7.仮定の話

「あのとき店にいた人間を考えよう」高橋はテーブルの上に肘をついて身を乗り出した。「店長が外出。店番はくらさんととう朋美さん。裏の喫煙所に俺がいて、持田君が出勤してくる。まあ、裏口はあの時点では閉め切られていたから、考えなくていいな。出入りできるのは正面の二つの自動ドアだけで、どちらを通ってもカメラに映る。だからさ、結局リスクの高い犯罪ではあったわけだよ、犯人たちにしても……もし入口を塞がれて通報されたら逃げ場が無い。そして入口はレジから常に見えるわけで、出て行くときに見咎められるのはほぼ確実だ。だから、そこはもともと揉めて強行突破することになるのは計画のうちだったと思うし、だからこそ店長の不在を狙ったんだろう」

「あの日店長が店にいたら、犯人たちは諦めるか出直すかしたかもしれませんね」私は店長の体格を思い浮かべて言った。

「店長は言ってただろう、犯人たちが行きも帰りも防犯カメラに映った、それで捜査に貢献したと……しかし行きはともかくとして、帰りは連中は金庫を抱えてたんだぜ。わかる? あれってちょっとした家具くらいの大きさはあるし、死ぬほど重いぞ。たぶん台車か何か使ったんだろうが、それ運んでるのを見て『お客さんが帰るところだ』と思う人は居ないよな。カメラに映る映らない以前の問題だ」

「つまり……」

「誰かが嘘をついている、と俺は睨んでいた。四蔵さんか、持田君か、店長が。あるいはそのうちの複数人か、もしくは全員が」

「自分も疑われてたんですね」私は苦笑した。

「だって、辻褄が合わないからな。もし、店から出て行く犯人たちを誰も見ていないのなら、その瞬間にはレジが無人だったということになる。だから俺は最初、持田君が嘘をついたのだと思った。出勤したとき四蔵さんがレジ番をしていて、店長室で倒れている朋美さんを持田君が一人で見つけたと、そう言ったんだよね」

「その通りですよ、本当に」

「けど、俺はな……朋美さんが売場からなかなか戻らないので、出勤してきた持田君に四蔵さんがそのことを相談し、二人で朋美さんを探しに行き、倒れているのを発見し、レジが無人になった隙に犯人たちは出て行った……というのが一番、ありそうなことかと思った。持田君が、四蔵さんはずっとレジにいたと言ったのは、余計なことに四蔵さんを巻き込まないための気遣いかと思ったんだ。発見者ともなれば警察にもあれこれ聞かれるし、店長不在のときに一瞬であってもレジを無人にしていたなんて、それ自体が問題だしな」

「まさか。いえ、それは確かに、ありそうなことですけど……」だが、実際そうではなかったことは私が一番よく知っている。

「四蔵さんがレジにずっといたのは本当?」

「だと思いますけど。見張っていたわけじゃありませんが、いえ、でも、接客の声が聞こえてましたし」

 ありがとうございました、だったか、いらっしゃいませ、だったか。私がバックルームと店長室を見て回った間、四蔵がレジ付近にいたのは確かだ。

「声はしてたけど、姿は見てないわけだな。なら、四蔵さんが実際レジには立たずに、売場のどこかから『レジに立ってる風の声出し』をしていた可能性はゼロではないかもな」

「そんな……わざわざ?」

「俺もよくやるよ。レジを離れちゃいけないときに離れちゃってて、自動ドアの音がしたらとりあえず、いらっしゃいませーとか言っとく。見てないわけではない、というアピールとして。でも実際は見てないんだけど」

「四蔵さんもそうしていたということですか? 確かにそれをされたら自分は気づかなかったでしょうけど」


 レジを離れていたことや、それを声出しで誤魔化していたことについては、ありがちなことかもしれない。しかし、その結果犯人たちが出て行くのを見逃した可能性について、四蔵が言及しなかったのは妙だ。レジにずっといたのに犯人たちを見逃した、という体でいれば、下手をすれば共犯を疑われかねないのに。


「ところで四蔵さんは、煙草を吸わないな」と、高橋は言った。

「見たことないですね……あっ」

 私は最後に四蔵が出勤した日を思い出した。あの日は大学の友人たちが私を冷やかしに来たのだ。その後、のストーカーらしい男が来店してひと騒ぎした。

 それとは関係なく、四蔵が顔色を変えた出来事があった。裏の喫煙所に出られる非常口が最近まで閉め切られていたことを、四蔵は知らなかった。喫煙者ではない四蔵にとっては普段から使う機会のない扉で、注意が向かなかったのだろう。事件がきっかけで警察に注意されるまであの扉が使えなかったことを知った四蔵は、おそらく動揺していた。


