エピローグ

第19話

 その日の晩遅くに、風が当たらない清潔な分娩室で一つの産声が上がった。

 初産の母親の汗で湿った手を、その夫がやっとの優しく握りしめている。彼女と彼は、彼が上手くいく呪いとして教えてくたれ可愛い花や果実の名前を言い合った。

『砒霜、苺、ハコベ、藤、サイカチ、ムワゲ』

 知らない名前の花もあるが、きっと上手くいく呪文なのだから可愛らしい花なんだろう。

 母親になった彼女は、産声をあげた我が子を抱きしめる。

「三千二百の男の子ですよ」

 ようやく会えた我が子に、彼女は微笑みを返す。

 彼女の夫は彼女によく頑張ってくれてありとがうと、涙を流して感謝した。夫が抱きしめてくれると、夫から家の香りがふわりとする。その香りをかいでいると、早く我が子をつれて家に帰りたい。そう、彼女は安心したように思ったのだ。

 彼女は、夫に深く感謝をしている。

 彼女は高校生一年生の時に仲の良かった友人に脅されて、大学をやめなければならなくなった時に夫と出会った。

 荒れに荒れた生活をしていた彼女を叱って、正してくれたのは彼である。そして彼もまた、母親を失くし途方に暮れていた時だった。

 それから、二人は支えあうように生きてきた。

 夫は妻に何も望まなかった。ただ君と赤ちゃんが健康でいてくれたらそれでいいと、いつも嬉しそうに笑う人だった。

 夫には家族がいない。父も母も亡くし、天涯孤独なのだ。

 そんな彼に新しい家族を作ってあげれることが、彼女の誇りでもあった。

「お父さんも抱いてあげてください」

「えっ。でもボクは……」

「パパなんだから、抱いてあげて。きっとその子も喜ぶよ」

「そうかな……?」

「最初に挨拶する言葉は決めてるって言ってたじゃない。早く言ってあげなよ」

 看護師と妻に勧められ、夫は恐る恐る宝物を抱くように我が子を抱く。

 我が子は暖かくて、柔らかい。

 まだ開かない目に話せない口。

 用意された子供のキャリーベッドには、母・渡部虹華、父・渡部旭宏・の文字が書かれている。

 夫、いや。違う。

 渡部旭宏、旧姓・貝津旭宏が生まれたばかりの我が子に笑いかけた。

 

「おかえり、父さん」

 


おわり

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口兄い 富升針清 @crlss

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