まほろば水族館

神崎あきら

第1話

 海沿いの廃校を探検しよう。

 海で泳ぐか森で蝉を捕まえる、そんな夏休みの日課に飽きた親友のみなとからの提案だった。小学校最後の夏休みに思い出を作るもの悪くない、航平こうへいは話に乗った。


 鯨浜町は半島の先っぽにある寂れた漁師町だ。本当に小さな町で、町の人はみんな顔見知り、悪さをすればその日の夜には親の耳に入るほど世間は狭い。

 町にたった一つの小学校はかつて海岸沿いに建っていた。何度も大きな津波に襲われて、校舎はボロボロになっては改装を繰り返した。

 五度目の大津波のあと、とうとう白い灯台のある高台に新しい校舎が建設されることになった。

 廃校になった木造校舎は取り壊されることなく、潮風に曝されて朽ちていくばかり。いつしか、夜中に窓に映る人影を見たと怪談話のネタにされるようになった。


 廃校探検はスリルを求めて夜から始めることにした。

 航平は家族が寝静まったのを確認し、映画で見たモールス信号を真似てカーテンの隙間から懐中電灯の光で合図を送った。隣家の湊の部屋から光の返事があった。

 二人は密かに家を抜け出し、竹藪の茂る坂道を抜けて海岸へ出た。

 暗闇に響く波の音は昼間とは違って、妙に耳元近くに聞こえた。海岸沿いの遊歩道は月の光に照らされて意外と明るく、足元を横切る蟹がはっきり見えた。


「お化けが出たらどうしよう」

 航平はおどけてわざと怖がるふりをする。

「面白いじゃん、絵日記に書けるよ」

 小突きあって冗談を言い合ううちに廃校の前に着いた。二階建てのレトロな木造校舎で、とうの昔に電気も止められているため窓の奥は真っ暗闇だ。山の上にかかる月が古びた校舎をほの白く照らしている。

 背後で波の音だけがまるで急かすように、ざざん、ざざんと響いている。


「本当に行くのか」

 航平は不安げな表情を浮かべる。山の影に暗く聳え立つ校舎の異様は想像以上に不気味だった。

「ここまで来て引き返すなんてないだろ」

 やんちゃ坊主で怖いもの知らずの湊は躊躇いもせず校門の錆びた鉄柵にしがみつき、ひょいと乗り越えた。航平も仕方無く後に続く。


 だだっ広い校庭に立つ。

 グラウンド正面にペンキの剥げた朝礼台がぽつんと残されている。玄関棟に掲げられた時計の針は十時十分を指したまま止まっている。おそらく津波が来た時刻なのだろう。

 ふと、校舎の窓にぽつんと光が灯るのが見えた。

「警備員がいるのかも」

 航平は驚いて後ずさる。大人に見つかれば、きっと怒られる。

「そんなわけないよ、ここはもう五年も前に廃校になったんだぞ」

 湊は逃げ腰の航平の腕を掴まえて窓を見上げる。


「火の玉だったりして」

「ばか、やめろよ」

 湊は怖がる航平を揶揄う。

 見つめていると、光はだんだん数を増して、窓の向こうを水のように流れ始めた。

「なんだ、あれ」

 航平は湊と顔を見合わせる。警備員や泥棒とは思えない。光の正体を確かめよう、湊は好奇心のままに玄関の観音開きのドアを押し開けた。


 くすんだステンドグラスが嵌め込まれた木製のドアは、思いの外あっさりと開いた。校舎の中は薄闇に静まり返っている。廊下を歩くと、古い木の板がギシギシと軋む。埃っぽい空気は強い潮の匂いをはらんでいる。

 湊は懐中電灯を点け、階段を登り始める。航平も恐々後を着いていく。二階の廊下に出ると、窓から明かりが漏れていた。


「あっ」

 航平と湊は同時に驚きの声を上げた。

 教室の中には水が満ちていた。イワシが群れを成して光る帯となり、回遊している。小さな銀色の身体が窓から差し込む月明かりを反射してキラキラと輝いている。

 机や椅子はそのまま、教室が巨大な水槽と化していた。信じられない光景に二人はその場に呆然と立ち尽くす。

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