第5話

 もうダメだ。

 わたしがそう思った時、風が吹いた。

 その風は強く、木々を揺らすほどの風だった。


 すると、まるで時間が止まったかのように、周りの景色が停止した。

 モノクロの世界。


『汝、この世界を望んだのではないのですか?』


 天から声が降ってきた。

 それはまさに字のごとく、空から声が聞こえてきたのだ。


「わたしは、このような世界は望んではいません」


 その天の声に、わたしは答える。


『そうなのですか……。しかし、貴方は女性に囲まれ、皆から好かれ、自分のことを取り合うような世界を望んだはずです』

「え……。いや、それは、その……」


 記憶が蘇ってくる。

 ああ、そういえば、そんな世界を望んだ。でも、それはたまたま読んでいたライトノベルがそんな世界観だったから影響されただけだ。羨ましいと思っただけだ。ハーレム展開の世界線に行きたいと思っただけだ。だから、わたしはそれを天の声に説明した。


「しかし、それには語弊があります。わたしの望んだのは、可愛い女の子たちに囲まれて、チヤホヤされて、ハーレムで」

『この世界とは違うのですか?』

「ええ……残念ながら。だから、出来れば元の世界に戻していただければ……」

『あなたは我がままですね。せっかく、望み通りの世界を用意してあげたというのに』

「いや、ですから」

『残念です』


 そう天の声が言った瞬間、わたしの体は宙に浮いた。

 そして、勢いよく地面へと叩きつけられた。





「大丈夫ですか?」

 どこかから声が聞こえてくる。

 その声に応えるべく、おれはゆっくりと目を開ける。

 眩しい太陽の光、けたたましく聞こえる雑音、排気ガス交じりの汚れた空気。


 おれはアスファルトの上に大の字になって倒れていた。


「だ、大丈夫……」


 腰に痛みを覚えながらもおれはゆっくりと立ち上がった。

 いつもと同じスーツに革靴という格好。すぐ近くの大通りを車が勢いよく走っていく。


「突然、倒れるからびっくりしちゃいましたよ」


 かわいらしい声。三つ年下の後輩である岩下さんの声だ。

 おれは彼女と一緒にお得意さんの企業へ営業回りをしていた途中だった。

 変な夢を見たものだ。

 そう思いながら、おれは岩下さんの方を振り向く。


「先輩、どうかしましたか?」


 確かに声は岩下さんだった。しかし、その姿かたちはどこからどう見てもゴブリンである。


「え……」


 おれは後ずさりした。


「先輩?」


 不思議そうな顔をして岩下さん……いや、メスゴブリンがおれに近づいてくる。

 や、やめてくれ。頼むから、近づかないでくれ。

 おれはメスゴブリンから逃げようと、足に力を入れた。


「危ないっ!」


 それがおれが聞いた最後の声だった。





『え、またあんた帰ってきたの?』

「いや、ちょっと手違いがありまして……」


 わたしは目の前に立つあきれ顔の女神に申し訳なさそうにいう。

 あの日、女神にお叱りを受けながらも元の世界へと戻して持ったわたしだったが、なぜか後輩の岩下さんがゴブリンに変化していて、そのゴブリンから逃げようとして道路に出たところ猛スピードで走ってきたトラックに撥ねられて、見事にここへと戻ってきたというわけだった。


『正直言って、あんたみたいなやつは地獄に落ちるべきなのよ。なんで、また私のところに戻ってくるわけ』

「いや、それは知りません」

『しょうがないわね。今回だけは特別よ。もう不平不満は言わないでちょうだい』

「……わかりました」

『じゃあ、行ってらっしゃい』


 女神の言葉にわたしの体がまばゆい光に包まれた。

 




「生まれたのか?」

「ええ、元気な男の子ですよ」

「そうか、そうか」


 そんな声が聞こえてきて、ゆっくりと目を開ける。

 そこには幸せそうな顔をしたゴブリンの姿があった。


「あら、お父さんにそっくりね」


 わたしを取り上げた助産師のゴブリンが言った。





 (完)



 もとい、


 あゝ、異世界 (完)

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あゝ、異世界 大隅 スミヲ @smee

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