「四蔵さんは犯人たちが裏口から出て行ったと思い込んでいたのかもしれません」私はあの日の四蔵とのやり取りを説明した。「自分たちは防犯カメラの映像を見せてもらってませんし、警察の捜査状況も知りません。そのうえ四蔵さんは店の出入口がレジ側だけだということを知らなかったから、ずっとレジにいたし不審な人は見なかったと説明して、その発言で矛盾が出るとは思っていなかった……」

「そして今になって自分の発言の矛盾に気づいた四蔵さんは、発言を訂正するのではなく無言で退職したんだな」高橋は言った。

「なぜでしょう……」

「レジを離れていたことを認めるわけにいかなかった、のだろう。しかしそれでは金庫を運び出す犯人を見かけなかったことの説明がつかない。進退極まって、逃亡した」警察から逃げられるわけではないけどな、と高橋は付け加えた。


 高橋が食べるのを再開し、ミートパスタを蕎麦のように勢いよく啜るのを私はしばらく見ていた。


 相変わらず、食欲は湧いてこない。


「元気なさそうだな。大丈夫?」高橋はいっこうに減らない私の皿を見て言った。

「……四蔵さんはレジを離れて何をしてたんでしょうか?」

「さあなー。強盗に便乗して自分も何か盗んだとか?」高橋はわざとらしく首を傾げた。

「あるいは、佐藤寺朋美さんを鈍器で殴ったとか」私は言いながら、背筋が寒くなるのを感じた。


 私があの日、出勤して無人のバックルームに戸惑い、鍵を探し回ったりする間、ぎっしりと並んだ服の列の向こうには金庫を抱えた犯人たちがいて、入れ違うように出て行ったのかもしれない。そのとき丁度、四蔵はレジを離れており、人に知られては拙いようなことをしていたのかもしれない。私がバックルームを出て店長室に向かう間も、四蔵はまだレジには戻っておらず、売場のどこかで接客している風の声をあげて誤魔化していたのだろうか。


 私がもし、少し違うタイミングで、少し違う位置を歩いていたら、窃盗団か四蔵のどちらかに遭遇し、悪事を目撃していたかもしれない。その結果、佐藤寺朋美のような目に遭うのは私だったのかもしれない。


 私は無意識に溜息をついた。


「すべては仮定の話だ」高橋はまるで、慰めるような調子で言った。「店から出て行く犯人たちを誰も見ていないのなら、と俺は前置きした。実際には、四蔵さんは犯人たちを見ていて、警察にもそう話したが、それが俺たちの耳に入っていないだけなのかもしれないよ。それか、犯行はもっとずっと前に行われていて、犯人たちが逃げたのは四蔵さんがレジに入るよりもずっと前だった可能性もある」

「けど、その時間帯なら高橋さんが店内にいたのでは?」

「じゃあ、嘘をついてるのは俺かもしれないな」高橋はふわっと微笑んだ。

「いえ、そうじゃなくて……」高橋が店にいた間のことならもっと多くの手掛かりがあるはずだ、と私は言い掛けたが、同時に別のことに思い当たった。「店長は防犯カメラの映像を見たんだから、犯人が入って来た時刻も出て行った時刻もわかるはずですよね」

「まあたぶん知ってるだろうな」

「それなら、四蔵さんがずっとレジにいながら、犯人が帰るのを見逃した、と証言したところで、犯人がカメラに映った時刻次第ではそれがあり得ないことだと、店長にはすぐにわかったはずです」

「そうなるな。……だから、いずれにしろ近いうちに四蔵さんは辞めさせられる運命だったのかも」

「実際辞めさせられたのでは。店長は四蔵さんが自主的に辞めたみたいに言ってますけど……」

「まあな、あまり信用はできないな。腹の内を明かさない人だし」


 先ほどの眼鏡の店員が高橋の皿を下げにやって来た。

「さっきからすっごい楽しそうに話し込んでますね」店員は高橋に向かって笑いかけた。「私と話してるときより楽しそうですよ」

「いや、いや、そんな」高橋は大袈裟に手を振った。

「後輩さんですか?」店員は私の皿が空いていないのを見て、コップの水だけ足してくれた。

「先月からあっちでバイト始めた持田君だよ」高橋は窓から駐車場を見やり、その向こうに見える古着屋を示した。

「ああ……」店員はそちらに目をやってから、「あそこって、熊みたいな店員さんいません?」と言った。

「熊?」

「なんというか、ずんぐりというか、どでかいというか」

「あ、たぶん、それが店長です」私は言った。

「やっぱそうなんだ。たまに駐車場で見るんだけどなんか怖いんですよね。目が笑っていない気がして」

「そう、わかる」高橋が頷いた。「目が怖いし。ちょっと言動も怖いよ、たまに」

「店を切り盛りするって大変なんでしょうね、きっと」私はすっかり伸びかけているパスタの端を巻き取りながら、また無意識に溜息をついた。

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ニッチ 森戸 麻子 @m3m3sum

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