花札

「さあて、用事は済んだな。そんじゃあ八神、ひとつ打っていこうか」

 湿った空気にも関せず、平吉は強引に八神と肩を組んだ。体勢を崩して、寄り添っていたイサナがたたらを踏む。

「だから、こっちは子連れだって」

「ん? ああ、そうだな。じゃあ寅治、その八神の後ろにひっついてるの、子守りしといてやりな。ガキ同士、仲良くやるんだぞ」

「は?」

 八神と寅治、同時に声を上げる。

「ちょっと、勝手なこと言わんで下さいよ。俺の知ったこっちゃないですよそんなん」

 八神にしがみついたイサナも、ぶんぶんと頭を振る。

「大体、今度博打を打つ時は、俺も混ぜてくれって言ったでしょうよ!」

 その言葉に、八神はイサナの頭を撫でていた手を止めて顔を上げる。

「まーたそんな事言いやがって。まだてめえの食い扶持稼げるほどの腕もないガキが、賭ける金もねえだろうが」

「でもおやっさん、負けたままおっんだでしょう。しかも病なんかで。せめて俺がおやっさんが負けた分、取り返さないと」

「死んだ奴からなんか、取り立てやしねえよ。本当は毟り取ってやりたいところだが。質に女房子ども入れてでも打つやつは打つが、半助にゃ身内もおらんし」

「だから俺が」

「思いつめる奴は死ぬぞ」

 熱くなった場に、冷水を浴びせるように静かに。

 八神の言うことに、寅治はいったん言葉を飲み込んだ。

「師匠孝行も結構だが、死人だの過去だのを背負いすぎる奴は死にやすい」

「……死ぬ覚悟くらいできてますよ。『一番槍』だってやったらあ」

 頑として譲る気のない瞳。

 口では何とでも言えると返しても良かったが。

 いざその状況に飛び込むことになったら否応なしに死ぬ率が上がり、実際は生半可だったとしてもその覚悟が証明されてしまうのが竜追いだ。口だけでは済まないことを承知のうえで粋がっているなら、なおのこと性質が悪い。

 そしてそういう生き方と死に様を見せつけているのが、他ならぬ自分たちなのだから一層救いようがなかった。

「……これは一回でも付き合ってやんなきゃ、おさまらねえかな」

 面倒なこった、と平吉はため息を吐いた。

「あのなあ、俺らは半助が死ぬ前に、お前の後のことを頼まれてんの。賭けの借金込みでじゃねえぞ。死んでもいいだなんて、お前は俺らを薄情モンにしたいかね?」

「寝ながら死んでった人に、情けなんてかけられる筋合いねえです」

「だったら借金ごと死人を無視してくれや……」

 鼻を鳴らして、寅治は廊下の先にある賑わう部屋を目指す。

 帰ろうと思っていたのに。

 なんとなく放っておき難くて、八神は黙って後に続いた。




 部屋の障子を開けた途端、背後のイサナは八神に思い切りしがみついた。

 宿部屋の喧騒は、狩りの荒々しさと興奮もかくやという熱気であった。それどころか統制も協力もなく、ただ各々が己の取り分のためだけに争っているのだから。賭場と化した八畳二間は、竜を追うどころではない荒れっぷりである。

「あっ、なんだこいつ札一枚隠し持ってやがったこの野郎!」

「馬っ鹿、てめえが見逃してただけだわ!」 

「……やっぱり帰るか」

 かつてよく見た光景に懐かしさを覚えつつも、あまりイサナを長居させておきたくない場所だ。

「おお、なんだあ? 珍しい奴がいるじゃねえかよ」

「寅治も、いっちょ前に混ざりに来たのか」

 まあ座れと、入り口近くの座に加わるように促される。だが一つの座は三人で組まれており、結局は八神と寅治、平吉の三人で輪を囲む。

「花札か」

 座の真ん中に積まれた小さな札を、平吉が手に収める。

「親は俺でいいかね?」

「平吉に任せる」

 八神の言葉に、寅治もうなずいた。

 放るように配られた手札は七枚。六枚が場札として真ん中に並び、残りは山になって伏せられた。

 子どもの手のひらほどに小さい札を手に持つと、イサナが前に回って覗き込んできた。

「綺麗」

 色刷りの、花鳥が描かれた札。イサナは今までに見たことがないであろうそれを、興味深そうに見つめていた。

「大人しく座ってろ」

「ん」

 短く返事をすると、イサナは札の絵柄を真正面で眺められる位置――八神の膝の上に座した。八神の胸に背を預けるようにちょんと収まった幼子の姿に、和むようなからかうような笑いが起きる。

「そうかそうかあ、父ちゃんの膝の上が良いやなあ」

「しばらくうちの坊主にも会ってねえなあ。たまにゃあ帰ってやらんと」

「お前、負けが立て込んだまま帰ったら、嫁さんにしばかれるぞ!」

 荒っぽいばかりのやり取りに、家族を懐かしむ声が混じる。その家族を養うための稼ぎを賭け代やら飲み代に溶かすしょうもなさも、それで得られる活力も人心地も、笑いになって場を包んだ。

「重い。降りろ」

「ここ、竜追いの人いっぱいいるから、まだちょっと怖い」

 うるさいし、とイサナは身を竦めた。そう言われると、結局イサナを連れて博打の誘いについてきてしまった手前、無下にもできない。

「……大人しくしてること、札には触らないこと」

 イサナは満足そうに息を吐いて、八神が手にした札を眺めた。


 月があって、菊が咲く。菊も桜も咲けどもカス札で、猪はいるが鹿も蝶も並ばず。柳の短冊に、松と桐のカスが一枚ずつ。

「これ……」

「札の中身、声に出すなよ」

 絵札を指していた細い指先が、ひゅっと引っ込む。

 平吉は平然と、寅治は難しい顔をしながら札を睨んでいた。

 各々順に、手札と揃いになる花の場札を獲得するか置くかして、山札もめくり、同じようにする。

 親の平吉が、手早く札を獲っては己の手元に並べた。

 八神は手札の『菊』とともに、場にある『菊に盃』の札を獲る。『桐』とともに山から札を引くが、出たのは『藤』だったので場に置いて場札に加えた。

 次の寅治は、ひたすらに険しい顔付きで手札と場札を見比べる。

「寅治」

 最初の手番からして、長考し始めた寅治を促す。

 寅治は手札の『桜』と、場札の『桜に幕』を合わせて獲った。『すすき』のカス札と共に山札をめくるも、出たのは『梅』で場札となる。狙いが外れたのか、寅治は小さく舌打ちした。

 周囲の騒ぎにも関わらず、八神たちの座はいやに静かで張りつめていた。八神は元々飲むも打つも黙りがちであったが、平吉もいつもより大人しい。

 賭場では、場の空気に飲まれた者が手元を狂わせる。

 師の負債を背負った寅治は酷く気負ってしまっているのだろう、場の空気に完全に飲まれている。その若造の緊張にいい大人二人が引っ張られているようで、なんとも妙な心地であった。

 早くも飽きてきた様子のイサナが体を揺らし始めたが、各々の手札も山札も残りわずか。

 最後に手番が回ってきた寅治が、『桐』の手札を場に出す。最初に八神が場札に加えた『桐』の札を寅治が獲得して、花合わせは終了となった。









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