第3話

 次の日の夜、鮫島館長は体育館に案内してくれた。

「わっ、涼しい」

 館長が体育館の扉を開けると、夏場だというのに木枯らしのような風が吹き抜けた。

「わあ、まるで南極だ」

「いや、北極かも」

 航平は湊に対抗してみたけれど、そんなことはどうでも良かった。


 ドーム天井に届くほどの巨大な氷山がそびえ立ち、足元には濃い藍色の海が広がっている。氷の上にペンギンの群れが立ち、短い足でひょこひょこ歩いては海に飛び込んで遊ぶものもいる。アザラシが氷を枕にころころ寝転がり、大きなシロクマの親子が寄り添い歩いている。

 天井には星が瞬き、エメラルドグリーンに輝くオーロラがなびいていた。


「すごいや、どうやってここに氷を運んだの」

 湊は好奇心に目を輝かせて尋ねる。

「ここはまほろば水族館で、私はここの館長だ。望めば何だってできるよ」

 館長はカイゼル髭を弄びながら胸を張った。得意げな笑みを浮かべる口元に金歯がキラリと光る。なんだか悪い大人の顔だ、と航平は思ったが、口にするのはやめた。


 理科室では、机に所狭しと置かれたビーカーの中でクラゲが燐光を発しながら浮遊していた。暗幕を閉めた教室内でクラゲの放つ青い光が幻想的な雰囲気を醸し出す。

「まるで宇宙空間みたいだ」

 湊はすっかりまほろば水族館の魅力に取りつかれている。

 準備室のガラス瓶の中には小さなエビやタツノオトシゴがいた。

 航平はガラス瓶が並ぶ棚に例のプレートが嵌め込まれていることに気がついた。プレートの数字はやはり八桁だった。


 図書室にはマンボウがいて、ゆっくり近付いてきたかと思えば本棚にごつんとぶつかったので、二人で笑い合った。マンボウはとぼけた顔で方向を変えてカウンターの方へ泳ぎ去った。


「これほどの生き物を集めるのは大変じゃないんですか」

 航平は館長に素朴な疑問を投げかける。

「いいや、そうでもないよ。みんな最後にはここにやってくるからね」

 館長はカイゼル髭の下の唇を釣り上げて笑う。薄い唇の隙間から金歯がキラリと光る。

 みんなって一体誰なんだろう、航平はそれを尋ねようとしたが、今日のツアーはお終いだと館長は手を叩く。そこで話はうやむやになった。


  館長に見送られて校門を出たところで、航平は海亀に会いたくなった。

「もう一度海亀のプールに行こうよ」

「仕方無いなあ」

 湊はそう言いながらもいつも付き合ってくれる。引き返すと館長が良い顔をしない気がした。廃校の裏手に回り込むと、フェンスの破れ目を見つけた。


「ここから入れる」

 湊は頭を屈めてフェンスの破れ目に身体を潜り込ませた。プールの鉄柵に飛びついて乗り越える。航平も湊の後をついてプールサイドに立った。

 背中に藻を背負った海亀が航平を見つけて近付いてきた。

「この海亀、ぼくに懐いてるみたい」

 航平が海亀の頭を撫でてやる。すると、海亀が航平を見上げてぽろぽろと涙を流した。

「えっ、泣いてる」

 涙を流しながら手をばたばたさせ水面を叩く姿は何かを伝えようとしている、そんな気がした。


「誰かいるのか」

 鮫島館長の鋭い声が響き、階段を降りる乱暴な靴音が聞こえてきた。航平と湊は階段下に身を隠して息を潜める。

「お前は悪い奴だ」

 館長は意地の悪い顔をして手にした刺叉で海亀を乱暴に突いた。海亀は悲しそうな顔でプールの底へと潜っていった。館長の姿が見えなくなり、航平と湊は大慌てで廃校から逃げ出した。


 月も星も分厚い雲が覆い隠してしまった。暗い遊歩道を歩きながら、二人は無言だった。家の前までたどり着いたとき、ようやく湊が口を開いた。

「もうまほろば水族館に行くのはやめよう」

「うん、そうだね」

 航平は力無く頷いた。あの海亀は無事だろうか、それだけが気がかりだった。

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