『桐』唯一の光札、『桐に鳳凰』の札を指して平吉は言った。


「さ、これで仕舞いだ。お前はもう休め」

「まだ一勝負しかしてない! 八神さんが勝ったけど、俺だって負けてねえし!」

 得点分を銭で差し引きして、寅治の前にも幾ばくか金が積まれる。

「だから一勝負で済むうちに降りろって言ってんだ。大負けしてからじゃ、なかなか取り返せねえんだぞ」

「だから、おやっさんが取り返してねえ分があるって……」

 その時、部屋の奥から声が上がった。悲痛さの滲む声と、囃し立てるような掛け声と、飛ぶ野次と。

「俺、次の狩りから一番槍いきます!」

 半ば自棄糞に放たれた言葉は、奥の座から。声の主は先刻の寅治のように頭を抱えた。

「だってもうそれしかねえじゃんかよちきしょおおお」

「おーおーおー、せいぜい働いてくれや」

「お前が死んだ後のことは任せておけ。お前のカミさんは、俺が慰めてやるから」

「あのカミさんが、こいつが死んだところで泣き暮らすタマかよ!」

「人の女房なんだと思ってんだお前ら! 俺が死んで取るもん取ったら、残りはちゃんと女房にくれてやれよ!」

「残るかねえ、これだけ大負して」

 自業自得だ、とすげない言葉に笑いが起こる。


「……俺も一番槍で出る」

 沸き立つ周囲とは裏腹、据わった目付きで寅治は言った。

「馬鹿いってんじゃねえや青二才が」

 平吉が呆れたように言い捨てる。

「いちばんやり?」

 八神の膝の上で、イサナが首を傾げた。

「なあに、それ」

 一番槍はその言葉どおり、狩りの時先鋒に立って竜に切り込む役割を担う。

 いの一番に竜を激怒させ、真っ先にまだ力も命も有り余っている竜の標的になる立場だ。言葉のまま一番手にならなくても、積極的により危険な役割を振られる竜追いを、一番槍と言った。

「……狩りのお話は嫌い」

 大まかに話を聞いたイサナは、体の向きを変えて八神の胸に顔を伏せるようにすると、耳を塞いでしまった。

 八神としても、イサナはこれ以上のことを知らなくていいと思う。

 竜追いには独特の慣わしがあった。

 竜追いが狩りの最中に死ぬと、共に狩りを行った仲間は金を出し合う。それは帰ることのできなくなった者の代わりに、見舞金として家族のもとに届けられるのが慣習であった。

 博打で負けが立て込み借金を返す見込みが無くなった竜追いは、一番槍を宣言する。

 彼らは率先して、もっとも死線に近い場に自ら赴くのだった。

 何も本心から望んで死に向かうわけでもないだろうが、落命すれば見舞金になるはずだった分から借金を精算する。それでもなお金が残れば、本来の目的通り遺された家族のものとなるが、もともとが多くはない額であるため残っても雀の涙もいいところ。言うなれば、死地に向かわせることで落とし前をつけさせるというやり方なのだった。


「おやっさんも俺も、身内なんていやしねえんだ。まるっと全額、賭け分にあてられる」

「鼻から死ぬ気でものを言うんじゃねえよ」

「なんでだよ。賭場での一番槍宣言は、そういう仕組みでしょうが」

 平吉に食ってかかる寅治は、興奮に目元を赤くして声を上げた。

「竜追いってのはそういうもんでしょうよ。俺はおやっさんにおりしてもらうためについて回ってたわけでも、タダ飯食わしてもらってたわけでもねえんだよ。死ぬ覚悟ひとつなくして、竜追いの弟子なんてやってたわけないだろ」

 死を恐れて竜追いなどやっていられない。

 それはその通りだと、八神も身に染みて知っている。

 けれど。

「俺の命くらい、いくらでも賭けてやれんだ!」

「てめえが死んだところで、大した価値もねえんだよ!」

 平吉の怒鳴り声に、しんと場が静まった。八神の腕の中のイサナが、びくりと震える。

「お前みたいな未熟な竜追い見習い一人死んだところで、元なんてとれやしねえ。思い上がるのも大概にしろよ。お前はまだ何一つ、見舞金を積まれるほどの働きなんざしてねえんだから」

 わけえ奴は気が早くていけねえや。

 枯れた声が、どこかの座からぽつりと聞こえてきた。

 死を恐れすぎても、命を軽んじすぎても、竜追いは永らえない。

「寅治よ。お前にはまだまだ生きて働いてもらわにゃ、半助だって浮かばれねえさ。そのために育ててきたんだからよ」

「今だって、きっと浮かばれてねえですよ」

 震える声で、寅治は反した。

「竜追いであることを誇ってた人が、病なんざで死ぬなんて。そんなの、あんまりでしょうが……」

 唇を嚙みしめて、こみ上げるものを堪えている子どもの姿。

 どんな死に方なら悔いが残らなかったかなんて、真実わかりはしないが。

 己にしがみつく幼子に、八神の胸に今までにない思いが渦巻く。


「……悪いが、俺はここで抜けさせてもらう。イサナがもう眠そうだ。宿に帰る」

 黙り込んでしまった寅治の様子に切りをつけて、八神は立ち上がった。騒ぎに身を固くしたイサナが眠そうにしているかはわからなかったが、そろそろ休ませてやりたかった。

「なんだよ、つまんねえな。ま、ガキは寝る時間か。ほら、お前もだ寅治。お前ももう寝ろ」

 寅治に追い払うように手を振って、平吉は別の座へ移っていった。黙したまま寅治は廊下に出て、八神もそのあとに続く。

 賭場になった部屋を出た寅治は、その隣部屋の障子に手を掛けた。続きの間にもう一部屋を借りているようだが、人で埋まった二間を抜けていくより、一度廊下に出たほうが早いと判断したのだろう。

「これは寝られそうにないな」

 寅治が退室して再び盛り上がっている部屋の騒々しさに、八神は言った。

「これだけ騒がしかったら、寝てる間にあの世に逝っちまうってことだけはなさそうですから」

 そう言い残し去って行く、まだ小さな背中。

 傍らのイサナが寄りかかって来る。本当に眠くなってきたようで、体はぽかぽかと温かかった。

 先ほど胸に去来した思いが、再度よぎる。

 半助。一番槍を買って出た者。

 雷太の父親で、鶴乃の夫も。禄一も。

 己の、父も。

 それを思ったら続けられなくなると、そう考えて独りでいたわけでもないが。

(遺していくことが、怖くはなかったのだろうか)

 もたれかかる小さな頭。

 重なって見えたのは、この子どもをいつも背中にかばっていた、イサナにとって唯一人の存在。

 大きな額が動いたのか、障子の向こうがどっと沸き上がる。

 何を賭けて、何を守るつもりで札を切るのか。

 寄り添う小さな体は重くのしかかり、けれど確かに温かかった。









 

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